■閉塞感を払しょくするイメージ――それが高市大勝利に、「積極財政」が大きな訴求力――
今回の総選挙での高市大勝利の要因はなにか?はっきりしている。
長年にわたって日本をおおってきた閉塞感、モヤモヤしたイラつき、胸につまった「何とかしろ!」という変化を求める声に高市がこたえたからだ。それが「積極財政」だ。頭に「責任ある」と、それこそとってつけた一言をつけたが、それは単なる飾りでしかない。「積極財政」「大胆な政策転換」の掛け声が、特に若者に、そして中年層にいたるまで訴求力をもったのだ。それは、鬱積した閉塞感、いらいらした気分を吹き払い払しょくするイメージ、前向きの明るい展望らしきものをつくりだした。岸田、石破政権の「何をしようとしているのかわからない」というイラつき、憂鬱な気分を、総裁選をくぐり抜けた高市が、バアーッと舞台のカーテンを開け放ったようなイメージをつくりだした。その一種の解放感が勝利をもたらしたのだ。
若者に関して言えば、彼らが特に重視したものは「経済政策」だった。高市の積極財政はそれに応えて、「いきすぎた緊縮財政、そこからの転換」をアピールし、「財源がない」、「財源がない」という相変わらずのうっとうしい呪文を振り切って、前向きの強いイメージを与えたのである。若い女の子が街角インタビューで答えている――「高市さんになって世の中明るくなった気がする」――
■「誰でもよかった」殺人は高市勝利につながっている――通り魔殺人事件は3倍に――
この閉塞感は「だれでもよかった殺人」に典型的に現れていた。バブル崩壊以降の失われた30年、特に2000年代以降は「だれでもよかった」殺人が顕著になった。「だれでもよかった」殺人とは、限定された特定の人物、物ごとを対象にできず、怒りや悲しみをぶつける対象が定まらず、不特定・不定形の漠然としたものへの行為である。だから「誰でもよかった」になるしかない。それをあらわす通り魔殺人事件を見てみると、多い年だけ並べてみても以下のようになっている(警視庁調べ)。
03年・9件、 07年・8件、 08年・14件(秋葉原通り魔大量殺傷事件)、13年・8件、14年・.8件 15年9年、20年・9件、23年9年 24年・11件、25年11件(暫定)
バブル崩壊から2000年代にはいってからの件数は、それ以前と比べると平均して3倍に拡大していた。直近の3年だけでも、2023年9件から24,25年は二けた連続となっていた。(注)
これは一例にすぎないが、このように長年にわたって累積した閉塞感、「何とかしろ!」という変化を求める声は、今回選挙を通じて一挙に噴き出たのである。その結果が高市大勝利である。
(注)バブル崩壊前の、1985年から1990年までの件数(y)の回帰式(時系列)は以下の通り。
y=0.229t+2.33――(1)
金融危機以降の1997年から2025年までの回帰式は以下の通り。
y=0.021t+6.745――(2)
(1)と(2)を比較すると、定数項は約3倍(6.75/2.33)。(2)のtの係数は小さい。平均的には約3倍にはねあがったままで減少せず、横ばいで推移。
■なすすべなくフラつくばかり――愚かな中道(旧立憲)緊縮財政派――
これに対する野党は、特に「中道」の中心は、緊縮財政に洗脳された旧立憲民主党の主要メンバだった。彼らは、民主党政権時代に財務省から緊縮財政路線をすりこまれ、それ以降、財務真理教の信者と化したのだ。であるから、口では「社会保障充実」をいいながら、頭の中は緊縮財政であり、そのためフラフラ右往左往して、それが十数年も続き、何ら国民にアピールできるものを持たなかった。(消費税減税についていえば、消費税8%、10%の増税を決定したのは野田元首相なのだ。増税すべきとしたご当人が減税に転じたのだ。であれば、それ相応の国民への説明があってしかるべきだった。「無責任」との批判を受けて当然だった)
何よりも、多くの国民・若者の鬱積した閉塞感を吸収し、それに応える政策を打ち出すべきであったのだが、それを感じる政治的センスすらなかった。閉塞感の一層の高まりは、すでに東京都議選の石丸現象に現れていた。石丸は政策を何も打ち出すことなく、ただただ「日本を変える」の一辺倒で蓮舫も破って2位確保。そのあとの兵庫知事選の斎藤現象。はっきりと現れていたのだ。参院選での参政党の台頭もそうだった。
一方で、安全保障はどうかといえば、台湾有事への高市発言は軽はずみであり、それは本来の右翼の本質が現れたものだった。だが、それと同時に国民の不安を増大させる中国共産党の覇権主義、愚かな中華ナショナリズム、それにもとづく急速な軍備拡張、南シナ海での一方的現状変更に対し明確に批判すべきだったのだが、ただただ日中の緊張緩和を曖昧にのべるだけだった。
本来であれば反自民勢力こそが、この閉塞感を吸収して、社会保障充実に向けた予算の重点投入(それこそ積極財政、大胆な政策転換)を訴えるべきであったのだ。だが、上記のようにそれを抑圧してきたのが立憲民主の緊縮財政派であった。そして少なからず、それに同調してきた左翼・リベラルだった。彼らは「財源は?」「財源探しはどうする?」とふらつくばかりで、ふらついているところへ高市の一撃をくらって、もろくも崩れ去った。従って高市に対抗できる能力はゼロだった。敗北は必然だったのである。自業自得というべきだが、彼らの罪は重い。
■右にも左にも――双方へ大きく揺れ動く――
だが、高市の勝利はめぐりあわせによるものだ。結果として、閉塞感を払しょくするかのようなイメージがつくられた。だが、それだけである。むしろ無限定に広がった閉塞感こそが、自身を払しょくするかのような存在へと高市を押し上げた。だから幸運だったのだ。
高市に投票した人々は、特に若者は暗鬱な気分をいっとき転換できたものの、長続きはしない。いっときの解放感は選挙の幕引きで消えていくのだ。しばらくすれば、時間がたてば、現実が否応なくやってくる。その意味では、いっときの解放感は昔の選挙に似ている。昔の選挙というものは祭りに近いものだった。現実を忘却させるいっときの祭の気分を色濃く保持するものだった。今回の選挙はその現代版であったといえる。まさに、デジタル社会のSNSで拡散した全国的現代版であったのだ。何よりも高市・自民への多くの投票は、自らが何を望んで自民に投票したかを認識していない。だから現実がやってくれば、いやでも自らが期待したものが何であったかわかるだろう。すると失望していくだろう。高市・自民に裏切られることは必至だ。
閉塞感は無限定・無定形であるだけに、左右双方へ大きく揺れ動くものである。だからこそ世界各地域で極右と極左の双方が伸長しているのである。そして、この場合の極右と極左は右と左に固定化された層ではない。どちらにも揺れ動くのであり、流動的だ。しかも、近年指摘されているように上と下、エリート層と非エリートの対立という対抗軸が重なっている。だから一層流動的なのだ。決して高市・自民が確固たる基盤を得たわけではない。巻き返しは可能だ。
そして確認しておきたいことは、高市自民党は衆院議席2/3を獲得したのは事実だが、決して国民の多数派をしめてはいない。比例で獲得したのは全有権者の20%でしかない。比例の得票数は約2102万票。小泉の「郵政選挙」以来の2千万票を超えた」と喧伝しているが、有権者数1億350万人中の20%でしかない。であるから、まきかえしは可能なのだ。
■高市・積極財政はMMT(現代貨幣理論)に依拠している――財務省を論破――
自民党内は積極財政派と緊縮財政派が同居しているが、高市は無論、積極財政派である。自民党内の積極財政派、とりわけ「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の主張はMMTに依拠しており、彼らは財務省の緊縮路線を論破している。彼らは、自らの研究会で財務省の役人を呼び出して、その場で財務省を論破し、無論、国会質問でも鈴木財務大臣や財務省の役人を論破している。だが、そのやりとりをマスコミがとりあげることはない。なぜならマスコミ自身が緊縮財政派そのものであり、その誤りが明るみに出て天下に知れ渡ってしまうからだ。
その論破を可能にしているのがMMTである。MMTが自民積極財政派にのっとられたのだ。彼らは財務省を論破する理論的根拠をもって高市の政策をつくりあげた。というより彼らの政策が高市の政策そのものになったのだ。「政策の中身を語らず、ただ決意を繰り返すだけ」とか、そんな批判があふれたが、無意味であった。政策はあえて表にださなかったのだ。政策はすでに裏で持っているから、もっぱら「アイドル化」、「推し活」で前向きの明るいイメージを膨らませた。それでよかったのだ。なぜ「アイドル化」、「推し活」が可能になったかといえば、その根底には上記のように広範に累積した閉塞感があったからだ。
■本丸は国家主義の確立、 憲法改悪、日本軍への押し上げ
しかし、高市・自民の積極財政派からは「社会保障充実」の声はあがらない。当たり前である。社会保障の充実など彼らの積極財政の本質にとってはどうでもよいものである。主眼は日本資本主義の立て直しだ。経済的には「成長重視の積極財政」「経済安全保障」であり、国内産業の強化、先端技術への投資等々、政治的には防衛力の増強を唱っている。高市の主張は、とりあえずは成長重視の積極財政をうちだし、「大胆な投資」「強い経済」を強調して経済重視ではあるものの、本丸は国家主義の確立であり、なにより国家重視、安保3文書の改悪推進から「平和国家日本」の廃棄=憲法9条改悪、自衛隊の国軍への押し上げ、軍拡=防衛力の増強だ。「経済安全保障」は軍事色がきわめて濃い。まさに軍・民一体の安全保障、スパイ防止法をはじめとして一般国民、民間企業をも巻き込んだ戦争準備態勢=軍拡に他ならない。その根底には安倍元首相と同様の歴史修正主義=戦前回帰の「美しい日本」がある。従って、社会保障は彼らにとって、国家主導、企業・資本の成長からの単なるおこぼれ、おめぐみでしかない。
軍拡は国民の若年層から高齢者まで相当の支持をうけているが、それには戦後秩序の崩壊・力の論理への回帰が大きく影響している。トランプがつくりだす暴力的・無法状態、習近平のG2をめざす覇権主義、ネタニエフの残忍極まるガザ大虐殺、プーチンのウクライナ侵攻、北朝鮮の核ミサイル開発等々――。これらによって「自国・日本を守れ」という政治的ナショナリズムが喚起されている。外国人政策なるものもナショナリズムの一環である。
■カネはいくらでもつくりだせる――予算? 昔のように年貢でつくるんじゃありません――
これに対して、平和勢力は当然ながら軍備増強に反対して、積極財政による国民生活重視・社会保障重視を掲げなくてはならない。そしてもちろん積極的平和外交である。
だが、まず第一に、それらを裏うちするのは積極財政だ。なにより、カネの調達は中央銀行からいくらでもできるのだ。これが基本だ。これを理解せず、管理通貨制度を理解しない緊縮財政派は放逐されるべきである。「財源は?」「財源は?」とアタフタばかりだから負けたのだ。この意味では民主党時代からの緊縮財政派、その「大物」たちが軒並み落選したのは良きこと、希望である。これを簡単に説明すると以下の様になる(といっても簡単な経済原則だが)。
カネは中央銀行がつくりだし供給すれば良い。これを理解するには、例えば量的緩和で日銀は保有残高600兆円近くまで国債を購入した。この購入代金はどこから来たか、どこからでもない。日銀が無から何百兆円も生みだしたのだ。これは米国FRBでもECBでも世界中がおこなっている。中央銀行はカネを生み出す「打ち出の小槌」だ。
(こう言うと、すぐにおかしな理屈をこねる方々が「いやいや、日銀はカネを生みだすが、それは債務なのですよ。国債購入代金は日銀当座へ振りこまれて、それは債務ですよ」と、すぐに反論らしきものを云い出すが、これについては次回述べたい。ただ、一言いうと「通説は債務だ。だが日銀券も日銀当座預金も資産ですよ」
ではカネの供給の制約となるものは何か?実体経済の供給能力である。供給能力はカネではなく、人(労働時間)、モノ(実物資源)、技術によって実物の生産物、サービスをどれだけ供給できるかだ。これがカネの供給の制約になる。カネをいくら供給しても、それに供給能力が対応不能なら悪性インフレになるだけだ。最悪はハイパーインフレだ。「残念ながら」、供給能力については「打ち出の小槌」はない。カネはいくらでもつくれるが、実物の供給能力には限度がある。カネと実物は別、これを理解しなくではならない。であるから、問題はカネではなく、実物の供給能力がどれだけ存在するかだ。この観点から考えなくてはならない。「財源(カネ)がない」、「財源(カネ)はどうする」と大騒ぎするのはナンセンスなのだ。
■「社会保障最重視の積極財政か、戦争準備の積極財政か」――これが今後のスローガン――
そこで積極財政の中身だが、国民の多くは生活の将来展望を描けない(その根底には労働側の敗北、資本の勝利があるのだが)。国民の不安感の最大要因はここにある。であるから、社会保障分野へ重点投入する積極財政こそが不可欠であり、高市積極財政に対置するものはこれしかない。スローガン的には「社会保障最重視の積極財政か、戦争準備の積極財政か」だ(ちなみに、小生は「社会保障最重視の積極財政」を、この10年間主張してきたのだが、左翼リベラルからは常に反対されてきた)。
高市積極財政の今後を考えると、まずは緊縮からの転換をアピールし、「カネ(財源)の心配はありません。社会保障にもカネは出します。そして防衛費も増やして大丈夫」と云いだすだろう。「両方OK」といううまい話を宣伝するだろう。
■「予算編成の抜本的改正」「国債償還費18.2兆円をはずせ」
――G7並みのグローバルスタンダードに、財務省をスケープゴートに――
というのは、26年度予算案の審議からか27年度予算からか、とにかく「両方OK」といいだせる十分な方策があるからだ。それが国債償還費の問題である。すなわち先進G7並みに償還費を一般会計からはずすことだ。すでに積極財政派は「G7並みのグローバルスタンダードで予算を組め」、「償還費ははずせ」といいだしている。高市も「今後予算編成のありかたを抜本的に変える」と述べている。
Ο食料品消費税ゼロ%(5兆円分減税)などすぐ出来る。
国債償還費は、26年度予算での支出は実に18.2兆円にもなっている。財務省は27年度も10数兆円を計上予定であったろう。これが不要とすれば政策的経費の支出余地はきわめて大きくなる。
食料品消費税ゼロ%(5兆円分)減税などすぐできる。介護保険の公費負担6割への引き上げもすぐできる。介護職員の大幅給与引き上げも、防衛費対GDP比2%の維持も十分可能だ。だから社会保障重視、軍備拡張双方が可能なのだ。
これに対しては財務省が反対するだろう。彼らの財政再建路線は、国債60年償還ルールにもとづいて国債償還費を計上し、借金が大変だ、大変だと喧伝してきたのだから。それを高市に否定されることになる。彼らの権威は失墜する。たぶん高市は国民の財務省への反感をあおって財務省をスケープゴートにし、「G7並みに予算編成するだけです」と国民の賛意を得ようとする。すると政治的基盤はさらに強化される。
■当たり前のこと――軍備拡張は生活をまずしくする――
本音は大幅軍備増強なのだが、それをオブラートに包むため「社会保障にもカネを出してもOKですよ」というわけである。だが、それは何を意味するか?実体経済を考えれば、全くの誤りであることはすぐわかる。
軍備増強にカネが使われ、人(労働時間)、モノ(物的資源)、技術が軍備増強に投入されれば、その投入された分は国民生活を貧しくする。軍需産業はカネを手に入れて利益をあげる。だが利益はカネだ。実物の富ではない。実体経済では、兵器を生産すれば兵器を生産する分だけ消費物資の生産は低下する。だから国民生活は貧しくなる。そして生産された兵器は国民生活には全く役に立たない。例えば、トラックは物的生産に貢献する。しかし戦車が軍事演習でいくら走り回っても物的生産に貢献しない。搭乗員の訓練時間も無駄遣いだ。兵器の生産自体が国民生活重視・社会保障充実にはまっこうから敵対するものである。無論、戦争は究極の役立たずであり、人命抹殺の無駄使いだ。
物的供給能力には限界があり、それが制約になる。いくらカネをつぎこんでも兵器も消費物資も両方を増やし続けることは不可能だ。供給能力に余力があれば一定の時点まではそれは可能だ。だが、供給能力の限度まで来ると、兵器生産は国民生活を一層犠牲にする。当たり前の話しだ。
■人手不足状態に――軍備抑制・社会保障充実の人的・物的資源配分でインフレ抑制――
現時点で考えれば、現在のインフレはコストプッシュインフレだ。供給能力に問題が生まれている。特に人手不足(完全雇用状態:注)の状況で軍備拡張にシフトすれば、例えば自衛隊員を大幅増員すれば、人手不足のなか、例えば社会インフラの整備・補修人員が減少する、福祉関連の介護職員や保育士にも影響が及んでいくーー国民生活は貧しくなる。
であるから、物的供給能力をどの分野に振り向けるのかが問題なのだ。カネはつくり出せばあるのだから、そのカネを振り向けるべき分野へ投入し、物的供給能力を誘導すればよいのである。
(注:現在の人手不足=完全雇用状態は決して望ましい形で生まれたものではない。これは基本的に経営側の賃金抑制と非正規雇用の拡大によって生み出されたのだ。賃金抑制と非正規雇用拡大は若年層の将来展望を消し去り、子供を産むことを許さないまでに徹底したものとなった。経営サイドは長期にわたって労働力の再生産を自ら阻害してきたのだ。その結果は当初は短時間のパート、高齢者の増加であったが、今にいたって人手不足=完全雇用となっている。これは不幸な完全雇用なのだ。この状態に至る前にMMTは政府の財政拡張を主張してきたのだが、それに頑強に反対してきたのが右はもちろんだが左翼・リベラルの緊縮財政派だった。)
ここでMMTについて若干のべれば、MMTはオーソドックスなケインズ主義であり、需要不足状態での不況において、中央銀行が創出するカネを投入し生産拡大をはかるものである。通俗的には、ここで中央銀行によるカネの創出を強調するのがMMTとされている。だが、そのようなものではない。MMTは上記のように物的供給能力を重視する。完全雇用状態であるならば、総需要を増大させるカネの投入は抑制する、それがMMTの基本だ。その理由は上記の通りだ。
この場合、当然だが全体の総需要をおさえるため(悪性インフレ抑止)、現状で云えば、一方では軍事・防衛分野、原発関連分野、都市圏不動産開発等は抑制し、他方では社会保障分野を拡大する。それが基本方向になる。人的・物的資源をその方向に振り分けなくてはならない。まさに資源配分の問題だ。そのため社会保障分野へカネを投入し、従事者の給与も大幅に引き上げて雇用を誘導・確保する。(無論、税金も利用する。ただし税は財源としてではなく(カネは中央銀行がつくれば良いから)、政策の誘導策として使うのである。例えば消費税は消費を抑制するか喚起するか、法人税は設備投資を抑制するか増大させるか、環境税はCO2排出を抑制し再エネ拡大をはかる等々だ)
■ものづくりの飛躍的生産性向上が必須
同時に、今後は生産性の向上が不可欠となる。ボトルネックが人であるなら一人当たりの労働生産性の向上は必須のものとなる。
なぜなら、社会保障分野への人的・物的資源の振り分けは、モノを生産しない分野が一層大きくなるということだ(軍事分野も同じだが)。人手不足のなか、モノを直接生産しない人々を増やすのである。その人々に消費物資・生活物資を提供するには、ものづくり産業の物的生産性の飛躍的向上が不可欠となる。製造業等第2次産業はもちろん農業、漁業等の第一次産業も生産性を一層向上させなくてはならない。
従って、技術革新の推進が急務となる。技術革新の進展は、ものづくり産業の生産性を上昇させるだけでなく、同時に社会保障分野への人的投入を促進させる役割をもはたす。先端的技術開発を推し進め、フィジカルAI等々の投入を急がなければならない。
■積極的平和外交を対置せよ
次に、積極的平和外交の対置である。積極的平和外交では、相手国に対してはっきりと主張すべきは主張しなければならない。これを曖昧にしたならば、「祖国・日本を守れ」という右翼ナショナリズムに押し流されるだけである。以下では基本におくべき考えだけ述べる。
中国共産党は、自らは軍拡を強力に推進し核兵器開発に血道をあげながら、一方で日本の自衛隊の増強を非難する。このような非難は全く説得力をもたず、正当性がない。愚かな中華ナショナリズムは放棄し、G2をめざす覇権主義を抑制すべきである。また、思想・言論・集会の自由を実現し、共産党独裁の是正を促さなくてはならない。朝鮮労働党に対しても核開発の縮小・停止を求めるのは当然である。
だが、他方では西欧の普遍的価値の二重基準、欺瞞を非難しなければならない。自らの規約に違反したNATOのリビヤ爆撃・カダフィー殺害は北朝鮮指導部の危機感をあおった。それが北朝鮮の核開発へとつながったのだ。最近ではイスラエルのガザ大虐殺にはほとんど沈黙し、虐殺の最終段階までイスラエルへ軍事支援をも続行した。直近ではイスラエルのガザ大虐殺とガザ占領、植民拡大は、まさに一方的現状変更そのものである。にもかかわらずなんらの行動もせず黙認している。これでは彼らがロシアのウクライナ侵攻を非難しても共感をよぶことはありえない。だからこそ欧州の地盤弱体化が著しいのだ。これはまた、西欧と「価値観を共有する」と称する我が日本政府の恥ずべき欺瞞に他ならない。
トランプ政権のごろつき、ならず者ぶりには何をか言わんやである。国際的トランプ包囲網の形成が不可欠である。いわゆるミドルパワーとの連携強化が不可欠だ。いまや「トランプと仲良し」は高市政権ぐらいのものである。他に「トランプと仲良し」の政府はあるだろうか。少なくともパッと頭に浮かぶ国々の間では存在しない。いわゆる日米同盟は世界的に孤立しているのだ。視野狭窄におちいって、トランプの顔だけが世界の中心だと錯覚している。「トランプと仲良し」は世界から取り残されるだけである。
■中国国民との大規模交流を――「中央の政治とは関係ない」草の根交流の積み重ね拡大を――
そして、もっとも重要な平和外交は各国国民の交流である。ここでは特に対中国のみ述べておきたい。
日本国民は中国国民との交流を大規模におこなうべきだ。これが重要である。その際は、中国共産党・中国政府と中国国民を区別して対応することが必要である。
中国共産党は高市発言以降、中国国民の日本への渡航制限で観光、移住等々を制限し、また国内での日本関連イベントの開催延期や中止を強制している。これには是正、撤回をもとめるべきだ。来日した中国国民の大多数は日本国民への好感をいだいているのだ。両国の国民の交流は進んできたし、これからも不可避的に進んでいく。この流れを更に太くしていかなければならない。
そこで、中国国民を考えたとき、考慮すべきは、彼らは中央政府とは大きな距離をおいて生活しているということだ。「自分たちの生活は中央の政治とは関係ない」が基本である。これは昔からの基本スタイルであり、近代以前のアジア的専制からくるものである。この功罪はいろいろあるが、しかし現在でも中国共産党や政府の主張は、中国国民の大多数とは「関係ない」ということだ。だから、日中の政府レベルの争いも「関係ない」のである。「国同士(政府同士)の関係がどうであっても、生活に特段の変化はない」。これを日中の勤労国民の交流の基礎に置くべきである。
従って日本国民は、いちいち中国共産党や日本政府の主張を真に受ける必要はない。中国共産党の主張を中国国民のものと受け取るべきでない。両者は別なのだ。区分けして考えなければことを誤る。なにしろ中国国民は、いわゆる「選挙権」がないのである。
であるから、「草の根」レベルの交流を積み重ねれば、将来展望は開けていく。そう思う。
以上
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion14697:260224〕






