ロマンチック・アイロニー (石丸伸二氏に呈す)

こういう光景を思い浮かべてみた。ひとつのロマンチック・アイロニーの画像である。

飛行機が大量のビラを撒き散らした。子供たちはビラを拾って紙飛行機を折る。そしていま、子供たちの折った千機の紙飛行機が、本物の飛行機を追いかけて行く。

ロマンチック・アイロニーという言葉は、夏目漱石の『三四郎』の中に出てくる。『三四郎』はロマンチック・アイロニーそのものといっていいような小説である。漱石ではいちばん好きな作品だ。

大学の講義に出た後に、三四郎は偉人のような態度で近くの交番まで歩いて来た。ちょうどそのところを、友人の与次郎に見つかって大笑いされる。「なんだ」と聞くと、与次郎は「なんだもないものだ。もう少し普通の人間らしく歩くがいい。まるでロマンチック・アイロニーだ」と答える。三四郎にはこの洋語の意味がよくわからなかった。この後、漱石の『三四郎』は次のように続いている。

「与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰った。その晩取って返して、図書館でロマンチック・アイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。」

このような伏線があって、後日の団子坂における三四郎を含む総勢五名のだらだら歩きの名場面が続く。天才のような気分になってぶらぶら歩きをする。それこそ何時に変わらぬ青春の本質であろう。『三四郎』は永遠の青春の自画像を描いた傑作中の傑作である。

ドストエフスキーもまた、ロシアにおけるロマンチック・アイロニーを描いている。誰よりもエネルギッシュに、誰よりも過激に。

「もし生活の経験のない青年が、やがてそのうちに一個の英雄になろうと空想しているとしても、それがいったいなんだろう? 誓っていうが、おそらくは、こうした思い上がった空想のほうが、年端十六にして早くも『静かな幸福のほうが英雄になるよりましだ』という処世訓を信じている他の少年の賢い分別よりも、はるかに人間を生かす力を持った、有益なものであるかもしれないのだ。」
(米川正夫訳・ドストエフスキー『作家の日記』 一八七七年一月 第二章一「科学抜きの和解の空想」より)

ラスコーリニコフも、ムイシュキン公爵も、そしてイワン・カラーマーゾフも、いわば空想しているだけの青年に過ぎない。だがその架空の青年たちの熱烈な空想に、ドストエフスキーは膨大なエネルギーを注ぎ込んだ。おそらくそこには、ドストエフスキーの青年時代のロマンチック・アイロニーが、そのまま投影されている。

漱石やドストエフスキーは「大きな時計」である。彼らの言葉はいまなお新しい。しかし漱石やドストエフスキーの言葉の新しさというのは、なかなか気づくことができない。漱石やドストエフスキーは「進みすぎている」からである。小さな時計を集めても現在を超えることは出来ない。大きな時計が我々には必要なのである。しかし、その大きな時計は未来を指し示している。

漱石やドストエフスキーが「大きな時計」であることに、はたして誰が気づいているか。ロマンチック・アイロニーの気分を失っていない人だけが、そのことに気づくことができるのだ。

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