国勢調査ではマクア語の話者は56人
前号の「東チモールだより」の終わり部分でわたしは、「東チモール東端部に位置するラウテン地方自治体のそのまた東部のトゥトゥアラという村で話されていたマクア語という言語は、『独立回復』をしたのちにその話者がいなくなり消滅してしまいました」と書きましたが、そのあとで、2010年の国勢調査ではマクア語の話者が56名という報告がされているのを知りました。したがって、「2010年の国勢調査によると、ラウテン地方自治体の東端部トゥトゥアラ村周辺の地方語であるマクア語はその話者は56名です」と訂正させていただきます。
そのうえでわたしは往生際悪く、2010年国勢調査の結果は本当かなぁ?と首をかしげています。
20年前に話者は3人
およそ20年前、マクア語の調査をしたオランダ人の言語・人類学の専門家・エンゲレンホーフェン(Aone Van Engelenhouven、とりあえずこうカタカナ表記したが、オランダ語の発音の仕方がまったくわからないのでカタカナ表記は不適当かもしれない)の報告書『マクア語・エニグマ(謎めいた言語)』(THE MAKUVA ENIGMA、2006年1月が最後のフィールドワークとある)によれば、マクア語は「消滅しかかった言語」というより「昏睡状態の言語」であるという考え方(2003年)を紹介しています。
この報告書『マクア語・エニグマ』の参考資料の一つとなっているSilva, A. da, J. V. Cailoro, 2004, “Historia Badak Kona Ba Lia Makua”, Hakerek Kona-Ba Timor-Lorosa’e, 10.とは、当時わたしが市民活動として編集作業をして東チモールで配布していた手作り本Hakerek Kona Ba Timor Loro Sa’e(東チモールについて書く)シリーズの「第10号」に収録された「マクア語のごく簡潔な歴史」(アルビーノ=ダ=シルバがテトゥン語で、ジュスティーノ=バレンチンがポルトガル語で共同執筆)のことです。
当時わたしは、アルビーノ=ダ=シルバとジュスティーノ=バレンチンの二人に直接会って、マクア語はもうすぐ消えてしまうという悲壮な声をきいたものです。アルビーノ=ダ=シルバは、「マクア語の場合、話者三人が死んでしまえば消えてしまいます。それは明日にでも起こりえることです。防ぐことは難しい。せめて、マクア語がこの世に存在していた確かな記録を残し、その存在を忘れ去られないようにすることぐらいしかできないのではないか」と語っています(東チモールだより 第8号、2005年7月20日)。
2023年3月、故コニス=サンタナ司令官の追悼式典がその生まれ育ったトゥトゥアラ村で行われ、わたしはそれに参加し(東チモールだより 第483号)、そのさい地元の人にマクア語について訊ねると、もうなくなってしまった、といわれたものでした。
以上のようなことから、わたしは前号の「東チモールだより」で「マクア語という言語の話者が今はいなくなってしまい、事実上消滅してしまいました」と書いたわけです。
なお、『マクア語・エニグマ』はとくにジュスティーノ=バレンチンに厚い謝辞を向けています。わたしもジュスティーノ=バレンチンには何度か会って東チモールの言語問題やラウテン地方の言語状況、とりわけマクア語の状態についてよく話をうかがったものです。ジュスティーノ=バレンチン(1954~2014年)はたいへんな知識人でしたが、残念ながらすでに故人となっています。
マクア語は昏睡状態?
3人が亡くなればマクア語は消えてしまうという20年前の状況、そして報告書『マクア語・エニグマ』の紹介する「消滅しかかった言語」というより「昏睡状態の言語」であるという考え方、さらに2010年国勢調査による話者56人という結果……これらをどう考えたらよいのでしょうか。マクア語は、まさしく「エニグマ」、謎の言語です。
20年前に3人だけ残っていた話者がすでに日常生活でマクア語を話していないという状況を鑑みてわたしはその時点てすでに事実上の消滅といって差し支えないと考えます。たとえ書物・録音・録画などによる記録が残っていても、文章をつくったり話そうとおもえばある程度話したりできる人がいるとしても、日々の生活のなかで話されないとすれば生きた言語とはいえず、生きていなければそれは逝去、事実のうえで消滅したといっていいという立場をわたしはとります。
『マクア語・エニグマ』では、ラウテン地方の主要な言語であるファタルク語によって「追いやられた」マクア語はトゥトゥアラ村のファタルク語話者の儀礼的な言語形態に「押し上げられた」と仮説をたてています。「消滅しかかった言語」というより「昏睡状態の言語」であるという考え方を指摘しますが、2~3人の最後の話者が亡くなったらこの言語は消滅するだろう、もはや日常で使われる言語ではないと、この報告書の筆者もいいます。消滅と昏睡という表現の違いはありますが、マクア語が日々の生活で使われる言語ではないという点で、わたしは『マクア語・エニグマ』の見解に賛成です。
話者3人から56人の謎?
20年前にわたしがアルビーノ=ダ=シルバとジュスティーノ=バレンチンの二人からきいたことと『マクア語・エニグマ』の内容にはさほど乖離はありません。問題は2010年の国勢調査です。20年前にお年寄り3人しかいなかった話者が2010年に56人に増えるとはどう解釈したらよいのでしょうか?
これについて「当時、把握できなかった話者が見つかったなど、あり得ない話ではない」とポルトガル語とクレオール語の専門家である市之瀬敦教授(上智大学)は指摘します。
『マクア語・エニグマ』に面白い話が紹介されています。2003年、メハラ村(トゥトゥアラ村の隣村)での誕生日(エンゲレンホーフェンのか?)に住民は酔っ払っているときマクア語で文章や成句をつくってみせたというのです、しらふのときはこの言語について何も教えてくれなかった人たちなのに。もしかして2010年の国勢調査のさい、調査員は住民にお酒をふるまってマクア語のことを訊ねたらマクア語で文章や成句をつくってみせた人が56名いたのかもしれません…?
もし仮に日常的にマクア語を話して暮らしている人が本当にいたとしたら、マクア語はどっこい生きているのは疑いもなく、その意味で話者が56名いるという国勢調査の結果であれば文句なしです。しかし、もしマクア語が日常的に話されていない言語で、記録だけを遺す言語であり、それでいて文章や成句をつくることができる人がいるという意味での話者56名であれば、それは東チモールの言語状況を正しく反映する国勢調査の結果といえるものなのか、疑問が残ります。
東チモールはかけがえのない地方語を保持し発展させるために調査・探究に心血を注いでほしいものです。その土地の地方語は、その土地だけの宝ではなく地球全体にとっても宝です。「2月21日」はユネスコが制定した「国際母語の日」です。
青山森人の東チモールだより easttimordayori.seesaa.net 第529号(2025年2月20日)より
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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