編集者はしがき
本書は、社会思想研究者にして(元)原学園苫小牧中央高等学校教諭の二本柳隆氏(1948~2000)がフランス革命200周年を意識して完成させ、1988年に編集者に出版を託した原稿である。しかし、種々の事情で出版が実現しないまま、とうとう21世紀になってしまった。その間、著者は2000年12月26日に奈良市内で交通事故に遭い亡くなった。著者は編集者の親しい研究仲間である。毎年交換している年賀状が2001年正月には来ず、ご母堂に電話で消息をうかがって判明したのだった。編集者としては、ここに生前の遺志を実現することとしたい。その際、手書き原稿を電子化することで生じる技術的な訂正を中心に、多少編集・補筆の手を加えている。
参考までに、この原稿に関連する二本柳氏の業績を以下に記しておく。
「ドイツ社会思想における市民社会概念の受容過程――カントの場合――」、『明治大学大学院紀要』第13集、1975年。
「近代ドイツ・ナショナリズム論(1)――近代ドイツのナショナリズムへの一視点」、『東西文化』第1号、東西文化出版(京都)、1980年。
「近代ドイツ・ナショナリズム論(2)――ドイツにおけるフランス革命期のナショナリズム」、『東西文化』第2号、東西文化出版(京都)、1981年。
「啓蒙と革命――ゲオルク・フォルスターの場合――」、北海道大学言語文化部独語系紀要『ノルデン』第25号、1988年。
「自由とフランス――若きフォルスターのフランス革命論――」、北海道大学言語文化部独語系紀要『ノルデン』第28号、1991年。
なお、著者からは、本稿とともに、ヘーゲル哲学に関する論文(明治大学政治経済学研究科に提出した修士論文)も預かっているが、こちらはまだ手つかずのままである。
石塚正英
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目 次
序
第1章 フランス革命の意味するもの――近代ドイツの知識人のフランス革命に対する反響
1.フランス革命前のドイツの社会的情況
2.フランス革命後のドイツの知識人の反応
3.フランス革命の政治的原理
第2章 ドイツのフランス革命――マインツ革命におけるゲオルク・フォルスターの場合
1.フランス革命前のマインツの政治的情況
2.フォルスターのフランス革命への反応
3.フォルスターの政治的実践への動きとその背景
4.1792年のマインツ――フォルスターとマインツ革命の烽火
5.フォルスター周辺の反応とフォルスターの挫折
6.マインツ革命の挫折の原因
第3章 ヘルダーの「ナショナリズム」論――18世紀後期のドイツ社会思想の一形態
1.ヘルダーの社会思想への基本的視座
2.ヘルダーの専制政治への批判
3.ヘルダーの国家に対する社会の優位
4.ヘルダーにおけるナショナルなものの基本的性格
5.ヘルダーとフランス革命――ヘルダーの「ナショナリズム」論の確立
6.結語 ヘルダーの「ナショナリズム」の展望
第4章 1793年のフィヒテ――フィヒテの「フランス革命論」
1.ドイツ社会思想史における1792~3年の位置づけ
2.フィヒテの「フランス革命論」の基本的性格
3.フィヒテの国家観――個人主義的国家観
4.フィヒテの社会の優位――フンボルトと対比して
5.国家体制の変更とその可能性
6.結語 フィヒテの「フランス革命論」の展望
第5章 フランス革命後のカントの社会思想
1.人間の自由と平等と独立
2.カントの国家観――共和政体観
3.一民族一国家の原理
4.革命か改良か――ドイツの可能性
第6章 ノヴァーリスの保守主義的思考――18世紀末のドイツ社会思想の一形態
1.ノヴァーリスの保守主義思想を理解するために――ドイツ保守主義の源流と
その発展
2.ノヴァーリスのフランス革命観――感激から失望への転回
3.ノヴァーリスの国家観――立憲君主国家観
4.ノヴァーリスの歴史観――中世への郷愁と賛美
5.ノヴァーリスのナショナリズムの性格
結び
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序
現代は多文化共存の時代である、といわれている。ところで、《思想》にかんして、同様に他文化共存はあり得るだろうか。確かに、相対立する思想を、とする者もいることはいる(1)。しかし、こと《思想》に関して、こういう試みが可能なのであろうか。考えるに、《思想》は真に、真摯であるべきだ。妥協の産物としては、真なる《思想》は生まれようもない。《思想》の営みは、あえていうならば、冬山の山頂を目指す登山家のようなものだ。つまり、と常に対峙し、今ある豊かなを享受する。しかし、そこに止まらず、「一つの危険や困難を克服すると、より以上の危険や困難に挑戦せずにいられないのである。山頂を目指す登山には、宿命的に上昇指向が組み込まれていて、ひたすら上へ上へと進んでしまう」(2)のが登山家であるとするならば、《思想》の営みも、畢竟するに、登山家の宿命と同じのものなのだ。それだけ真摯なる上昇指向のもとでのみ、真なる《思想》は生まれることになるのだ。
本書は、1789年の《フランス革命》以降のドイツ社会思想史、厳密には1790年代ドイツ社会思想の諸形態を考察するために書かれた。そこで、相対立する《思想》が激突し、火花を散らすのをみることになるであろう。
アリスは、1790年代ドイツの社会思想を鳥瞰し、「革命のなかに啓蒙主義の理想の実現をみ、そして、自由と平等の原理がドイツにおいてもまた政治的生活の基礎になるべきだと要求した思想家のグループ」として、カント、フィヒテらの〈自由主義〉(3)を取り上げ、第二に、「国家が強力なものになれば個人は窒息してしまう」(4)として、個人主義的な見解をとったグループとして、フンボルトらの〈古典主義〉を取り上げ、第三に、「過去との伝統的な結びつきの維持を主張した」(5)グループとして、ノヴァーリスらの〈ロマン主義〉を取り上げている。このアリスの見解はもっともなことであり異議を差し挟む余地はない。本論ではアリスの見解をとる。ただし、この年代において忘れてはならない、肝に銘じておくべき《思想》がある。それは、アリスの掲げた第一のグループに入れてもよいが、当時にあっては急進主義者=ドイツ・ジャコバン派に括られる一人、ゲオルク・フォルスターである。また今一人、今日的にいうナショナリズムを自らの思想的領域で構築したヘルダーを取り上げる。
さて、本書ではまず第一に、フランス革命前ドイツの文化的・政治的情況から筆をおこし、革命後の知識人の反響を概観的に捉え、フランス革命の意味するものを問う。第二に、革命の影響のもとに、革命をおこした市民の側に立ってマインツで革命の狼煙をあげたフォルスターを取り上げる。第三に、そのフォルスターとも親交があったとされるヘルダーの社会思想=ナショナリズムを取り上げる。また第四に、行動的に活動したフォルスターとは違って、理論的にフォルスターと同じ地盤に立って活動したフィヒテの『フランス革命論』を取り上げる。そこでは併せてフンボルトとの関係をも論じる。さらには第五に、ドイツのもっとも偉大な啓蒙主義者の一人、カントの社会思想を取り上げる。そして最後に、フォルスター、ヘルダー、フィヒテ、カントとはまったく逆の方向を歩いたドイツ・ロマン主義創始者の一人、ノヴァーリスを取り上げる。
序を結ぶにあたって、ここで一言述べておきたい。1790年代のドイツ社会思想がフランス革命と否応なく対決していったように、このフランス革命もまた、じつは近代自然法思想のいわば総決算であったことだ。否、そればかりではない。今日のわが国の現憲法も、その起源を近代自然法思想に負っている。昨今、世界に誇っても過言でないわが国の憲法を改悪し、旧体制への復帰をもくろんでいる動きを無視することはできない。恒久平和を希求し、この憲法のもっている長所を後生大事と思っている私からみると、このような動きは絶対に阻止されなければならない。というのも、阻止のおこないこそが、私たちの先祖、両親の犯した過ちを償い、国家のもとに生命を犠牲にしてしまった、当時にあって私たちよりも若い世代の人たちに対しての、心からの鎮魂となるからである。そのために、現憲法の長所を維持していかなければならない。若い人たちの犠牲的な死は、今日および未来の日本に対する警鐘と受け止めるべきである。そうでないと、若くして生命を絶った人たちの霊は、虚しくはてしなく、いつまでも現代をさまようことになるであろう。
註
1. 例えば、1960年前後、ジャーナリズムでは〈イデオロギーの終焉〉が議論の俎上にのぼった。その筆頭はレイモン・アロンの『イデオロギー時代の終末』だった。これに対してはイエジ・J・ヴィアルが、『イデオロギー時代の黄昏』と題する著作で批判した。阪東宏訳、合同出版、1968年、9頁以下参照。また、わが国においても、マルクス主義と実存主義とを調和させようとしたり、マルクス主義と構造主義とを調和させようとする動きがあった。
2. 鶴見次郎「登山家の宿命」、『中央公論』1983年4月号、410頁。
3. Reinhold Aris, History of Political Thought in Germany from 1789 to 1815, Frank Cacc and Co. Ltd.,1965, pp.66.
4. ibid.
5. ibid.
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