日本の名作映画「東京物語」
今や「東京物語」は世界的に評価されている名作だが、映画が1953年に初公開されたときには、「日本的すぎる」との酷評を受けたという。 その後、1958年に「その年でもっとも独創的で創造性に富んだ監督」に贈られる、英国映画協会の”サザーランド杯”を受賞した。しかし「東京物語」が映画史上に残る傑作として評価されるようになったのは、小津安二郎監督の死後(1963年没)のことだろう。作品は2012年、「東京物語英国映画協会の映画雑誌「Sight & Sound」が発表した、映画監督によって選ばれる、史上最高の映画ベストテンのカテゴリーで見事に第一位を獲得し、2023年には、著名なフィルムメーカーが選ぶ(英国映画協会の)史上最高の傑作映画100作のカテゴリーで第4位にランキングしている。
「東京物語」は、尾道から子どもと孫を訪ねて、はるばる東京にやって来る老夫婦、平山周吉(笠智衆)と平山トミ(東山千栄子)の物語である。老夫婦が長旅をして東京にやって来たものの、子どもたちは日々の生活に追われ、両親の面倒を十分にみることができない。実際に周吉とトミとの再会を心から喜んでくれたのは、戦死した次男の嫁・紀子(原節子)だけであった。 老夫婦は子どもたちとの間に、いつしらず隔たりができてしまったことに気づき、一抹の寂しさを覚えながら、 訪問を終え、帰途につく。 その数日後、子どもたちは尾道に戻った母親が「キトク」との電報を受けとる。今度は子どもたちが尾道に旅に向かうことになった….。
「東京物語」は、年を経るとともに、家族間の心の繋がりが失われていくという現実を平山家の人々の姿を通してリアルに浮き彫りにしている。この「世代間の心の隔たり」は、人が人生を生きていく上で、多かれ少なかれ体験する普遍的な現実であり、それ故に、この映画は国境を越えて多くの人々の共感を呼んだのだろう。
小津監督独特の撮影法である、畳の上の低いポジションにフィックスされたカメラを通して映し出される画像はユニークな効果をもたらす。それは、観る人が、まるで平山家の家族と一緒にその場にいるような気持ちにさせられるからだ。 そしていつの間にか、淡々と繰り広げられる平山家のドラマに惹き込まれていってしまう…。
《東京物語を観て》
記憶は定かではないのだが、私が初めて「東京物語」を観たのは、イギリスに住んでいた頃で、2000年代のはじめにBBCがこの作品をテレビ放映した時だったように思う。その時、印象に残ったのは、東京の子どもたちを訪ねた老夫婦が、家族間に波を立てまいと気を遣い、子どもたちに対してあくまでも礼儀正しく、言葉少なくも、にこやかに振る舞う姿だった。海外で生活し、「自分の思っていることは、はっきり言う、言わなきゃ損」という、こちらのメンタリティーに慣れている自分には、日本人の遠慮深さや日本語の表現の微妙さが奥ゆかしく新鮮なものに感じられた。
その後2回ほど「東京物語」を鑑賞したが、たとえ名作と云われても「一度観たら、もう十分」という作品もある中で、「東京物語」は別格で、何度観ても感動が薄れることのない、むしろ感動が深まるような味わいのある作品だと私は思っている。
《戦争の傷痕》
小津監督は、戦後8年経っても、戦争が残した傷痕は消えないのだという現実を戦争未亡人・紀子の姿を通して見事に描写している。周吉とトミの戦死した次男(昌二)の嫁・紀子は、上京した周吉とトミとの再会を心から喜び、老夫婦を彼女のアパートに連れていく。彼女の小さな部屋に置かれた本箱の上には昌二の写真が飾られてあり、それは紀子が今も夫の死を痛み忘れらないでいることを暗示するものだった。
尾道でトミの葬式が終わり、他の家族が東京・大阪へと帰途についた後、紀子は周吉が「もう息子のことは忘れてくれてええんじゃよ」と言ったことに対して、こう応える:
「わたくしは、お父さまやお母さまが思ってらっしゃるほど、そういつもいつも昌二さんのことばかり考えてるわけじゃありません。… このごろ思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです。…..わたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このままこうして一人でいたら、いったいどうなるんだろうなんて、夜中にふと考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです。どこか心の隅で、何かを待ってるんです。ずるいんです。」
紀子が心を開いて周吉に告げる、ありのままの思い…。悲しみでおおわれた孤独な自分の心を晒け出した紀子の告白に、私は泣いた。 私は問いたい:「いったい、何人の女性が紀子のように、戦争のために夫を失ったのだろうか?何人の親が子を失い、何人の子どもたちが親を失ったのだろうか? 戦争のために、どれだけの人たちが、どれだけ悲しみ、苦しみ、戦争の傷痕を負って生きていかねばならなかったのだろうか?」と。 終戦から79年、そのことを知る由もない。
《「東京物語」が語るもの》
「東京物語」には小津監督が映し出す独特なシーンがある: 尾道水道をポンポン船がポンポンと音をたてて行くシーン。 ランドセルを背負り、カバンを下げて元気に学校へ行く子どもたちのシーン。列車がボーッと汽笛を鳴らしてガタガタと走っていくシーン。 青空のもと、竿に干された洗濯物が風になびくシーン。
これらの何気ない日常シーンは私にとって、平和であることの喜びを象徴しているように思えた。平和であるから味わえるポンポン船の長閑な音、平和であるから子どもたちは元気に学校へ行ける…。平和であるからこそ、人間として当たり前のことができる…..。
このように平穏な日常シーンに満ちた「東京物語」は「平和ほど掛け替えのないものはない」と、私たちに語りかけているようだ。
【注】なお、この名作映画をご覧になりたい方は下記のYoutubeリンクでお楽しみいただけます:https://www.youtube.com/watch?v=PQALLTjf3GI
〈スペイン・アンダルシアにて ー 2024年12月11日 記〉
以上
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