皆さまお変わりはありませんか。私は大学退職後も細々とではありますが研究と執筆活動を続けております。さてこのたび社会評論社から、2012年以来書き続けてきた『転回点としての<現代>を問う』という論文を五巻に分けて出版することになりました。これは、私が今までの生涯において経験し、学び、実践し、表現しようとしてきたことのすべてを注ぎ込もうとした文字通りのライフワークというべき著作です。
この論文にはいくつかの側面があります。まず<1968年>世代の遺言という側面です。17歳から18歳の高校生の時代に第一次羽田闘争や佐世保・王子闘争、さらには東大・日大闘争から受けた衝撃とともに始まった私の精神的・思想的歩みは、それに続く1970年代の運動の後退局面、1980年代の消費資本主義とポスト・モダニズムの台頭の局面、1990年代の冷戦の終焉によるマルクス主義思想の退潮局面などを経るなかで様々な紆余曲折を辿らざるをえませんでした。その足跡をあらためて確かめ直してみることは、人生の終盤を迎えつつある私にとってこの論文を書く重要なモティーフとなりました。同時にそれは、<1968年>世代が何を考え、何を後の世代に託そうとしているのかをこの論文を通して知っていただきたいという思いにもつながります。ただそれ以上にこの論文を書く上で大きな意味を持っていたのは、21世紀に入って直面しなければならなかった状況と私たちはどのように向き合ったらよいのか、という問題でした。というのも21世紀に入ると、ある意味<1968年>世代にとっては当たり前のことであった、あるべき世界のあり方やその理念・理想について考え、構想し、それを実現しようと努めることや、それを妨げようとする不正な制度や秩序に対して怒り反抗することが、決して当たり前のことではなくなっていったからです。少し大げさないい方になりますが、すさまじい逆風が、より人間的たらんとするために、より良き社会を作るために不可欠な思想や実践を追求しようとする努力に向かって吹き始めたのでした。その逆風をもたらしたのは、冷戦終焉後の状況のなかで力を得ていったグローバル=マネー資本主義と、夜郎自大な権威主義や陋劣な極右ポピュリズムとの野合状況でした。そこにSNSのような電子情報ネットワークの支配力が加わったのはいうまでもありません。そうしたなかで、カネや権力へのむき出しの欲望が「ホンネ」として賞賛され肯定される一方、理念や理想を掲げることや、他者に対する寛容や謙譲、弱いものや虐げられているものに対して共感や共苦の思いを抱くことが、「タテマエ」や「偽善」の押しつけとして侮蔑や憎悪の的にされてしまうような倒錯した事態が生まれてしまいました。それは、弱者やマイノリティを差別と抑圧の蟻地獄へと追いやろうとする新自由主義的なグローバル=マネー資本主義の必然的な産物でした。そうしたなかで2001年9月11日と2011年3月11日の二つの出来事は起きたのです。それは、グローバル=マネー資本主義が跋扈するなかで人類が未曽有というべき深刻な危機に直面していることを露呈させました。その危機が、人類の生きる場としての社会を危うくするだけでなく、全地球の存立すらも危うくしかねないものだったことは、2008年の経済危機や2011年の福島第一原発事故が示した通りです。そして私は、冷戦終焉後、こうした危機に対して立ち向かうべき思想や理論がまったく無力となってしまっていることにあらためて気づかされたのでした。その中核にマルクス主義思想の失墜があったことはいうまでもありません。
危機はますます深刻になりつつあります。そうしたなかで私は、自分のたどってきた<1968年>以来の歩みとその間の状況の変化を振り返るとともに、これからの世界のために私たちが何を求められているのかについても徹底的に考えみようと思い立ったのでした。それは、自分自身のこれまでの精神的・思想的な彷徨に一つの区切りをつけるとともに、深刻な危機的状況のなかにあるこの世界に対して何らかのかたちで問題提起を行いたいという思いにかられてのことでした。こうして書き始められたのが本論文です。その執筆作業はいつのまにか10年を超えました。極度に出版事情の悪い今の時代にこんな本を出してくれる出版社があるとは思えませんでした。出版のあてもないまま原稿を書き続けながら、しばしば自分がとてつもなく反時代なことをしていると感じずにはいられませんでした。それでも書くことを止める気にはなりませんでした。こうした状況だからこそ時代に向かって、たとえか細くとも声をあげたいという思いを抑えることが出来なかったからです。10年を超えて書き続けてきた原稿はかなりの分量になりました。現在のところ400字詰め原稿用紙に換算して8000枚強になっています。最終の第五巻の原稿はまだ執筆中ですからもう少し増えるはずです。ところがそんな私の論文を社会評論社が出版しようといってくれたのです。これが快挙なのか、愚挙なのかはにわかに決めることは出来ないでしょう。だが少なくとも私にとってこれが思いがけない光明であったのは間違いありません。とはいっても出版事情の厳しさは相変わらずです。現在のところ全五巻のうち第一巻は本年9月頃までには、第二巻は年内には出せそうなのですが、第三巻以下はもう少し時間がかかりそうです。一冊当たりの定価もかなり高くなります。また現在の出版事情の下で著者の費用負担分がかなりの金額になるのもやむをえません。というわけで皆様には大変心苦しいのですか、どうかそのあたりの事情をご理解いただき、あえてこの無謀な企てに出た社会評論社、そしてそれを受け入れた私に対して、出版にあたって財政面でのご助力を賜りますようお願い申し上げる次第です。
そこで早速お願いしたいのがまもなく発刊される第一巻の予約購入です。第一巻はA5判二段組681頁で定価は8500円を予定しておりますが、予約購入の場合7000円で購入していただけます(税込みです)。出来上がり次第郵送させていただきますが送料は7000円に含まれます。この機会にぜひ予約購入の申し込みをいただきますようお願い申し上げる次第です。予約購入代金振り込み先は、名義:タカハシジュンイチ 口座番号:りそな銀行早稲田支店 普通0264905 です。振込にあたってはお手数ですが下記の連絡先へ送付先のご住所・電話番号をお知らせください。それに従い本と領収書をお送りいたします。
2025年6月23日
髙橋順一
〒169-0075東京都新宿区高田馬場4-30-23-104 090-6112-4861 junichi@waseda.jp
高橋順一(たかはしじゅんいち) 1950年仙台市生まれ。現在早稲田大学名誉教授。埼玉大学大学院修了。1968年から69年にかけての高校生時代には革共同中核派の一員として70年安保闘争や東大・日大闘争などに参加する。1970年青学大入学後は共産同叛旗派に加わりブントの党内闘争に関わるとともに、三里塚・沖縄・砂川闘争を担っていく。72年三里塚闘争によって逮捕され獄中にあったとき連合赤軍問題に遭遇しその衝撃から運動を離脱する。その後立教大学に再入学し、マルクス・ヘーゲル・フッサール・メルロー=ポンティ・吉本隆明・廣松渉らの著作を通じてドイツを中心とするヨーロッパ思想史および戦後日本思想の研究に没頭していく。その過程でフォーラム90S‘、アソシエ21,変革のためのアソシエの活動や、雑誌『情況』の発刊活動にも関わる。著書に『現代思想の境位』(共編著 エスエル出版会)『始源のトポス』(同)『越境する思考』(青弓社)『市民社会の弁証法』(弘文堂)『ヴァルター・ベンヤミン』(講談社現代新書)『ニーチェ事典』(共編著 弘文堂)『響きと思考のあいだ』(青弓社)『戦争と暴力の系譜学』(実践社)『ヴァルター・ベンヤミン解読』(社会評論社)『吉本隆明と親鸞』(同)『吉本隆明と共同幻想』(同)など。翻訳書にベンヤミン『パサージュ論』(岩波文庫)アドルノ『ヴァーグナー試論』(作品社)同『哲学用語入門』(同)。
なお全巻の構成は以下の通りになる予定です。第二巻以降もひき続きよろしくお願いいたします。
転回点としての<現代>を問う
第一巻
転回点としての<現在>を問う1 ―「三・一一以後」の世界と<市民社会の弁証法>の行方 ―
プロローグ ― 転回点、あるいは近代の終焉へ ―
第一章「三・一一以後」 ― 「市民社会の弁証法」への問い
第一節 転回点
第二節 <東北>とは何か
第三節 消費社会論とポスト・モダニズム
第四節 消費社会論への疑問
第五節 今あらためて「市民社会の弁証法」を問う
第二章 グローバル化の進行から文明の終焉へ
第一節 冷戦の終焉と新たな問題のはじまり
第二節 新「帝国」秩序とアドミニストレーション・システム
第三節 エスニック・ナショナリズムと急進原理主義
第四節 ナショナリズムと「強欲」の結託という病理の蔓延
第五節 文明の終焉
第三章 終わりの始まり ― <一九六八年>、そして<九・一一>以後の世界へ
はじめに
第一節 「九・一一」とは何か ― 二〇世紀の暴力の歴史
第二節 二〇世紀という時代と「死者」たちのまなざし
第三節 新自由主義/新保守主義の登場
第四節 「文明」の逆説としての新自由主義/新保守主義
第五節 一九六八年の「革命」
Ⅰ 序説 ― 近代市民社会の論理 ―
はじめに ― 近代とは何か
第一章 近代の構造
第一節 近代啓蒙
第二節 主体
第三節 近代合理主義イデオロギー
第二章 近代史の捉えなおしに向けて
第一節 ゲーテとニュートン
第二節 啓蒙と反啓蒙の対抗 ―― ニヒリズム
第三節 美的近代
第三章 目的なき手段の合理性と暴力の相関 ― 二〇世紀社会の諸相
第一節全体主義現象 ― ファシズムとスターリン主義
第二節 高度消費社会
第三節 新自由主義/新保守主義
第四章 近代市民社会の知
第一節 「啓蒙の弁証法」へ
第二節 <暗い著述家たち>と<黒い著述家たち> ― マキャヴェリ・ホッブズ・サド・ニー チェ
第三節 <マルクス-ニーチェ>視座 ― <暗い>思想と<黒い>思想の統合
第四節 マックス・ウェーバー ― 合理性の行方
Ⅱ アドルノ ― 啓蒙のパラドックス ―
はじめに *ニーチェと啓蒙の弁証法 *啓蒙の弁証法のパラドックス
第一章 「オデュッセウス論」をめぐって
第一節 自己保存と「無力」
第二節 自己喪失の危難
第三節 自己保存と自己喪失の連関
第四節 甘美な誘惑
第五節 狡智と犠牲
第六節 外的自然の支配から内的自然の支配へ
第七節 始原の暴力
第八節 犠牲と交換 *自己犠牲
第九節 断念 *交換の不等性
第二章「セイレーンの物語」
第一節 死へのミメーシス
第二節 運命と罪連関
第三節 契約とすきま
第四節 「セイレーンの物語」
第五節 同一性の境位 *ねじれ歪む主体
第六節 分業と支配の起源 *闘争と承認
第七節 主と僕 ― 労働と自己‐物‐化 *主人の自立性の顛倒
第八節 「幸福」の約束 ― 芸術の起源 *芸術
第九節 支配なきミメーシスへ
第三章「支配なきミメーシス」への道
第一節 認識の力 *認識と覚醒
第二節 ヘーゲルの論理の読み換えに向けて *理性の自己切開
第三節 限定された否定
第四節 啓蒙の第一の運動 ―― 同一性の析出
第五節 啓蒙の第二の運動 ―― 自然の反乱 *外部と内部 *同一性の裂け目
第六節 支配=権力連関の成立
第七節 「昔々あったとさ(Es war einmal)」
第八節 言語表現
第九節 アドルノの異議申し立ての意味
補論 アドルノのヴァーグナー論から見えてくるもの ― 仮象と仮象を内破するもの ―
はじめに *ベートーヴェンとシェーンベルク *移行の過程 *ヴァーグナー
第一章 微視的な視点
第一節 ナチズムとの内在的対決
第二節 微視的な方法 ―― 芸術社会学に向けて
第三節 ヴァーグナーの問題性
第四節 「ヴァーグナー覚書」―― 最初のヴァーグナーへのアプローチ
第二章 美的仮象について
第一節 ニーチェの『悲劇の誕生』
第二節 美的仮象の意味
第三節 アドルノによる美的仮象の認識の転換
第四節 美的仮象から神話へ
第三章 ファンタスマゴリーと神話
第一節 『タンホイザー』におけるファンタスマゴリー
第二節 縮小化
第三節 ファンタスマゴリーと商品物神の接近
第四節 商品生産の条件
第五節 ファンタスマゴリーからの脱出
第四章 ヴァーグナーにおいて救われるべきもの
第一節 ファンタスマゴリーの破れ目
第二節 ボッティチェルリ「春」と「ヴィーナスの誕生」から
Ⅲ マルクス ― 資本の支配 ―
はじめに
第一節 始原としての秩序空白状態
第二節 同一性と非同一性
第三節 社会形成原理の解明
第四節 マルクスの「政治経済学批判」 *価値形態とは何か *価値形態と労働の結合
第一章 商品から貨幣へ ― 価値形態の論理
第一節 二つの商品の交換 *商品 *交換価値
第二節 相対的価値形態と等価形態 *抽象的人間労働 *相対的価値形態と労働の量的規定
第三節 二者関係から三者関係へ *相対的価値形態と等価形態の不等性
第四節 貨幣生成の論理 *商品と貨幣の顛倒
第五節 二重顛倒
第二章 顛倒の論理 ― マルクスの認識論
第一節 商品の神秘的性格
第二節 価値形態 *非(反)対象化論の文脈の登場 *不在的現前・現前的不在
第三節 第三項排除 *第三項排除運動
第四節 マルクスの認識論 *マルクスの認識論の核心 *構造因果性
第五節 ダールシュテルングの論理 *非同一的なもの *労働を非対象化の側から見ること
第三章 剰余価値 ― 搾取=開発の論理
第一節 資本形成と剰余価値の発生 *価値の自己増殖という外観
第二節 等価交換と剰余価値 *質量交換
第三節 剰余価値の起源としての労働 *必要労働時間と剰余労働時間
第四節 搾取=開発の意味 *資本の文明化作用
第五節 生きた労働 *資本の自己増殖過程としての循環運動 *絶対的剰余価値から相対的情価値へ
第六節 相対的剰余価値の生産 *アソシアシオン
第七節 機械と固定資本 *不変資本と可変資本 *苦役労働観を超えて
第八節 資本の自己増殖過程の完成
第四章 資本とは何か
第一節 資本の無限運動 *資本
第二節『要綱』の資本観
第三節 流通過程で消失しない交換価値
第四節 資本と労働のあいだの質量交換 *死と生の交換
第五節 ローザ・ルクセンブルクの資本観 *資本生成の起源としての外部 *資本の 起源としての 非資本 主義的なもの
第六節 外部を食いつぶす資本 *剰余価値の起源としての差異
第七節 ハイパー資本への変貌 *「ハイパー資本主義化」と「マネーゲーム化」
第八節 資本主義の終焉への予感 *資本主義の自壊の始まり
第九節 今あらためてマルクスを問い直すことの意味
補論 アルチュセールとフロイト・ラカン
― 伊吹浩一『はじまりの哲学 アルチュセールとラカン』(社会評論社 2022年)をめぐって ―
はじめに ― アルチュセールとは何者か
第一章 アルチュセールの理論的起源としてのラカン
第一節 アルチュセールのマルクス思想・理論の再解釈のポイント ― 「はじまり」の問題
第二節 起源としてのラカン理論
第三節「読むこと」、そしてエピステモロジー―「イデオロギーから科学へ」
第四節「言葉がない」― フロイトが直面した困難
第五節 無意識の科学 ― その思想的意味
第六節 無意識の科学の起源としてのソシュール言語学 ― 無意味なシニフィアンへ
第七節 シニフィアンの連鎖 ― 「欲望」
第八節 マルクスとフロイトの「哲学的類似性」
第二章 ラカン理論の構造と展開 ― そのプロブレマティク
はじめに ― アルチュセールのイデオロギー論を入り口に
第一節 鏡像段階 ― 自己の身体像
第二節 自我理想と理想自我 ― 象徴界へ
第三節 「一の印」、そして父=〈他者〉と母=〈もの〉
第四節 「パロール(語ること)」― 主体(存在)・無意味・意味(〈他者〉)
第五節 「無意識の主体」 ― クッションの綴じ目
第六節 「対象a」― リビドー化された身体から欲動へ
第七節 欲動の二重性 ― 生の欲動と死の欲動
第八節 「身体のリビドー化」― なぜ自己の身体像は魅惑的なのか
第九節 シニフィアンからこぼれ落ちる余剰物としての「対象a」
第十節 「呼びかけ」と「応答」― 「声」へ
第三章 国家とイデオロギー装置
はじめに
第一節 「抑圧装置」と「イデオロギー装置」
第二節 「自由な主体」
第三節 カントの超越論性
第四節 柄谷行人の「超越論的統覚X」
第五節 「対象a」とは何か
第四章 理論と実践
第一節 科学とイデオロギーの永久闘争
第二節 ラカン理論とアルチュセールのイデオロギー論の閾値点としての「対象a」
第五章 コミュニズムへ
はじめに ― 祝祭と供儀、そして死
第一節 現在と未来を明確に分離する時間の構造 ― エコノミカルな合目的性へ
第二節 死の意識 ― 対象化のもたらすもの
第三節 「俗なる世界」
第四節 禁止と侵犯 ― 「聖なるもの」へ
第五節 「死の欲動」の意味
第六節 「聖なるもの」=「呪われた部分」― コミュニズムの根底へ
むすび ― 交感・交響としてのコミュニズムへ
Ⅳ ニーチェ ― <近代>の解体 ―
はじめに
第一章 系譜学の問題機制
第一節 「徳」の顛倒・倒錯
第二節 形而上学批判 *発生と根源
第三節 道徳の系譜学
第四節 血と戦慄 *力
第五節 能動的ニヒリズムと受動的ニヒリズム
第二章「力への意志」をめぐって
第一節 闘争と力 *無機的世界
第二節 解釈の遠近法 *力の不均衡な相互関係の現前
第三節 永遠回帰
第三章 終わりに
第一章 認識の魔 *否定性と肯定性
第二章 自然史の思想 *価値の顛倒
第三節 ニーチェから見えてくるもの
補論第一章 解釈と系譜学
第一節 ニーチェの解釈設定
第二節 形而上学批判の視点
第三節 アゴーンとしての解釈 ― 二つの解釈観の争い
第四節 「系譜学」と「力への意志」 ― ドゥルーズのニーチェ観にふれつつ *出来事の一回性
第五節 フーコーのニーチェ観
第六節 ニーチェの解釈観と哲学的解釈学
補論第二章 ニヒリズム
第一節 ニーチェのニヒリズム概念の概観
第二節 ニヒリズムの三つの段階
第三節 ニーチェのニヒリズム概念の多面性 *能動的ニヒリズムと受動的ニヒリズム
第四節 ニーチェのニヒリズム概念の歴史的位置づけ
第二巻
転回点としての<現代>を問う2― 再検証の試み アドルノの政治・社会思想 ―
イントロダクション ―― 今あらためてアドルノ・マルクス・ニーチェを問う
Ⅴ 再検証の試み アドルノ の政治・社会思想 ― 『啓蒙の弁証法』から『否定弁証法』へ
第一章 批判理論という概念 ―― ホルクハイマーとアドルノ *批判理論
第一節 ホルクハイマー「伝統的理論と批判理論」
第二節 アドルノ「哲学のアクチュアリティ」「自然史の理念」
第三節 ホルクハイマー「エゴイズムと解放運動」
第二章 『啓蒙の弁証法』以降のアドル ノの社会理論をめぐって ― ホネットとアドルノ
第一節 ホネット『権力の批判』におけるアドルノ批判
第二節 アドルノ「社会学と経験的研究」および「社会科学の論理によせて」によるホネットへの反証
の試み
第三章 ハーバーマスの『啓蒙の弁証法』論から見えてくるもの ― ハーバーマスとホルクハ
イマー /アドルノ
はじめに
第一節 ハーバーマスによる『啓蒙の弁証法』の要約
第二節 ハーバーマスの立脚点
第三節 マルクスのイデオロギー批判との関連
第四節 ニーチェと『啓蒙の弁証法』
第五節 ハーバーマスのニーチェ批判の要諦
第六節 ふたたびニーチェと『啓蒙の弁証法』について
第七節 ハーバーマスの近代認識の構図 *モデルネの認識 * ヘーゲル * ヘーゲル左派/ヘーゲル右派/ニー
チェ *マルクス理解 ― 今村仁司「非対象化労働論」を媒介としつつ
第八節 「労働と相互行為」「認識と関心」をめぐって
第九節 小括
第四章 スーザン・バック=モース『否定弁証法の起源』
第一節 一つのエピソード ― ベルリン・サークル
第二節 アドルノの知的起源
第三節 「はかなさ」としての作品の真理 *古楽問題
第四節 ルカーチ批判の意味
第五節 「統整的」であること
第六節 歴史の真理
第七節 崩壊の論理
第八節 批判理論
第九節 「形而上学への確信なき形而上学者」と「神の摂理への信仰なきモラリスト」
第十節 「啓蒙の弁証法」へ
第十一節 ハイデガー批判
第十二節 理性と現実
第十三節 フッサール批判
第十四節 特個的なものへ ― サルトル、ベンヤミン、ジンメル
第十五節 非志向的真理
第五章 フレドリック. ジェイムスン『後期マルクス主義 アドルノもしくは弁証法の持続力』
第一節 「時代の流れのなかのアドルノ」
第二節 概念の暗鬱な呪縛力
第三節 主観と客観
第四節 「ポスト・モダニズムにおけるアドルノ」
第六章 表弘一郎
はじめに
第一節 社会の消滅
第二節 社会的啓蒙
第三節 アドルノの社会概念
第四節 交換
第五節 ホネットとボンス
第六節 アドルノの「社会理論プロジェクト」
第七節 終わりに
第三巻
転回点としての<現代>を問う 3 ― 再検証の試み アドルノの哲学・音楽思想 ―
第一章 入谷秀一
第一節 アドルノという気がかり * 背理/自家撞着 * 教える・教えられる
第二節 間奏曲風に ― レヴィナス『全体性と無限』から * 戦争 * 終末論 * 法外なもの・他者の顔
第三節 アドルノにおける他なるもの* ごみやがらくた * オートビオグラフィー * 自 己のなかの他者
第四節 『ヴァーグナー試論』 * 芸術の二重性格 ― アルブレヒト・ヴェルマー * サイードのアドルノ批判
* サイ ードの音楽論の要諦 *「哲学のアクチュアリティ」 *『試論』への導入 *「音楽、言語、そして現代の
作曲に おける両者の関係」* ふたたび『試論』へ
第五節 概括 * ニーチェ * 自然史*サイード、また * カント* ホネット
第二章 竹峰義和
第一節 沈黙
第二節 自然の寓意的な救済
第三節 音楽
第四節 ふたたび沈黙へ
第五節 アドルノのシェーンベルク論 * 剽窃と違和 * 認識と救済 * <物象化と救済 ― 「音楽の社会的状
態 によ せて」> * <忘却の力 ― 「シェーン ベルクと進歩」> * <投壜通信の隘路 ― 『新音楽の哲学』序論>
*<仮 象と真理 ― 『美学理論』>
第六節 終わりに
Ⅵ 再検証の試み ヴァーグナー/シェーン ベルク/アドルノ ー
はじめに
第一章 ヴァーグナー問題
第一節 バディウのヴァーグナー *ヴィーラントからシェロー=ブーレーズへ
第二節 ラクー=ラバルト『虚構の音楽』 *「ニーチェとヴァーグナーの断絶」の意味 *四つの論点
第三節 バディウ・コントラ・ラクー=ラバルト *「神話」「技術」「全体化」「統一‐綜合」の役割 *追
求すべき四つの「理念の性質」
第二章 アドルノの音楽思想をめぐって1 ラクー=ラバルトのアドルノ『モーゼスとアロ
ン』論批判
第一節 シェーンベルクのオペラ『モーゼスとアロン』 *偶像禁止のパラドックス ― 血塗られた独裁と暴
虐の起源としてのモー セ *偶像禁止を打破せよ *「偉大な芸術」 *ハイデガーの美学の問題性 *ラクー
=ラバルトのアドルノ批判 *モダニズム/アヴァンギャルド芸術とは何か
第二節 聖なる断片 *「不可能性」という主題 *モーセの矛盾
第三節 崇高 *フロイトのミケランジェロ「モーセ」像 *ユダヤ的崇高とギリシア的真理 *「啓蒙の 弁証
法」から「否定 弁証法」へ *カントの崇高概念をめぐって *カントのパラドックス *構想力 *カントの崇高
とアドルノ *オラトリオ
第四節 ヴァーグナーの楽劇原理と『モーゼスとアロン』― 「国家美学主義」の問題 ― *『パルジフ
ァル』について *神話と「聖なる芸術」
第五節 ラクー=ラバルトのアドルノ批判の四つのポイント *アドルノの「聖なる芸術」としての『モー
ゼスとアロン』の認識 *国家美学主義 *J – L・ナンシー 「無為の 共同体」とクリナメン
第六節 『モーゼスとアロン』第三幕の意味 *モーセのアロンに対する敗北と挫折 *ラクー=ラバルトの 第
三幕 認識の誤り *アドルノによる「救出」*休止の意味 *『モーゼスとアロン』はいかなる作品であったのか
第三章 アドルノの音楽思想をめぐって2 バディウにおけるアドルノとヴァーグナー
第一節 バディウの『否定弁証法』読解
*五つの論点 *『否定弁証法』の方法 *同一性による非同一性、差異の抑圧 *「星座的布置連関」 *非‐同
一性の思考 *『パルジファル』における共苦 *「アウシュヴィッツ以後」の倫理 *アドルノの四つの「命法」
*仮象の救済 *根源的受動性 *カントとヘーゲルから継承したもの *『否定弁証法』の三つの主題
第二節 ヴァーグナー問題へ
*【第三講 哲学的問題としてのワーグナー】 *【第四講 「ワーグナー問題」の再開】 *【第五 講 《パルジファ
ル》の謎】
第三節 バディウのヴァーグナー論の意義
第四巻
転回点としての<現在>を問う4 冷戦終焉後のマルクス思想の核心とは
Ⅶ. 再検証の試み ― マルクス ―
はじめに
第一節 非人間化 *精神を病むことの意味
第二節 労働の問題 ― 労働市場の過剰流動化
第一章 世界のマルクス化 ― 馬淵浩二『世界はなぜマルクス化するのか』
第一節「マルクス的言説」と「生命の社会的生産」*マルクス的言説の不在 *生命の社会的生産という点
第二節 四つの課題 *第一の課題 ―『ドイツ・イデオロギー』の視点 *第二の課題 ― 「原初的蓄積」の暴力
と「労働者身体」の産出 *第三の課題 ― 労働者の生存様式 *第四の課題 ― コミュニズム再審
第三節「弱さ」の思想
第二章 アーレントのマルクス論
第一節 仕事=制作と労働 *ヘーゲルの自己‐物‐化 *アーレントにおける物化 *マルクス労働論との対
質化とアーレントの誤認
第二節 マルクスのユートピア
第三節 古典主義的な合理主義/自由主義思想の系譜 *古典主義的合理主義/自由主義 *ハーバーマスの
市民的公共性
第四節 非対象化 -スピノザからマルクスへ
第三章 『資本論』の思想
第一節 宇野弘蔵の『資本論』解釈 *宇野のマルクス解釈の歴史的意味 *『資本論』叙述の端緒としての
商品 *商品における価値と使用価値の二重性 ― 労働力商品化論へ *宇野によるマルクスの言説=理論革命の
把握 *労働力商品化の核心へ *価値形成=増殖の秘密へ ― 労働力商品化論の核心 *資本の自己運動過程
第二節 熊野純彦『マルクス 資本論の思想』*対象性と非対象性 *永久運動としての資本 *身体 *「制作
的存在論」もしくは「現前の形而上学」?
第三節 ミヒャエル・ハインリッヒ『『資本論』の新しい読み方 21世紀のマルクス入門』 *形態分析
*物象化/物神 *「マルクスの新しい読み方」 *「価値、労働、貨幣」
第四章 ミシェル・アンリのマルクス論
はじめに * 形而上学=神学の起源としての対象化 * 支配/暴力の起源 * マルクスにおける非対象化の視点
第一節 マルクスの「哲学」* 『経済学=哲学草稿』 * 『ヘーゲル国法論の批判』1- ヘーゲルによるヘーゲ
ル批判 *『ヘーゲル国法論の批判』2- 民主主義/公共事/長子相続 * 『ヘーゲル国法論の批判』3- フォイエ
ルバッハ * 内在と超越/対象化と非対象化 ― ヘーゲル、フォイエ ルバッハ、そしてマルクス
第二節「生きた諸個人」という前提 ―「社会/歴史」の拒否へ*社会の拒否*シュティルナー批判*歴史
第三節 階級/分業 * 階級 * 分業
第四節 実践と理論*ポール・オーディのアンリ論から-<肉>の存在へ*フォイエルバッハの実践概念*欠乏
と受苦*「人間主義=自然主義」*ヘーゲルに対する最終審判*小さなものへ ―「倦厭」と「内容への憧憬」の
背景にあるもの*プラトニズム的知*アレゴリー-マニエリスムからバロックへ*「モデルニテ」*思惟/対象
化/疎外*直観*ヘーゲルの対象化 の論理との最終的な訣別-実践へ*最後に-『フォイエルバッハに関するテ
ーゼ』
第五章 デリダのマルクス論
第一節『マルクスの亡霊たち』*生きることを学ぶ=教える* 正義 * 幽霊=亡霊 *メシア的力 * デリダの正義
第二節 マルクスの「幽霊=亡霊」化 *「幽霊=亡霊」の複数性、そして<ヨーロッパ>へ *ヴァレリーそ
してハムレット *「たった一つだけ」の言い落し *「バイザー効果」
第三節 超感覚的な感覚 *「商品の物神的性格とその秘密」 *「現象学的良識」批判からダールシュテルングの
論理へ * 価値の自己増殖、資本蓄積へ * 亡霊/幻影 *「時間性」* 根源的な反覆可能性 * マルクスの悪魔祓い
第四節 シュティルナー * 体内化の顛倒性 * 二重顛倒 * マルクスとシュティルナーの相互憑依
第五節 憑在論 * 憑在論の定義 ― ドゥルーズ『差異と反復』/フロイト「快感原則の彼岸」に依拠しつつ *
『共産党宣言』 * ブランショ * 時間もしくはout of joint * 正しきもの * もう一つの正義 * アナクシマンドロス
の箴言 *「ト・クレオ―ン」 * デリダの註解 *「砂漠的なメシアニズム」 * ふたたびブランショへ ― 「マルク
スの三つの言葉」とは何か 思考・ 政治・科学: (a)思考 (b) 政治 (c) 科学
第六節 メシア的なもの *「解放を目指すメシア的な肯定」 * マルクスと宗教 ― 二つのメシア的なもの * 歓待
/憲法/革命そして国民=主権者(マルチチュード)
第五巻
転回点としての<現在>を問う5 ニーチェ 二〇世紀の命運 ハイデガーを介しながら
Ⅷ 再検証の試み4 ― ニーチェ ―
はじめに *ロワイヨモンのニーチェ会議 *ハイデガーの影響
第一章 ハイデガー『ニーチェ講義』Ⅰ-「芸術としての力への意志」
第一節 力への意志 *「力への意志(Wille zur Macht)」への問い *「主著(Hauptwerk)」に向かって
* 三つの根本的境涯 * 力への意志と永遠回帰と価値の転倒の統一性 * ニーチの諸断章 * 因果性 * 相対
的価値形態と等価形態のモデルに即して *『ニーチェ』Ⅱ「認識としての力への意志」から *「《本堂》の構
成 ― 逆転としてのニーチェの思惟様式」
第二節 ニヒリズム * ヨーロッパのニヒリズム * 断片一二番A * 断片一二番B *ハイデガーの「断片一
二番」解釈
第三節 価値定立とは何か
第四節 意志 * 力への意志としての意志* 情動・情熱・感情としての意志 :(a) 情動 (b) 情熱 (c)感情 *
「ニーチェの意志論 の観念論的解釈」*「哲学の根本問題と先導問題」
第五節 芸術 *「芸術についての五つの命題」*「美学の歴 史にみられる六つの根本的事実」
― 以下未完 ―
第六節 プラトン主義
第二章 ハイデガー思想とは何か
第三章 クロソウスキー・バタイユ・ブランショのニーチェ像
あとがき
参考文献表(欧文篇・和文篇)
事項索引
人名索引
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1354:250706〕