「花岡『和解』と私たち」のFacebook より新刊案内です。
今のところ、ネットで買えるサイトはここです。
私の戦後責任:花岡「和解」を問い直すhttps://hashigosha.square.site/product/-/TJPXWJIYODO6FILT6QNBCXG6?cs=true&cst=custom
とても重要な本と思います。「私の」という言葉に注目しています。戦後責任に向き合う者にとって、「花岡”和解”」は誰もが避けて通れない問題なのではないかと思います。この本を通して、私は、日本の戦争責任、植民地責任に向き合おうとしてきた「自分」を振り返ることができたような気がしました。やられた側に立って考えたいといつも思っていながらも、権威ある人の声に引きずられてしまったり、大きな流れに吞み込まれて自分を失ってしまったりしたこともあったのではないかと。この本を編著した石田隆至さん、張宏波さん、他の著者の方々の、人間の尊厳へのコミットメントに心から敬意を表します。この問題を理解し、判断するために必要なファクトが網羅されている本と思います。詳細は以下をご覧ください。

【書籍刊行のご報告】
石田隆至・張宏波 編『私の戦後責任 花岡「和解」を問い直す』日本東方出版社、2025年12月15日刊行。
この度、〈花岡「和解」と私たち〉を運営する若手メンバーも編集と執筆を担当した、花岡「和解」に関する本格的な論集が刊行されました!Amazonでの販売は年明けからになりますが、当ページにて書影と目次を公開いたします。
【追記】Amazonとは別に、こちらの販売サイトからもご購入いただけます。https://hashigosha.square.site/product/-/TJPXWJIYODO6FILT6QNBCXG6?cs=true&cst=custom
書籍内容
「画期的」と評価されてきた鹿島花岡「和解」は、弁護団や支援者が原告被害者を出し抜いて成立していた!
1995年6月に戦後初めて行われた中国人強制連行・強制労働をめぐる訴訟は、2000年11月に法廷「和解」が成立した。弁護団や日本のメディアは加害企業・鹿島建設が5億円を拠出したと、こぞって賛美した。ところが、直後から、原告団長の耿諄ら被害者が次々と「和解」の受け入れを拒否し始める。「和解」の内実は、被害者の根本要求である加害事実の認定まで否定するものだったからだ。鹿島による419人の虐殺や虐待に法的責任が伴わないことを、被害者自身が認められるはずがない。被害者らは、そのような「和解」となることを弁護団から事前に説明されていなかったのである。
被害者の主体性を置き去りにし、弁護団主導で「和解」を強行するのは、「被害者中心主義」を掲げる現在の戦後補償運動の理念と逆行する。にもかかわらず、鹿島花岡「和解」は、戦後和解の「モデルケース」と賞賛され続けてきた。25年後の今も正当化や隠蔽の動きを許してきた経過を、自らの戦後責任として引き受けようと若い世代も結集した。花岡「和解」の知られざる実態に迫った初めての本格的書籍の刊行!
目次
刊行にあたって
第Ⅰ部 繰り返される被害者不在の戦後和解
第1章 花岡「和解」の経緯をたどる 金井良樹
第1節 強制連行から「和解」成立まで
第2節 「和解」はいかに正当化されたか
第2章 不可解な「和解」と中国側の動向 石田隆至・張宏波
第3章 再生産される鹿島花岡「和解」:『世界』による検証なき検証 石田隆至
第4章 「歴史的責任」の捏造と被害者置き去りの謝罪:安野・信濃川・三菱マテリアル「和解」 金井良樹・石田隆至・張宏波
資料編
第Ⅱ部 いま花岡「和解」に向きあう
第5章 映画『老華僑は黙らない』が示す花岡「和解」の現在地 山田泰史
第6章 法的責任なき「和解」への欲望 張宏波
第7章 アジア女性基金にみる「日本型戦後処理」:金銭拠出による法的責任の回避 李青凌
第8章 花岡現地から想いを巡らす過去と現在 高橋正吉
第9章 継続する植民地主義の暴力:花岡「和解」を事例に 坪田典子
第10章 壊されてきた原則論:「現実主義」という名の「転向」 金井良樹
あとがき
初出:「ピース・フィロソフィー」2025.12.27より許可を得て転載
https://peacephilosophy.blogspot.com/2025/12/blog-post.html
〈出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net
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