21世紀ノーベル文学賞作品を読む(5―中)

 ハン・ガンの『少年が来る』
  ――歴史的なトラウマと対峙し、人間の生命の儚さを描く(1章 「幼い鳥」の続き)

 私たちが道庁の庭に引っ張り出されていったのは夜が明けたころ。後ろ手に縛られたまま庭の縁に一列に膝をついて座った私たちに、ある将校が近づいてきました。彼は興奮していました。一人一人、地面に頭を付けさせるために軍靴で背中を踏みつけながら悪態をつきました。くそったれが、俺はベトナム帰りだぞ、三十人は下らないベトコンの奴らをぶっ殺したんだぞ、汚いアカどもめ。

 そのとき、キム・チンスは私の横に居ました。将校がキム・チンスの背中を踏むと、図らずも小石にぶつかり、彼の額から血が流れました。お分かりですか。ですから、この写真でこの子たちがずらっと並んで倒れているのは、こんなふうに運んでおいたからではないのです。一列になって子どもたちが歩いてやって来ていたのです。私たちが言い付けておいた通りに両手を挙げ、整列して歩いてやって来ていたのです。

 母さんが帰ってまもなく、見るからに暑そうな栗色の外套を着た老人を見て、君はまた立ち上がる。老人は櫟材の杖を突きながら、わなわな震える足で歩いている。わら半紙が風で吹き飛ばされないようにノートとボールペンで押さえてから、君は階段を下りていく。
 誰を探しにいらっしゃったんですか?
 うちの息子と孫娘。
 歯が抜けてもごもごした声で老人が言う。

 昨日、和順で耕運機に乗せてもらって来たんだよ。耕運機は市内に入れないというので、軍人が見張っていない山道をどうにかこうにか越えてな。
 老人の息遣いが荒い。口元の疎らな白い髭に、灰色の唾の滴がこびり付いている。平地もろくに歩けないこのおじいさんが、どうやって山を越えてきたのだろうと君は不思議に思う。末の息子は、口が利けないんだよ・・・・・・小さいころ熱病にかかって話ができん。二、三日前に光州から来た人に聞いたんだが、市内で軍人が口の利けない者を棍棒で殴り殺したと、もうかなり前のことだと言うのでな。

 老人の脇を抱えながら君は階段を上がる。
 それに上の息子方の孫娘は全大前で一人暮らしをしながら学校に通っていたんだが、夕べ下宿先に行ってみたら行方不明だと言うのだよ・・・・・・もう何日も前から下宿先の主人も近所の人たちも見掛けていないと言うのでな。
 老人の脇を抱えながら君は階段を上がる。
 それに上の息子方の孫娘は全大前で一人暮らしをしながら学校に通っていたんだが、夕べ下宿先に行ってみたら行方不明だと言うのだよ・・・・・・もう何日も前から下宿先の主人も近所の人たちも見掛けていないと言うのでな。
 講堂に入りながら君はマスクを着ける。喪服の女性たちが、そこを立ち去るために飲み物の瓶と新聞紙、氷嚢と遺影などを風呂敷で包んでいる。安全な家に柩を移すか、ここにそのまま置いておくか話し合っている遺族の姿も見える。

 君は先に立って隅っこの遺体の方に歩く。巨大な磁石のようなものが力一杯押し戻そうとするように、思わず君の体が後ずさりしそうになる。それに打ち勝とうと、肩を前に傾けて歩く。布をめくるため腰をかがめると、薄く青みがかった蝋燭の瞳の下の方に、半透明の燭涙が流れ落ちている。
 魂は自分の体の傍にどれくらい長く留まっているのかな。
 それは何かの翼みたいに羽ばたいたりもするかな。蝋燭の炎の先っぽを揺らすのかな。

 目がもっと悪くなって、近いものもぼやけて見えたらいいのにと君は思う。だけど何もぼやけて見えはしない。木綿の布をめくる前に君は目を閉じはしない。血が滲むほど唇の内側を強く噛みながら布をめくる。めくってからも、ゆっくりとまた覆いながらも、目を閉じはしない。逃げただろうと、と歯を食いしばりながら君は思う。
 あのとき倒れたのがチョンデではなくこの女の子だったとしても、自分は逃げただろう。兄さんたちだったとしても、父さんだったとして、母さんだったとしても逃げただろう。
 頭をしきりに振る老人の顔を君は振り返る。お孫さんですか、と聞きはせず辛抱強く彼の言葉を待つ。絶対に許すものか。この世で最も惨たらしいものを見たかのように、のろのろと動く老人の両目と君は向き合う。何一つ許したりするもんか。この僕だって。

初出:「リベラル21」2024.12.16より許可を得て転載

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