
(イスラエル国防軍に射殺されたガザの少年・アミール君〉
はじめに
私には、もう何十年も前にドイツに帰化した、ガザ出身のパレスチナ人の友人がいる。彼は1948年にナクバが起こったとき、2歳だったという。 その後、彼はガザの難民テントの中で生活してきたそうだ。彼が小さいときは、片道4キロの道程を毎日、靴がないので裸足でUNRWAが営む学校に通ったという。あるとき、近所のおじさんが、裸足であちこちをバタバタと歩き回る彼を気の毒に思い、タイヤの切れ端を鼻緒にして木製の履物を彼のために作ってくれたそうだ。それで、それを履いて学校へ通うようになったという。その話を聞きながら私は、タイヤの鼻緒がついた下駄のようなものを履いて元気に学校へ通う小さな男の子の姿を思い浮かべていた。
今回、ご紹介させていただくストーリーはガザの小さな男の子のストーリーである。 それは、GHF(ガザ人道支援財団)〈*註〉のもと、今年の5月17日から6月26日まで、ガザの人道支援物資配給拠点で働いた、退役米陸軍中佐・アンソニー・アギラー氏が語る、ほんの短い瞬間ではあったが触れ合いのあったガザの少年・アミール君の悲しい、悲しいストーリーである。 アミール君は、食料配給所で僅かな食物を手に入れて帰途に向かおうとするところをイスラエル国防軍の銃弾を浴びて、小さな尊い命を奪われたのである。
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アンソニー・アギラー氏について:陸軍士官学校 /ウェストポイントを出て陸軍中佐になった。はアメリカ陸軍で25年間、戦闘歩兵将校として、さらに特殊部隊、グリーンベレーの将校として勤務した。イラクに12回、アフガニスタンに3回、派遣された。シリア、タジキスタン、カザフスタン、ヨルダン、フィリピン、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナムにも派遣された。彼は戦闘で負傷し、パープルハートを受け、戦闘での武勇で青銅星章を授与され、戦闘での武勇で陸軍勲功章を授与されるという高い勲章を受けた軍人である。今年のはじめ、アンソニー・アギラー氏はGHF〈*註〉のもと、ガザで働くことになり、今年の5月17日から6月26日までガザに居た。彼がガザで働くのを決心した動機はガザの住民に食料を供給する任務は崇高な使命であると感じたためであるという。
彼はパレスチナ人が援助を受けるために物質配給拠点に到着する方法をこう描写している:それは「ハンガー・ゲーム」のような、最も適ナクバ者生存の原理に似ている。最も速く、最も遠くまで走って最初に現場に到着した者が援助を受けられる。そのため、通常援助を受けられないのは、子ども、女性、障害者である。パレスチナ人が援助配給の現場から退去する際には、彼らに対して発砲し、トウガラシ・スプレーや催涙ガスで攻撃し、散弾銃からゴム弾を発射するといった手段が用いられていた。
パレスチナ人のほとんどは靴を履いておらず、衣服も不十分で、食事も取れず、飢えに苦しんでいる。人道支援物資には水が配給されていない。 さらに、その場所に行くためには、片道10~12キロメートルの道程を危険な戦場を通って歩いていかなければならない。
彼はガザでの体験を次のように結論している:
現在の配給システムは、ガザの住民を養うものではない。実際には、私たちは彼らにほとんど何も提供していないため、彼らを飢えさせている。 現在のシステムは機能していない。 この事実をアメリカ国民に知らせることが自分の役割である。なぜなら、私たち・アメリカ国民の税金がこれに費やされているからだ。
〈*註〉GHF(Gaza Humanitarian Foundation= ガザ人道支援財団
ガザ人道支援財団(GHF)は、2025年2月に設立されたアメリカの人道支援団体で、現在進行中のガザ人道危機において人道支援物資の配給を行うことを目的としている。イスラエルとアメリカの政府の支援を受けて、GHFは2025年5月に、ハマスが援助を横流ししているというイスラエルの根拠のない主張に対応して活動を開始した。GHFは、元USAIDマネージャーのジョン・アクリー[8][いつ?]が執行役員を務め、アメリカのプロテスタント福音派の指導者兼実業家であるジョンニー・ムーアが執行会長を務めている。(Wikipedia)
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アミール少年のストーリーは、米ジャーナリスト・タッカー・カールソン氏がアギラー氏をインタビューした全内容の中から抜粋されたものである。
抜粋されたアミール少年のストーリーへのリンクは:https://www.youtube.com/watch?v=I3Dh3RZXG-A
私は、少年に対するエンパシーに満ちたアギラー氏が語るアミール君のストーリーをぜひ皆さまに知っていただきたいと願い、動画の英語字幕を追いながら和訳させていただいた。
動画 “Awful Story of Palestinian Child Killed by the IDF“ の和訳
タッカー・カールソン:
実に難しい話、凄まじい話なのですが、あなたと触れ合いがあった少年が射殺されたことについて聞かせていただけますか。 何が起こったのですか?
アンソニー・アギラー(Anthony Aguilar):
この少年は私の息子と同じような年齢で、茶色の瞳をしていました。私の息子も茶色の瞳をしています。私はこの少年を見たとき、息子の顔を見ました。
この少年はISISではありません。 彼は戦闘員でもありません。私はこれをまた聞きで言っているのではないのです。
この少年、彼の名前はアミール。 私が彼の名前を知っているのは、彼が人混みの中から私の方に歩いてきたからです。

〈与えられた僅かな食物を腕の中に抱えてアギラー氏に近づいてくるアミール少年〉
私たちは、彼が怪我をしているのか、もっと食べ物を求めてくるのかもしれないと思いました。なぜなら彼が自分の腕の中に抱えていたものは小さな米袋、小麦粉の袋半分、地面からかき集めたレンズ豆だけだったからです。 彼はたいしたものを持っていませんでした。 それで私たちは彼がもっと食べ物を欲しがっているのか、それとも、怪我をしているのかもしれないと思ったのです。
私たちが彼を呼び寄せますと、彼は近づいてきて右手を伸ばしてきました。 少年は、私の仲間の手を握り、その手にキスをしました。 それから彼は私のところにきて私の手を握って、私の手にキスをしたのです。 アラブの文化では、これは非常に意味ある敬意を示すジェスチャーなのです。

(アギラー氏の仲間の手をとってキスするアミール少年〉
彼はそこに立っていて、私たち二人は彼を見ていました。彼はとてもやせ衰えていました。彼は靴を履いていませんでした。 彼はそこに立っていて、私が彼の左肩に腕を置いて彼を見ますと、彼の肩の骨を感じることができました。 彼の腕の弱々しさを感じることができました。 私は、彼が脆く虚弱であることを感じることができました。

(アギラー氏がアミール君の左肩に降れてみると、肩の骨が突き出ているのを感じた〉
私には、彼の必死さが伝わってきました。私は彼の目を見ながら、彼に言いました。「人々は心配しているよ。 アメリカは心配している。 君たちが忘れ去られるようなことはないよ。世界の人たちが心配しているんだ。」
彼は英語を話さないし私はアラビア語を話しません。でも、私たちはお互いを見つめ合うことで繋がりをもち、彼は久しぶりに、初めて、自分たちのことを思って気にかけてくれる人がいたのだと感じたのでした。そして私は彼の高さまで膝をついて、彼は自分の手の中にあったものを地面に置きました。
彼は自分の手を上げました。 それは小さくて弱々しい手でした。骨が突き出ているのが見えました。わかりますか、ただの骨と皮だけなのです。
それから、彼は私の顔に彼の両手を置いて私にキスしたのです。彼は私の目を見て「ありがとう (Thank you)」と言いました。 彼は英語でそう言ったのです。
ガザで人々が飢えているように、ガザでは人々が死んでいます。 アミルは主群集に戻って、出口から外に出ました。
彼らは戦闘中の区域に戻らされ、SDS(安全配給場所 -Secure Distribution Site)の角のすぐそばにはIDF(イスラエル国防軍)の戦闘前哨部隊があります。そこでIDFは、配給場所を立ち去ろうとしている人々の群れを銃撃しているのです。 (パレスチナ人の)群集が去り、彼らが西方に向かうためにモラグ回廊に行くと、IDFは彼らを狙い撃ちします。そして、銃弾が地面に当たり始めます。
そのビデオがあります。BBCのビデオで、(銃弾が)地面に当たっているのです。 土埃が舞い上がるのが見えます。 それで、私はこの自動機関銃の銃撃が始まったのを聞いたとき、自分たちが攻撃されていると思ったのです。 そしてその銃撃は、ちょうどラップのように続いたのです。
そして、パレスチナ人は道端に倒れていきました。ですから、アミールが家に辿り着くことはなかったのです。
ー翻訳終わりー
以上
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14366:250808〕