人間の行く末

6月15・16日、東京に全国各地から集まった人びと、3.11のあの被害からこれまでの道のりを振り返り、幾多の想いを述べ手を取り合って最高裁判所の周りを囲んだ・・・。近しい人を失い、不安におびえ、歩む日々は今も続く。すがる司法に「良心を」、国に「安心な生活を」と、精一杯叫んだ。

その中で、ふーとあの日、6月15日を思い出す。

1960年6月15日国会議事堂前、樺美智子さんが亡くなった日だ。

翌朝遠く離れた岐阜の街頭にいた私たちは手にしていた募金箱を持って夜行列車に乗り込んだ。東京へ、東京へ。列車の通路も棚も人で埋め尽くされた。新宿も国会前も人の波と熱気であふれていたあの日が、65年後のいまその場に蘇る。

“気候変動“の故の猛暑なのか? 世界中で猛暑が人びとを襲い、東欧・中東で戦争が続いているこの年、この夏。

65年前と比べたら途方もなく生活は変わった。

技術進歩で途方もなく便利になった???

どこでも人と連絡が取れ、知らない情報を見て取れる・・・、電車の中はそんな情報を見ている人ばかり・・・だ。

一日の始まりに祈りを捧げ、自然から生み出されたいのちを頂いて生きてきた生活の有り様は私たちの生活を豊かにしてきた。それはおいしい食べ物になり、かわいく素敵な作品を、踊りや音楽を生み出してきた。子どもも大人も集まっては楽しんだ。いまも和菓子屋さんが使う干菓子の木型は、昔の子どもの頃に家にあったもの、おめでたいお菓子も金太郎飴も作っていた。

そして、書物や絵画、映像で伝えられた憧れの西欧の生活・文化は、今は知らぬ間に私たちの生活になっている。

しかし・・・、

いま見ている西欧の国ぐにがやっていることはなんだろう?

自分たちは優れた人間だ、強い国なんだ。

強い国・強い者に従え、法律や約束など糞くらえ!

従わなければ攻撃だ。話し合いより殲滅だ。

廃墟となった町や村、その映像は80年前の「自分たち」を思わせる。

積み上げてきた生活やいのちを破壊することにいまも痛みはないのか。

歴史の中でずっとずっと短いこの「科学技術の時代」が生み出したもの、それは何か。他よりも優位に立って利益を得、人間の情や心も破壊することなのか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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