8月に出来る実践~インターネット戦略(ちきゅう座読者のみなさんが本当に革命や脱原発政権の樹立を望むのなら第二ちきゅう座へと拡張を求めていくべきではないでしょうか?)

第5章 インターネット戦略の拡充

 

第2ちきゅう座と言っても左翼特有の分派化を促すものではありません。

そうではなく、更に、多くの読者へと書き込み参加を促していく為であり広報と主題化を推し進めていってほしいと言う意味です。

 

現在でも、最新記事は、有志著名人教授の書き込み。そして、一般参加者の交流広場と区分があるように思いますが、どうも怠惰なまま時系列だけで、掲載されている印象を読者にも与えますし、敵、官僚や自民党にも与えるものとなっているだけの様にも思えます。

この様なカタツムリのヨチヨチ歩きとしていたのでは、上記、敵を油断させるのには良いでしょうけれども

実際の未熟さ怠惰さのみを情報として与えているだけともなりかねません。

 

 

しかし、実際は、「左翼最後の良心の砦」として、必ずやテレビ朝日やTBS系列、若干残っているであろうNHKの政治改革に期待する若手などなどもちきゅう座の動き、そして、かつてのアソシエ21が持っていた全共闘の流れに期待もしているはずなのです。

僕自身もその部分に期待をかけて投稿している者の一人だからです。

僕の場合はいささか直接書き込みも出来る自由も有している故、実際にそうしていますが、それがかなわない人の方が多いのではないでしょうか?

 

インターネットを駆使しょうとする市民的デモ、学習会の動きを一手に支援しようとする動きはちきゅう座にしかないからです。

 

しかし、学習会と言う閉じた場所に誘うだけではなく、実際に、考え方を広報できるインターネットの場を作成しながらも時事的なニュースを後追いから抜け出せない消極的な印象を与えているのは何故なのでしょうか?

 

本来は、経済学に長けた先生方が参加しているにも関わらず、自民党批判を政権奪取できる政党案を立ち上げる新マニュフェストを提出する磨き上げる公開議論の場としていくのでもなく、批評評論の羅列となっているのでは今までと同じく批判のための批判でありジリ貧であるのはおなじであるはずです。

 

《政党政治未満!》であり無策であり、人海戦術としてとにかく人を集めよう、デモを広げていこうと言うのでも良いのです。

 

それであっても、努力している必死で生活苦や原発事故への不安、権力の独占を憂い何とかしたいとする意思でも良いのです。

 

しかし、今や実現可能な段階にも来ています。

ジャンル区分をしたり、読み安くし、ちきゅう座自体にて学び合える学習会、予習会的広がりも可能ですが、「読まれない長文」「論文」ばかりの掲載でも逆効果でしょう。

時事的に読まざる負えない、読みたい、聴きたいとする文章を磨くことが必要であるように思えています。

 

無策であったとしても読まれる、読みたいと思わせる問題意識の文章をそれぞれ磨いていくべき時でもあるのです。

 

 

書き込みも有志のボランティアです。

デモに集まる人も組合から行動費が出ている人以外はボランティアでしょう。

人海戦術的に人を集めながら遊びや単純労働の会で終わらないスキルを磨く会を広めなくてはならない時です。

少数で、管理しているちきゅう座であるから現在の規模に治まっているのでしょう。

しかし、インターネット技術を持った人をボランティア的に集まられたり、学習要請したり、学び合える場を作っていったり、

労働者による労働者の集える場所として学べる場所、開かれた場所とするだけで本当は、「政党の雛型」が出来るはずです。

 

社会主義立国としての日本、「労働者」「スキルを持つ者」の国家、搾取する怠惰な支配のない社会は、不可能ではない段階に来ています。

 

それぞれが一歩づつ踏み出し、自己のアイディンティイに迫っていく時ではないでしょうか?

 

出版物不況と言われますが、

書評も、更に、体系的に、2014年度「マルクス」を語った新作出版などもどの位あり、そして、それは、何を語ろうとしているのか?古典の再販だけで皆無でしかないのか?

様々な興味深い個人研究の延長など広がれる可能性は、幾らでもありながら本当の意味で、ちきゅう座の場においても人材を生かし切れていないそれぞれの個性や才能を生かし切れていないと言う状況にもあるのは、労働者の過小評価にもつながる損失でもある同じ過ちの一つであろうと思われるものです。

 

「喜んで学べる」「喜んで働ける」場所を誰もが欲しがっている。

居場所がなくなって引きこもっている人も多い現代だからです。

お金を出してコンサートに行っても本当はどこか虚しい虚構性を誰もが感じている時代です。しかし、「喜んで学べて、対話する仲間がいて、作業が出来る」「生き甲斐」が広がる中に、ちきゅう座の存在義を模索しながら広げていくことこそが実理一体の方向性ではないでしょうか?

インターネット活用を広く手伝いを求めて拡充出来るならデモも学習会も実践的拡大広報出来ると言うものです。

 

時間がないのでまた触りだけとなりましたが僕の考える第二ちきゅう座~ジャンル別、出版情報リストアンテナ基地としてのアイディアを次回にでも語れたならと思っています。

 

日本国憲法の原理とマルクス主義(追補)

https://chikyuza.net/archives/46488

 

さて、こちらの掲載なのですが、一度目は良かったのですが、今回のは、感情的で知識の横への羅列だけでしかなく読み取れるものがありませんでした。

氏は、ちきゅう座では読者を失っていくのではないかと心配しています。

僕自身は、名前を記載されているので辛うじてコメントも入れますが、やはり場が荒れる原因ともなるようですし、水掛け論の段階にも入っていますので、これを最後としておこうと思っています。

 

未満は、上記でも書いているような意味で、「政党政治未満」その「未熟」としての左翼そのものに向けているいわば自分へも向けられているもので大衆に向けているものとして書いているものではありません。

そこが大きく違います。

 

民主集中制が憲法違反であるのか否かそれは、ファシズムの片鱗を恐れての事でしょうが、それをただ事実関係だけで、鵜呑みする危険性があるのは赤狩り旋風を是とする根拠を憲法的に容認するのと同じ理屈だからです。

それは、日本共産党の方に向けられたものように思います。

 

マルクスを考える側は何らイデオロギーでもない事も時間があるときに順序立てて書き出したい部分でした。

 

僕の側からは自身の文章が理解された上での前回の反証にはない故、これ以上言っても無駄の段階と感じています。

西側広報された事実追認、傍観者として知識化したマルクスを語っているだけとなっているのです。

 

故に、ちきゅう座では、今後、読者を失うのではないかと心配する固定観念が随所に見受けられていると述べていますが、

昨今の憲法とアベファシズム集団的自衛権問題、特定秘密保護法問題に通じる歪んだロジックで自己正当化だけをしているとしか思えないのでそのように述べさせていただいて終えようと思うだけです。

 

これは論争以前の問題です。

 

ただ、残念ながらこれまでのマルクス主義憲法学者が、現時点のところ未満問題と同じく未熟であったであろうことには同意せざるおえません。

本当のところは、実際は、社会主義の体制をとっている国や政党の方が、実は、問題意識が届いていない状況ではないかと懐柔するものとして僕の文章はあり、それを考えていたわけです。

 

それ故に、今後の「ちきゅう座」に頑張ってもらわねばならないと今回の一文に辿り着いています。

 

都議会のヤジ問題、ヘイトスピーチ状況の日本の学生の中で、マルクス主義憲法学者より好評を得た状況は想像出来る範囲です。

しかし「反ちきゅう座」的書き込みとして何ら読み取るもののないものと置き去りにされる感情論を僕も感じています。

 

しっかり反論もしたい部分もないこともないのですが、前回のものも徒労となっていますので以後、関わらず傍観し、僕も持論の展開に専念する事としようと思います。

 

 

良識ある有志のみなさん!

ちきゅう座の発展こそを模索していきましょう。

 

今回は、以上です。(厳しい物言いですが、ごめんなさい。誹謗中傷要素がありましたならお詫びします。)