故松田社長との一エピソード――真紅のバラは生きている――

 一昨日(15日)の午後、社会評論社社長故松田健二氏行きつけの店で追悼集会が開かれた。出版社の社長となると、これだけ多方面の人々を引きつける重力があったのか、と驚くほどの人密であった。帰りに霊前のバラ一本をいただいて、我が家の台所で水を十分に吸い込んでふっくらと真紅のバラが咲いている。
 私は列席した多くの執筆者達とは異なって、社会評論社からたった一冊しか出していない。『ハーグ国際法廷のミステリー 旧ユーゴスラヴィア多民族戦争の戦犯第一号日記』(2013年11月25日 初版第一刷発行)がそれである。
 本書のエピローグで、私は次のように書いた。――著者ドゥシコ・タディチがセルビア共和国ヴォイヴォディナ自治州の一田舎町から突然私に手紙をよこして、『ハーグ囚人第一号の日記』の翻訳出版を頼んで来てから、すでに二年と十ヶ月が過ぎた。内容が内容だけに、余り乗り気でない様子の社会評論社の松田健二氏を十ヶ月かけて説得して、どうにか出版にこぎつけた。記して多謝。――(p.183)
 松田社長の出版許可条件は、①長文の解説を私が書くこと、②原出版社への版権料を私が支払うこと、③初版は印税なし、であった。日本市民社会の良識に反逆するような内容の書物の出版を依頼するのであるから、当然の条件であった。すでに、著者タディチの「殺人鬼」ぶりは、NHKブックスで出版されたジョン・へーガン著『戦争犯罪を裁く(上) ハーグ国際戦犯法廷の挑戦』(2011(平成23)年5月30日第一刷発行)で詳しく情熱的に説かれていた。
 2000年12月に東京で女性国際戦犯市民法廷が開廷され、昭和天皇等に「日本軍性奴隷制」いわゆる慰安婦問題で有罪の判決が下された。その市民法廷裁判長は、「旧ユーゴ国際戦犯法廷で」タディチに25年の禁固刑の有罪判決を下したアメリカ人女性裁判長であった。
 松田社長は、本の裏表紙に訳著者岩田の写真をのせたらと提案されたが、私は峻拒した。私がボスニア・ヘルツェゴヴィナを旅する時に、イスラム人側からとことん憎まれている男の主張を日本で紹介した人であると知られたくなかったからでる。日本の社会の裏表に通じる松田社長も、深刻な民族間憎悪の実相をつかんでおられなかったのではなかったか、と思われる。
 松田社長は、NHKブックスの権威に挑戦することになる『ハーグ国際法廷のミステリー』を出版してくださった。ここに改めて真紅のバラ、すなわち故松田健二氏のまごころに御礼を申し上げる。

   最晩年の御製

   若きよにおもひさざめしまごころは年はふれどもまよはざりけり

        2026年・令和8年3月17日

                       岩田昌征/大和左彦

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