テント日誌8月29日…秋の陣という言葉はいくらか古めかしいが…

経産省前テントひろば1084日 商業用原発345日

秋の陣という言葉はいくらか古めかしいが…

 涼しくなったというよりは急に寒くなった。このまま夏の終わりをつげるのか、残暑がぶり返すのか。いずれにして異常気象というか、大気の不安定さに気味の悪さを感じる。季節をめでるという気分にはとうていなれない。政治や社会はともかく、気節だけはまだというのが救いだったのだかこれも怪しくなってきた。昨夜はすみだ河内音頭大盆踊りに出掛けて泊りが遅くなってしまった。音頭取りの河内音頭の美声に聞き惚れたり、踊りの輪に入り、踊り手と笑顔の交換をしたりと楽しかったが、泊りのスタッフには迷惑をかけてしまった。その上にテントではすぐ寝てしまい、疲れのせいかなかなか起きられず深夜の散歩もできなかった。テントの日々はあれやこれやの内に過ぎて行くが、秋の陣というといくらか古めかしいにしても、これからの闘いのステージが準備されている。テントは9月11日(木)には4年目に入る。お知らせとして告知しているように当日はテント前での集会や経産省包囲の行動がある。久しぶりに多くの人たちと顔を合わせられるのを楽しみにしている。

 安倍内閣は内閣改造で彼らなりの気合の入れ直しを画策しているのだろう。アベノミクスの化けの皮が剥がれはじめ、強権政治への姿が人々の目にも明瞭になってくることへの対応なのだろうか。彼らの取り戻したい日本とは強権的政治が支配的であった日本のことであることははっきりしている。安倍らに取って理想的政治とは強権的な政治なのである。対外的に集団的自衛権行使容認で戦争をやる宣言をし、国内的には記秘密保護法などでの強権体制構築を強めることだ。確かに対外的には関係がきしみ対立が深められている。世界の激動は地域での戦争の激化させている。国内的には民主党政治の失敗の後の反動的基盤が彼らを強気にしているのかも知れない。戦争に反対する、非戦の動きや強権化に抗する運動も思想の孤立を強いられる傾向はある。こういう条件はある。だから安倍の強権政治と闘うには僕らは見通しのたちにくい状況の中で、自分たちの道がどこにあるか自問し続け、じっくりと相対していかなければならない。いつだって強権政治と闘うには考えるという武器しかないが、意外なところから道が開けるのも歴史である。僕らの想像を超えたところに道があったということに気がつくのも、一見不毛に思える道においてなのだ。人知れず咲く花に感動するということは闘いにおいてもまたあることなのだ。闘うことは捨てたものではない、という思いを分かち合いたい。

歴史は繰り返すのか(?)歴史から学ぶことは可能か(?) こういう問いかけをするというか、強いられることは多い。最近、「むかしのにおい」がするという言葉に多く出会い、それに同調することも少なくない中でのことだ。第一次世界大戦後のつかの間の平和(20年間)が戦争という激動に入った過程と第二次大戦後の世界が激変している現在とがどこか類似してことを感じているのだ。もちろん、ここには第二次大戦後の現在の違いも実感しており、そう簡単に歴史は繰り返さないとも思っている。こうした矛盾的な意識の中ではあるが「むかしのにおい」ということに敏感になっているのだ。ここには「戦争と強権化、そして経済的矛盾の深まり」というかつての道がイメージにのぼり、それ故にこの道に抗して行く別の道をどのように構想しえるかという問いかけが含まれている。かつての道を繰り返さないという思いが、繰り返させないという決意や願望を含んでいるように。

 東京新聞は「9条の会の出店を拒否」(国分寺まつり)と報じていた。「梅雨空に『9条守れ』の女性デモ」という俳句が埼玉の公民館の館報雑誌に掲載を拒否されたというのは続くものだろうが、戦争の傷痕を伝えるものの撤去とともにこうした動きが目につく。僕は過日、帰省した折に戦死者の墓が消失していたことに衝撃を受けたと記したが、どこかで連なることかも知れない。僕はこういう度にM・フーコーが日本で、赤紙一枚で日本の権力が兵を召集しえたのは政治権力が強権であったためだけでなく、それに協力する社会権力があったからだと述べていたことを想起する。ここでいう社会権力とは社会的な団体(地域的な団体、職場、学校、家族)等での権力のことだ。権力とは政治権力や国家権力だけのことではない。戦争とは国家権力が超権力化し、それが発動されることであるが、同時にそれに結びついた社会権力が基盤的に動くことだ。国家権力が強権化に向かって政策展開をすることは権力の集中化である。最近の安倍政権の動きはそれを明瞭に伝えるが、他方で拡散化の動きもある。この拡散化とは社会権力の協力体制の強化である。この拡散化として働く力が、地域的な団体での動きである。これはかつて日本が戦争に向かって国家権力の集中化とともに拡散化の面において展開した動きと似ている。

 こうしたことを考えると政府の「戦争と強権化」に闘う、それに抵抗するには二つの道が不可避であることを教える。政府が集団的自衛権の閣議決定などの政策展開をやることに反対しそれを押しとどめることと同時に地域的な場での社会的権力の動きに抗していくことだ。多分、こうした社会的な場での抵抗や闘いは国家権力の集中化との闘いとは違う困難さがある。日常的な身近なところでの社会関係では自由で民主的な関係よりは伝統的な関係が続いている要素があって異議申し立てをすることが難しいからだ。そこでは物をいうことも困難ということがある。より身近な場での権力のありようを変えること、そこでの抵抗をすることは政治行動一般とは違う問題がある。でも、ここでの基盤の変革、裾野の拡大、つまりそこに自由で民主的な思想が浸透することは非戦の深まりに不可欠なのである。

裾野とか基盤とか言われるが、国家権力の強権化はこうした領域に権力が浸透するのを含むのであり、この拡散化に抗しえなければむかしの道への回帰に抗した未来はない。社会的な場での、より日常化的、生活的なところで自由や民主的なものを生成していくのは易しくはない。僕らは報道されたような事態に注目し、それが一過的なものに終わらせずに、こうした領域や場での闘いとして持続していく必要がある。大きな集会やデモに参加することとは少し次元の違った困難さを伴うがこうした意味をもつことを自覚しやって欲しい。

 テントの中には地域での場の闘いを告知するものが張ってある。その多様な展開に注目し、機会あれば出掛けて行きたいと思っている。秋の陣と言われる9月からは中央でのデモや集会なども多くある。川内原発再稼動阻止に向けた行動も準備されている。これは強権化に向かう国家権力の集中化との闘いだが、他方で拡散化の面での動きに抗する面も展開されると思う。地域などの多様な闘いだが、そのもつ重要性はあるわけで、これも秋の陣なのである。(三上治)

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  テントからのお知らせ

9月3日(水)  九州電力・川内原発再稼動反対:九州電力支社抗議行動

(17時~18時) 再稼動阻止全国ネットワーク

第12回東電本店合同抗議 東電本店前

(18時30分~20時) テントひろば他 100団体

◆9月4日(木) 戦争をさせない・9条壊すな!9・4総がかり行動

6時日比谷野音 18時 後にデモ

9月11日(木) 9・11脱原発テントひろば3周年・再稼働阻止大行動
――― 経産省包囲怒りのヒューマンチェーン―――
<主催・呼びかけ> 経産省前テントひろば
経産省前テントは開設1000日を超え、9月11日、3周年となる。福島原発事故はいま未だ収束せず、汚染水は漏れ続け、14万人が避難生活を余儀なくされ、小児甲状腺がんが異常多発し、89名となった。しかし、原発推進の最大責任官庁である経産省は福島第一事故の責任を一切取らず、「エネルギ―基本計画」閣議決定させ、再稼働を推進するに至っている。福井地裁判決は政府の原発政策を根本から問い直し、東京検察審査会は東電首脳3名を”起訴相当”とした。経産省も責任を免れることは出来ない。我々は許さない。9月11日私達は再度経産省を包囲し、再稼働阻止!テント裁判勝利に向け、全国・全世界の人々と連帯し、4年目を闘い抜くことを宣言する。多くの方々参加を呼びかけます。

16時―17時 本館前及び別館前アピール行動
首相官邸及び経産省に対する申し入れ行動
17時―18時 記者会見(テントひろば前)
18時―19時半 経産省前集会
19時半―20時 経産省包囲怒りのヒューマンチェーン
 

★第2テントのブログ「原発いらない女たちのテントひろば  ~福島とともに」もぜひ、ご覧ください。

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