経産省前脱原発テント座り込み日誌1月9日版

経産省前テントひろば、脱原発テント設置日(2011年9月11日)から1807日目(2016年8月21日)にテント強制撤去。2025年1月9日は、座り込み4,870日目。これは、マハトマ・ガンディー「非暴力、不服従」の実践です。

25年1月3日(金) (S・S)
  今日は正月の3日。3日は祝日扱いのため 座り込みも 前半と後半が交互に分担してきた。今回は前半のメンバーで座り込みを引き受けた。ただ、女性陣は各ご家庭でお正月の準備があるからと言うことで男性が受け持つことにした。私とEさんとSさん
(女性ですが)の3人で座り込みをすることになった。そのことは先週決めたことであるが、EさんがKさんとSさんに電話を入れ、助っ人に来てくれるように頼んだそうだ。そんなことも知らずに私は事務所に行って待っていたのだが、誰も現れない。時間は過ぎていくばかりだったので一人で運べる量のグッズを台車に積み込み、11時40分を過ぎていたので出発した。途中、Kさんに会ったので、そこからは二人で経産省へ向かう。
 正門まで来たが、誰も来ない。2人でセッティングを始めたが今日は曇っていて、空からは何か降りそうな陽気である。今日一日はこんな天気なのかと思い、ため息が出てきた。確かに雪こそ降らなかったが、小雨が降って来たようだった。セッティングを終え、二人で座り込みを開始、暫くすると虎ノ門方面から乱さんが大荷物をもって登場。今から国会正門前での抗議(澤地久枝さんの提唱する3の日行動)に行くと言う。であれば、終わったら、大勢がこちらに顔を見せるかもしれないな。と思うと気が紛れてきた。そのうちに通りかかった年配のご夫婦が、少ないけどと言ってカンパしてくれた。こんな時のカンパ程有難いものはない。お礼を言って、資料を渡して別れた。そのうち、曇り空だった上空に晴れ間が出来て、青空が見えてきた。正月はやはり人通りは少ない。我々を見て通り過ぎて行くが、とはいえ、行く人は多くない。
 午後1時半を回ったころ、国会方面から降りてきた人がぼちぼち現れてきた。「テントニュースって、ネットで見ることはできないんですか?」と、見慣れない方から質問を受けた。そういえば最近、知人からも同様な質問を受けたのを思い出した。ちょうど国会正門前から降りてきたKさんがいたので聞いてみたが、良く分からない。ネット配信しているFさんに電話をして聞いてみた。Fさんからは「今はフェイスブックで配信をしているのでそちらをどうぞ」と教えられた。
 澤地久枝さんの提唱する「3の日行動」には250人ほどが集まったそうだ。そのほかにも著名人が沢山来られていたそうだ。こちらの経産省前にも30名ばかりの人が立ち寄ってくれた。女性が多かったが、賑やかな一場面だった。今年も厳しい年になりそうだが、最善を尽くしたい。(S・S)

1月4日 (土)  (O・O)
◯日本今昔ものがたり
この国には、米国の対中東政策と軌を一にしない時代があった。1973年11月22日、二階堂官房長官は「国連安全保障理事会決議242(1967年11月22日)」の履行をイスラエルに求めた談話を発表した。概要は以下のとおり。
中東紛争解決のために守られるべき原則として4つをあげ、イスラエルによるアラブ領土の占領継続を遺憾とし、イスラエルが上記の原則にしたがうことを強く要望する。わが国政府としては、引続き中東情勢を重大な感心をもって見守るとともに、今後の諸情勢の推移いかんによってはイスラエルに対する立場を再検討せざるをえないであろう。
この談話で際立つのは「再検討」という強い警告だ。それ以外に原則の中にも注目すべきものがふたつある。ひとつは「1967年戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退」と明確に主張し曖昧さがないこと。もうひとつは「パレスチナ人の国連憲章にもとづく正当な権利が承認され、尊重されること」とパレスチナ人の権利を明記していること。
国連安全保障理事会決議242では前者は占領地の定義、範囲が曖昧。後者のパレスチナ人の権利については242は何も触れていない。2014月5日、来日したネタニアフ首相と安倍晋三首相は首脳会談を行った。安倍首相は「積極的平和主義」の立場から、自由や民主主義といった価値を共有するイスラエルと協力していく旨述べた。それに対しネタニアフ首相から、これを歓迎し支持する旨表明があった。
2014年7月、ヘイリ−元米国国連大使はイスラエルを訪問した際、これから使用する砲弾に「やっつけろ」と書いた。さて日本は?

1月6日 (月)  (保)
きょうは2025年初の経産省抗議行動の日。座り込み準備については藤原さんが全てやってくれるというのでお任せした。いつもより早い10時半に事務所に着いた。すぐ後に藤原さんも自家用車で到着。寒いのでポットにお湯を用意する藤原さん、手際が良い。2人でグッズを1階に降ろして車に積み込む。午前11時過ぎに出発して経産省前へ。そこには(月)担当のSaさんが既に到着していた。3人で荷物を降ろして藤原さんの指示の下、我々2人はのぼり旗10本を組み立てて、あとは全て藤原さんにお任せ。作業が全て終えたのは12時少し前。
 反原発ソングを掛けて通りかかった人々にアピール。 天気予報では抗議行動が始まる午後2時から雨が降ってくるとのこと。きょうに限って雨とは!
 午後1時過ぎから雨がちらほらしてきたが、大したこともなく済んで2時に。いつもより少ない20数人で抗議集会開始。
 常連メンバーから次々と「第7次エネルギー基本計画」で「原発を最大限、活用する」とした経産省を糾弾した。特に目を引いたのは経産省前テントを立ち上げた人たちによる、我々への奮起の訴えであった。自公政権が「台湾有事は日本の有事」と言って着々と戦争を準備している状況のなか、新たな反戦闘争を展開していかなければならない。今一段の奮起を期待する、と。
最終的な参加者は40名ぐらいに。雨で濡れたバナーとのぼり旗などを事務所に運び入れた後、体を暖めましょうということで焼酎で軽く飲み会。
 私は午後6時半からの防衛省抗議集会に向かった、一足早く出られた乱さんと現地で合流。いつもは100名のところ80名参加。

1月7日(火) (旭凡太郎)
1月7日(火)は晴れ。風はあまりなかったが寒かった。隣にすわっていた人は、昨日はもっと寒かったと言っていた。 
 1月は真冬、2月まで寒さは続く(激しくなる)、覚悟しておかなくてはならないだろう。我々が目指すのは「脱原発」−この程度の寒さは問題ではない。 隣の環境省ビル工事前は日が照っている。南の霞が関ビルや特許庁ビルが日をさえぎって経産省前を日陰にしているのだ。しかし勿論、問題なのはこの程度の寒さどころではない。脱原発、原発再稼働阻止こそが問題だ。14年前の2011年3月11日、福島原発事故の衝撃—これを忘れることはできない。
 それまで「原発」についてあまり関心はなかったが、事故の衝撃を受けて「九条改憲阻止の会」を「反原発」へ向けようという動きが始まり(渕上氏等)、私も経産省へ向かい、テントをたてた。それは地味ではあるが、角度のある対経産省、対政府行動だった。福島の女たちの参加で、それは角度をあげた。警察権力の強制撤去で、テントはなくなり、座り込みで引き続けている。
 いつまで闘いつづけるか—原発が日本からなくなるまで***。それまで:::ひたすら闘い続けるだけだ。頑張ろう。

1月8日(水) (IT)
日本海側は大雪。太平洋側はよい天気。 バナーはばっちり張れた。今日は雀は沢山来た。鳩は1羽だけ来た。その1羽は病気のようで、ラフフラしてつまづくような感じで、よく歩けないようだった。先週もそういう鳩が来たが、「羽の色などから別の鳩ではないか」と保っちゃんと話した。ということはどういうこと?なんか恐ろしい。その鳩はヨチヨチと交差点の方まで歩いて行って、そこから飛んでった。
規制庁抗議からOKIさんと木村ゲタさんが回ってきてくれた。OKIさんは夜の日本原電と東電への抗議行動に参加するからどこかで身体を休めると言われて帰られた。また、木村さんは座り込みをしながらオンラインで行われている原子力資料情報室の松
久保さんのエネルギー基本計画批判の講演を聞いてから帰られた。
大島さんが寄られた。しばらくしてメトロコマースで闘って来られたUさんが「解雇撤回で25年間闘っておられるAさんの支援集会に参加した帰りだ」と寄ってくれた。 支援集会には尾沢夫妻も参加していて、サンケン闘争の総括集会をやる話もあったそうだ。Anさんが来られ、Anさんは盛んに雀にパンをやった。そのうち、雀は飽きてしまったのかパンつぶがあるのに、飛んで行ってしまった。Uさんにも撤収を手伝ってもらった。保っちゃんは片付けの後、夜の東電抗議に参加する。

1月9日 (木) (M.U)
Inさん、Yoさんと3人で設営。日差しが暖かく穏やかな日和だ。赤い実をつけた頭上の街路樹には雀が10羽程とまりチュンチュン元気な鳴き声を響かせている。Inさんが昼食のおにぎりをちぎって歩道に撒くと、一斉に舞い降りてきて、ついばんだ。私はいつもの反原発ソングを流す。
14:00  Okさん到着。昨日の原電前集会で替え歌が歌われたという「世界中のこどもたちが」をスマホで流してくれた。初めて聞くが、なかなかよい歌だ。 私は今日の『季節』読者会用に書いたレジュメ(別添)をOkさんに渡して読んでもらった。私がコメントしたのは冬号の「『人為的CO2温暖化説』を止めない限り、原発は止まらない」という論文だ。欠点はあるが重要な示唆を含む文章なので、ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。
Okさんはまず『季節』の論文を読み始めたが、なかなか理解が難しいらしく、私のレジュメは家でじっくり読むと言ってカバンにしまった。
14:35  Suさん到着。請戸の初日の出の様子などを話してくれた。 15:10 スーツ姿の男性がテーブルの上のチラシを覗き込んでいるので話しかけてみると、今日は商工会青年部の一員として経産省に申し入れに来たという。個人的な体験から原発再稼働には断固反対だと話してくれた。「がんばってください」と言って経産省に入って行く後ろ姿を見送った。日が陰り、風が強くなってきて危ないのでバナーは外した。寒いので経産省の周りを1周したが、以前3カ所にスプレーで書かれていた「FREE GAZA」の落書きはきれいに消されていた。
時間になり、Suさんと2人で撤収し、4870日目の抗議を終えた。

=====添付資料======
・原発週報2025.1.1-1.7.docx 編集:漆原牧久
・2025年新春メッセージ 2025年1月5日.docx 杉山隆保 takayasusugi8888@gmail.com

=========デモ、集会==========
今後の集会・行動等
1月15日(水)原子力規制委員会前                    
 12:00〜13:00
1月17日(金)経産省前抗議集会                     
 17:00〜18:00
1月17日(金)首相官邸前(原発いらない金曜行動) 
 18:30〜19:45
1月21日(火)東電の柏崎刈羽再稼動問題、院内ヒヤリング集会。
《東電に原発を動かす資格があるのか?》 参議院議員会館103号室。
 13;30−17;30
1月22日(水)原子力規制委員会前                    
 12:00〜13:00
同日 日本祈祷団47士の経産省前祈祷会 午後2時〜3時半
1月24日(金)経産省前抗議集会                     
17:00〜18:00

【脱原発の意思表示】第7次エネルギー基本計画(案)に抗議意見を    

  2025年1月11日 木村雅英
 昨年末に経産省(資源エネルギー庁)が<第7次エネルギー基本計画(案)に対するパブリックコメント(意見募集)>を開始した。またまた委員会意見を軽視して拙速を図る経産官僚たちの横暴だ。
 <再生可能エネルギーを主力電源として最大限導入する>としながら、原子力について従来の「依存度を低減する」の文言を無くし、「今後も原理力を活用し続ける」愚かな計画だ。
脱原発を訴える皆さん、パブコメに意見を書き、脱原発の意思表示をし、与野党逼迫の日本で脱原発を実現しましょう。
【パブコメ募集】
https://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/opinion/2024_public.html
【提出方法】上記URLから意見を書いて送信 または 郵送
【締切】2025年1月26日23時59分
【意見例】
・該当箇所 P.33 (3)原子力発電
・意見内容
   「(3)原子力発電」の約10ページの記述では下記を踏まえていない。    
    フクシマは終わっていない
    原発はお湯を沸かす為に核分裂を起す愚かな装置
    地震多発日本に原発は危険    原発は最悪の地球環境破壊
    放射性廃棄物の処分場はない
    行き場が無い使用済み核燃料が危険
    労働者に被ばくを強いる
    末代にまで死の灰を押しつける
    経産省は次の嘘をつき続けている
        原発は安全・原発は安い・無いと電力が足りない・原発はクリーン・原発は準国産
皆さん、是非意見をどんどん出してください。
「ドイツにならって脱原発を実現せよ」の一言意見でも良いと思います。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5882:250114〕