『叛乱論』東大集会で知る思想の誕生――21世紀の思想とは何か――

 1月12日(土)午後、東京大学本郷の大教室で長崎浩氏の『叛乱論』をめぐって四人の論者が自論を開示する討論集会が開かれた。大教室が満杯であった。大学で授業と試験を通して影響を与えた訳でもなく、人気テレビ討論番組の常連であった訳でもなかった長崎浩氏をテーマにした集会にこれだけの人々が引き寄せられとは!?
 集会司会者の発言を聞いて、この「!?」の一部が分かった気がした。司会者は二度三度「長崎思想になじみのない方には分かりずらいかも知れませんが、・・・」(強調:岩田)と自然体で語っていた。「長崎思想」なる表現、あるいは概念がすでに生きているのだ。
 マルクス、レーニン、スターリンには「主義」が付いた。毛沢東には「思想」が付いた。主義と言うと主義に従う、支配されると言う含意が強い。思想と言うと、思想に魅力される、charm されると言う含意が強い。毛沢東思想は、毛沢東主義になって、形骸化したのであろう。
 1960年安保闘争のブント諸派の活動家出身の文章家・理論家はかなりいる。例えば、加藤ヘーゲル学、青木経済理論、西部保守論、広松哲学であって、長崎思想の雰囲気とは異なる。『叛乱論』と『結社と技術』の増補改訂新版の宣伝ビラによると、提題者の一人広瀬純氏が新版解説「長崎浩の世紀はすでに到来している」(強調:岩田)そうである。ここでは、「長崎浩の世紀」なる時代規定が登場している。すなわち、二十一世紀は長崎思想の時代であるらしい。

 五十年の一昔、私=岩田は『叛乱論』を一読した記憶がある。インディペンデント・ソシャリストであった―今もある―私は、叛乱よりも、叛乱の後に来るべき新しい社会、「乱」絶対否定論者ではないが、乱にではなく、新秩序の形成ロジックに関心が集中していた。その結果、1968年・昭和43年に修士論文『比較社会主義経済論』を書き上げ、1971年・昭和46年に日本評論社から出版した。 
 私は、秩序複数主義の考え方からして『叛乱論』の「叛」の字が気になった。『叛乱論』一読の時、手元にあった岩波書店の『律令』で確認した記憶があるが、現在はその本が書棚に見当たらない。それで電子検索をかけて、国書データベースに藤原不比等編纂と言われる大宝律令の佚文を見付けた。令は制度法、律は刑法である。『律上』古書の写真版の最初に八つの重大犯罪が「八虐」として規定されている。以下に部分引用をする。

    一曰 謀反謂謀危国家・・・・・・   

    二曰 謀大逆謂謀毀山稜及宮闕・・・・・・。

    三曰 謀叛謂謀背国・・・・・・。

 上記の如く、最大犯罪の第一は、国家、すなわち天皇=中央権力を危険にする謀。その第二は、天皇の墓所と宮殿を破壊する謀大逆とあって、第一と相補である。その第三は、国、すなわち国府等の地方権力に背く謀
 かかる謀反と謀叛の実現が乱である。すなわち、反乱と叛乱である。そして、長崎氏は、60年安保闘争の政治学的総括をするに当たって、「叛乱」を用いて、「反乱」を用いなかった。日本史上の諸乱は、大宝律令の規定に従えば、実質的社会革命的変化をもたらしつつも反乱(=大乱)ではなく、叛乱(=半乱)であった史実に従ったからであろうか。但し、無意識に。
 提題者の一人、市田良彦氏は、叛乱と反乱の区別を論じられた。氏によれば、長崎浩氏もまた別の著書では、「反乱」を用いられているとの事。但し、その概念規定の差を明記しないまま。市田良彦氏は、叛乱の敵は近代であると言う点で長崎浩氏と見解を等しくする。しかしながら、反乱は、近代に限定されず前近代にも妥当する。非歴史的概念であり、統治の不可能性を指す、と主張する。私=岩田の如き、新であれ旧であれ、秩序の重要性をあらゆる社会とあらゆる時代の常民生活に見ざるを得ない者にとって、非歴史的概念としての反乱となると、エントロピーそのものの別名に見えて来る。

 最後に質問、世界各地で威力を示す、ジーン・シャープ氏の有色革命指南書を叛乱論著者はどう読むか。

 集会で耳で聞いた諸事にのみ依拠した感想文にすぎない。誤聴あらば御許しを。

           令和7年・2025年1月14日(火)

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