ちきゅう座でもよく転載され、紹介されているカナダのブログ「ピースフィロソフィ―」に面白い記事が載っていた(2014年1月12日掲載)。
それによると、1月10日に日米国会議員連盟の中曽根弘文、塩崎恭久、小坂憲次という3名の自民党議員がワシントンで記者会見して、安倍晋三の靖国神社参拝問題について、「米政府当局者や連邦議員らが『それなりに首相の真意を理解している』との認識を示した」と語ったとの報道が日本でなされている点に触れている。
日経や共同はこれを「米は理解」と報道し、時事通信は「好意的に受け止め」と報道した。
さすがにジャパンタイムズは、次のような表題でそのことを報じたそうである。
Abe Yasukuni trip aim not lost on U.S. leaders
http://www.japantimes.co.jp/news/2014/01/11/national/abe-yasukuni-trip-aim-not-lost-on-u-s-leaders/#.UtHQbvTuLrI
ジャパンタイムズのこの英語を日本人向けに翻訳した共同の記者は「安倍の靖国訪問の目的は米国指導者に通じた」という表現を使って、この”not lost on”を微妙にカムフラージュしたようである。
それではこの言葉の持つニュアンスとはどういうものなのであろうか。”be lost on”のニュアンスは、「…に効果がない」というようなものである。そこから類推すれば、「(不承不承ながらも)何とか効果があったのではないか」というような極めて懐疑的・消極的な意味になるようにしか思えない。どう見ても、米国政府がこの事に正式な「理解」を表明したとは思えないのである。
そして「ピースフィロソフィ―」の記事はこう結ばれている。
報道は誤解を招かぬように、米側の出席者がどういう言葉で「理解」を示したのか、はっきりさせるべきではないか、と。