本書は、書名の通り、今は亡き旧ユーゴスラヴィアにおいて40数年にわたって実行された歴史的実験である労働者自主管理社会主義の小百科全書的紹介である。勿論、著者の経験と評価を前面に出す所もかなりある。
著者は、「まえがき」において、「新自由主義の下で……経済格差が…、非正規労働者が増えて来た。このようなとき、旧ユーゴで、労働者が企業を自主管理したという壮大な『実験』を見直し、その破綻から教訓を引き出すことに意味があると思う。」(p.2)どんな意味か。「あとがき」で「旧ユーゴの失敗から学ぶ必要がある。現場の労働者が生産の現場で働くだけでなく、企業の管理にも参加するというのが労働者自主管理であるが、……、結果的に非常に非効率的な仕組みだと判明した。やはり、企業では有能な経営者は必要であり、現場の労働者による管理との適切な組み合わせが大事である。」(p.182、強調は岩田)
このように教訓を引き出す著者であるのならば、第3章「市場社会主義」(pp.47-60)における叙述がもっと充実していなければならない。第3章はわずか14頁にすぎない。市場社会主義の時代、「意思決定の比重が労働者集団から経営テクノクラート層に移行した。有能な企業長はフォーマルな自主管理意思決定プロセスとは別に現実的なサブシステムを発展させ、労働者評議会議長や労組幹部との協力を得て機能させるか、または強力なリーダーシップを確立して企業の組織構造をヒエラルヒー化させることによって意思決定プロセスを短縮し、…経営に成功したという。」(p.51)しかしながら、マクロ経済的には、その時代に、西欧への出稼ぎ=労働力輸出が「労働力供給の増加分の約60%を吸収した。」(p.50)
評者は、上記の引用文で「管理」と「参加」に強調点をつけておいた。労働者自主管理の理念と法制においては、企業の従業員集団に管理権が属するのであって、従業員集団によって企業内外から選出された専門職たる企業長の仕事は、管理ではなく、指導や指揮とされていた。要するに、労働力商品化の否定を本質とする自主管理社会主義の思想によれば、生産の現場で働く者は、参加するのではなく、管理する。
第4章「1974年憲法体制―自主管理企業」(pp.61-90)と第5章「1974年憲法体制―関連するシステム」(pp.91-109)は、著者が「まえがき」で「いまになると、理想主義的だが、非現実的で非効率的な経済システム(1974年憲法体制)」(p.2)、それを支える、あるいはそれに支えられる様々な政治制度と文化制度の理想と現実を叙述する。
著者は、「1974年憲法体制」と言う。評者は、「1974年憲法・1976年連合労働法体制」、あるいは「1970年代連合労働法体制」と呼ぶ。何故ならば、第3章と第4章を貫く鍵的概念である連合労働=Associated Labour の活動を保障する諸制度が1974年憲法において日本人の目から見て憲法としては不自然なほど詳細に記述されているのを受けて、さらに連合労働=Associated Labour だけを主題にした大法典が作成され、全659条にわたって労働者自主管理社会主義像がより詳細に打ち出されていたからである。第4章と第5章は、「1970年代連合労働法体制」とした方が叙述内容により適合したであろう。
著者は、商社マンとして長年旧ユーゴスラヴィアで働いたことのある徳永彰作札幌大学教授がある学会で行った報告から「1973年から76年にかけて『経済文化革命』が行われ、有力なディレクターが、党と政府の圧力を受けて次々と更迭された。」を引用している(p.88、p.66)。徳永教授が「経済文化革命」なる表現を用いたのは、中国毛沢東の「プロレタリア文化大革命」との相似性を指摘する為である。毛沢東が非難する走資実権派は、ユーゴスラヴィアの場合、本書第3章の市場社会主義推進勢力に相当する。ユーゴスラヴィアのチトーと中国の毛沢東の相違は、前者の「文化革命」が連合労働法に象徴される制度改革を経済社会の基層にまで徹底化させる形をとり、後者の「文化革命」が紅衛兵に象徴されるように反制度的大衆運動の形をとっている所にある。著者が徳永教授の「文化革命」表現の含意をつかんでいたか否か、評者には不明である。
著者の表現では、「1974年憲法体制」、評者の表現では「1970年代連合労働法体制」の鍵的概念は、アソシエーション、そのセルボ・クロアチア語訳たるUdruženje(ウドルジェーニェ)である。日本語では「連合」がここでは使用される。英語のアソシエーションは、「仲間として一緒になる」である。セルボ・クロアチア語のウドルジェーニェは「友として一緒になる」である。日本語の連合は、「つれあい」と和風に読まない限り、どこかよそよそしい。その故か、日本のアソシエーション論者達は、訳語の「連合」、「結合」、「協同」等ではなく、片仮名のアソシエーションを多用する。
一例をあげると、『朝日新聞』2025年(令和7年)4月16日で、柄谷行人氏は、「国家・資本に依存しない経済圏追求」の鍵的概念としてアソシエーションを説く。
「国家・資本に依存しない経済圏追求」こそ旧ユーゴスラヴィアのコムニストが連合労働法、The Associated Labour Act において実現しようとした課題である。但し、両者の間には重大な相違がある。柄谷行人氏の場合は、「独立した個人」のアソシエーションであり、「流通過程を重視する。」
連合労働法体制は、マルクス経済学労働価値論の古典的解釈に立脚しており、個人の連合ではなく、労働(者)連合であって、しかも現場の生産的労働(者)連合を基層として、事務の非生産的労働(者)連合と再連合して行く。続いて、経済活動と区別される様々な文化・芸術・科学・社会福祉等の労働(者)連合と再連合して行く。そして、全種類の労働(者)連合は、労働者自主管理される。諸連合相互間の関係は、市場関係にゆだねられる場合もあるし、協議経済関係にまかされる場合もある。国家官僚的統制は存在しない。本書第4章図1「連合労働基礎組織(OOUR)」(p.67)、図2「典型的なSOURの組織構造」(連合労働複合組織)(p.70)、そして第5章図1「ユーゴの自主管理制度―決定のシステム―」(p.107)に70年代連合労働法体制の制度構成図が紹介されている。
ユーゴスラヴィア・コムニストによるマルクス経済学の古典的解釈が連合労働法体制に如実に反映されている。例えば、経済活動部門の自動車産業の企業・会社をとってみよう。連合労働法によれば、企業・会社は、労働組織、ROと呼ばれる。Rはセルボ・クロアチア語の労働の頭文字。Oは同じく組織の頭文字。車製造の現場工場はOOUR。第1のOは、セルボ・クロアチア語の基礎の頭文字、第2のOは、組織のそれ。Uはセルボ・クロアチア語の連合の頭文字。すなわち、現場工場は、連合労働基礎組織の資格を有する。諸ROの再連合がSOURであり、そのSは、セルボ・クロアチア語の複合の頭文字。
それに対して、自動車企業・会社の本社や事業所は、労働共同体、RZと呼ばれる。Rは、上記と同じ。Zは、セルボ・クロアチア語の共同体の頭文字。戦前の日本の会社における工員と職員の身分的差別ではない。誤解を恐れずに言えば、両者間の立場が逆転した。経済価値を生産する生産的労働か、生産しない補助的労働であるかの相違が、連合労働基礎組織と労働共同体の間に在る。従って、OOURとRZが合体したRO=労働組織=企業が対外的に製品を販売して実現する価値全額は、先ず連合労働基礎組織にOOUR帰属して、そこから労働共同体へと分配される。その分配率はOOURとRZの間の自主管理協定によって定められる。
経済活動部門のROと文化・科学・芸術部門のROとの関係にも同様に生産的労働と非生産的労働を区別する思想に基づいて、両者を媒介する組織としてSIZ、自主管理利益共同体が組織された。Sは、セルボ・クロアチア語の自主の頭文字。Iは、同じく利益の頭文字。Zは、共同体の頭文字。SIZは、両部門で働く労働者代表が直接に対面して、夫々の事情を伝達説明する場であり、その結果として経済分野で生産された富が文化・科学・芸術の分野に向けて流入する事を保障する場である。国家官僚による統制や両分野の調整が排除されている。その結果、経済活動労働者が理解しがたい純粋研究の分野は、非常な苦境に立たされたと聞く。評者が1977年に約十ヶ月間ベオグラードを再訪した時、訪問先の経済学・社会諸科学の研究所や研究室で日本において国家財政でファイナンスされている方だと紹介されて、大変羨ましがられた。
経済分野の企業=連合労働組織=ROは、社会協約や自主管理協定が文化・科学芸術に従事するROとの間でSIZを介して成立すると、企業所得の中から、分担金・納付金を支払う。著者は、この件に関して第5章でかなり詳しく説明しているが、不思議な事に、第2章「自主管理社会主義の出現」に図1「企業(連合労働組織)の総収入および所得の分配の図式」(p.32)を配置している。この図には、連合労働組織とかSIZとか、全人民防衛とか、1970年代的用語が使用されており、第5章に配置されて然るべきであろう。また、図の出所として「Pasić 1978」と明示されているにもかかわらず、巻末参考文献にPasićの名も書名も無い。
第6章「経済発展と経済危機」では、ユーゴスラビア自主管理社会主義発展の諸要因に関する分析や説明はほとんど無く、それに対して、経済危機や民族紛争やユーゴスラヴィア連邦解体の諸原因と諸要因に関する論述が大部分である。評者としては、1980年代の沈滞と危機に至る以前のユーゴスラヴィア自主管理社会主義経済発展とその諸要因についても著者の評価を知りたかった。
また、危機と解体に至らしめた諸要因を考察するに、著者は、もっぱら自主管理社会主義に内在する諸ファクターだけに目が向いている。それは、正しい考察姿勢であるにしても、果たして、内在的ネガティヴ因子だけで、あれだけの大崩壊が起こり得たのだろうか。外因は全く無かったのか。外的諸要因を無視して構わないのであろうか。
実例を提出。「1972年6月20日 亡命クロアチア民族主義者19人の武装集団がスロヴェニアのマリボル近辺のオーストリア・ユーゴスラヴィア国境を越えて侵入し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの山中に拠点をつくり、クロアチア民族解放の戦闘を開始するも、7月末までに完全に失敗する。交戦における侵入側の死者15人、ユーゴスラヴィア側の死者13人。」(岩田昌征著『二〇世紀崩壊とユーゴスラヴィア戦争 日本異論派の言立て』御茶の水書房 2010年・平成22年 pp.51-52)
上記のような小規模とは言え、武装部隊侵入作戦を外的諸力の支援なしで実行出来たであろうか。
より重要な本格的事例。スウェーデンのウプサラで第9回社会学者世界大会が開かれた。1978年8月13日から19日まで。全世界から5千人を超える社会学研究者が集合した。ユーゴスラヴィアからも約50人参加。
アメリカ大統領国家安全保障問題補佐官ズビグニェフ・ブジェジンスキ(英語読みはブレジンスキー)は、大会直前に選ばれた有力なアメリカ人社会学者グループに、すなわち大会指導者達にアメリカ政府の新しい対ユーゴスラヴィア政策をレクチュアした。(1)ソ連モスクワに抵抗する力としてユーゴスラヴィアの中心ベオグラードを支援する。同時にユーゴスラヴィア国内においては、反ベオグラード的各地域の共産主義の天敵である分離主義的・民族主義的諸勢力すべてに援助を与える。(2)ユーゴスラヴィア内の反共産主義闘争においてマスメディア、映画製作、翻訳活動など文化的・イデオロギー的分野に浸透すべきである。(3)共産主義的平等主義に反対する闘争において人々の消費者メンタリティを一層刺激すべきである。(4)ユーゴスラヴィアの対外債務増大は、経済的・政治的圧力手段として将来活用できる。それ故、ヨーロッパ共同体諸国の対ユーゴスラヴィア新規信用供与を続行させるべきである。新規信用供与は債権者にとって一時的にマイナスであっても、である。(5)ソ連やチェコスロヴァキアの異論派グループに支援して来たようにこれからはユーゴスラヴィアの異論派グループにも亦システマティックに支援すべきである。支援対象は、必ずしも反共産主義的である必要はなく、むしろ、「プラクシス派」(チトーとカルデリを左から批判して来たマルクス主義哲学者グループ)のような「人間主義者」の方が良い。(6)チトーの死を待って、ユーゴスラヴィアの「軟化」に向けて組織的に取り組むべきである。民族間関係が主要ファクターである。ユーゴスラヴィア共産主義者同盟は、もはや政治的独占を失っている。ユーゴスラヴィア連邦軍は、外敵には強いが、内部からの攻撃には弱い。全人民防衛体制は、諸刃の剣である。(同上書pp.141-143)
上記の説明で評者は自分の旧著を使用した。著者も亦評者の別の著書を利用してくれている。但し、注記が不正確である。本書141頁に注(9)がつけられ、149頁に「(9)この辺の事情は岩田(1999)、第5章と第6章に詳しい。」とある。そこで、日本語参考文献を見ると、岩田昌征(1999)『凡人たちの社会主義―ユーゴスラヴィア・ポーランド・自主管理―』筑摩書房となっている。評者岩田の著書(1999)は、『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像 学者の冒険』(御茶の水書房)である。
また、第6章の注(1)の内容が本書の146—147頁に岩田(1985)からの引用文として記述されている。日本語参考文献の岩田昌征(1999)『凡人たちの…』がそれである。正しくは、岩田昌征(1985)『凡人たちの…』に訂正されねばならぬ。
さて、自主管理社会主義の危機と解体にかかわる外的諸ファクターを例示した今、第1章「ユーゴスラヴィア自主管理社会主義出現の時代背景」に戻って、そこに論述されていない興味深い史実、すなわち外的ファクターを指摘しておきたい。その史実は、第2章「自主管理社会主義の出現」「1.自主管理のアイデア」に密接に結び付く。
セルビア歴史学の大家故ミロラド・エクメチチ教授の大著『虐殺と耕作の間の長期的運動—―近世・近代(1492—1992)のセルビア史』(教科出版、ベオグラード、2007年、セルビア語)の511頁から514頁にわたって、評者が体制崩壊前には知らなかった、おそらく著者も亦知らなかっただろう史実が記述されている。
著者が本書第2章で労働者自主管理の第一歩として紹介した1950年6月の「労働者集団による国家経済企業と上級経済連合の管理に関する基本法」(いわゆる労働者自主管理法)は、エクメチチ教授によれば、1944年1月13日にイタリア・ファシストのヴェローナ集会で採択された基本文書「ヴェローナ憲章。企業社会化に関する法的布告」と酷似すると言う。エクメチチ教授は、両文献の構成と内容を対比している。
以下に教授の所論を簡略的に紹介しよう。
ナチスの落下傘部隊の救出作戦で自由となったムッソリーニは、北イタリアのサロでイタリア「新社会的共和国」を宣言した。そこで古典的資本主義ともソ連型官僚制社会主義とも異なる新しい社会秩序を追求した。生産の社会化と新しいタイプの所有が導入された。但し、ユーゴスラヴィアのケースとは異なって、イタリアの社会化は、工業部門の大企業と中企業に限られていた。小企業は、私的所有のままであった。社会化された諸企業に労働者評議会が導入され、経営委員会も導入された。企業長は、総会で秘密投票によって選出された。しかし、唯一の領導政党が厳存。
ドイツのナチストは、かかる「社会化」を疑惑の目で注視していた。共産主義の密輸入であると見ていた。100万リラ以上の資本と100人以上の従業員の工場すべてが社会化された。ナチスドイツの大使は、トリノの諸自動車工場を訪問視察して、かかる大工業コムプレックスの新しい管理システムが効率的かつ成功裡に諸工場を回転させていると結論を下した。大使の確信によれば、イタリアのファシズムは、一つの共産主義的理念を実験している。
ユーゴスラヴィアのスロヴェニア・パルチザン部隊がイタリアとスロヴェニアの係争地帯を解放した時、その地域に上記のような労働者評議会が存在し、工場の社会化が活きていたと見なし得る。進攻したユーゴスラヴィア解放軍は、それらの工場を国有化した。評者岩田がここに注釈を入れると、当時のユーゴスラヴィア・コムニストは、スターリン型の国有国営社会主義論を当然であると信じていたからである。
著者は、第1章3「独自の社会主義の探求」の注(2)(p.16、p.19)でトリエステ周辺地域をめぐるユーゴスラヴィアとイタリアの領土紛争を解説しているにもかかわらず、エクメチチ教授が指摘したような労働者自主管理と生産手段社会有化の理念論的・制度論的起源に関して当該地域が持っていたかも知れない意味を全く考察していない。1979年2月に死去するまで、ユーゴスラヴィア社会主義の理念論的かつ理論的最高指導者がスロヴェニア人エドワルド・カルデリであった事をここで想起しよう。第一次世界大戦直後、イタリア・コムニストのグラムシがトリノを拠点に組織した工場評議会(工場ソビエト)が1920年につぶされ、ファシストのムッソリーニによって1944年に復活され、ユーゴスラヴィア・スロヴェニア出身のコムニスト・カルデリによって継受・発展させられたと言う次第である。
最終章ではなく、補論の形で「モンドラゴンの経験が教えること」が論じられている。評者は、スペイン・バスク地方のモンドラゴン協同組合体系について研究した事が無い。従って特に述べる事もないが、一つだけ言っておこう。前述したエクメチチ教授がユーゴスラヴィア労働者自主管理の起源の一つとして、ムッソリーニの実験と並べて、1936年秋にスペインのカタロニア地方で導入された「産業の労働者管理」を挙げている(p.512)のを想起して、評者は、その5年後にスペインのバスク地方で副司祭として働いていたモンドラゴン協同組合創設者のアリスメンディリエタ神父もまたカタロニアの実験に影響されたのかも知れないと想像を逞しくした。
労働者自主管理思想がカタロニア、バスク、北イオタリア、ユーゴスラヴィアというぐあいに国々を異にし、カトリック、ファシスト、コムニスト、というぐあいに信条を異にした人々によって試みられてきたし、試みられている歴史的事実は、株主主権、官僚統制と並んで、生命力ある経営哲学であることを示唆しているようだ。
本書の終章には標題がない。「まえがき」や「あとがき」に題名がないのと同じ扱いである。著者の本書執筆の問題意識が読者にくっきり伝わる章題が欲しかった。終章の最後の文章は、「レーニン主義的組織原則に基づくユーゴ共産主義者同盟の一党支配の下で自主管理社会主義を発展させようとしたことにそもそも無理があった。」(p.170)である。「そもそも無理があった」からと言って、やるべきではなかったと言う趣旨の教訓を引き出してはいない。本質的に新自由主義の株主主権に傾斜せざるを得ない資本主義下に生きる勤労生活者が自分達の未来を考える上で有益な教訓を引き出せる全社会的実験であるとユーゴスラヴィア自主管理社会主義を見なしているが故に、今日ユーゴスラヴィアが特に注目されているわけでもなく、むしろ忘れられた時代に、著者は、あえて本書を執筆した。立派である。
「あとがき」で著者は、「やはり、企業では有能な経営者は必要であり、現場の労働者による管理との適切な組み合わせが大事である。」と教訓を引き出す。評者によれば、著者とはやや異なって、ユーゴスラヴィア自主管理社会主義の最大の弱点は、国家死滅論イデオロギーの過剰化によって良質な国家官僚層を育成出来なかった所にある。ベオグラードの夕刊新聞『ポリティカ・エクスプレス』(1984年8月25日)に評者のユーゴスラヴィア・コムニストに対する批評・意見が載っている。「私の意見では、経済システムというものは、市場、協議、国家の諸作用がうまく組み合わされて、はじめて制御されるものだ。……。あなた方は、国家の役割を否定して、その結果、経済政策の真の担い手をもてなくなっている。良い自主管理者と良い商人(ビジネスマン)が必要であるのと同様に、良い官僚もまた必要であろう。ある種の問題は、合理的な行政的強制なしに解決できない。それがなければ、すべて議論で終わってしまい、だれも実行しない。要するに、官僚という言葉がユーゴスラヴィアでは否定的な響きだけをもっている……。」(岩田昌征『凡人たちの社会主義』筑摩書房、1985年・昭和60年、pp.40-41)。40年前、すなわち自主管理体制崩壊より5年前の評者による発言である。
著者の好著を読了して、旧ユーゴスラヴィア自主管理社会主義の歴史実験としての意味、更には未来史への意味に触れた読者は、評者岩田の論文「自主管理社会主義の矛盾と終焉」(岩田昌征著『ユーゴスラヴィア――衝突する歴史と抗争する文明』第3章、NTT出版、1994年・平成6年)とマルクス哲学者田上孝一の論文「旧ユーゴスラヴィアの教訓」(『これからの社会主義入門—―環境の世紀における批判的マルクス主義』第7章、あけび書房、2023年・令和5年)を併読して、かの歴史実験を深考して欲しい。
注:本稿の四分の一に圧縮された文章が、『フラタニティ』(ロゴス 2025年6月)と、
『図書新聞』(2025年7月5日号)においてすでに発表されている。(筆者)
2025年・令和7年 岩田昌征
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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