シリア内戦とイスラム国伸長に対するヨーロッパ諸国の介入を見ていると、1840年阿片戦争以降、イギリス、フランス、ロシア、ドイツと言った欧州諸列強が老大国清国に次々と威力介入して行った様子が縮小されたスケールで再現されているように感じる。19世紀に比較して介入する諸列強間の民主度格差は少なくなっているが、介入される諸地域の民衆生活を全く配慮せず、自分達だけの価値基準と都合で決定し行動する所は余り変わっていない。大西郷のヨーロッパ文明批判が今日でもそのまま妥当する。東西ヨーロッパ文明に共通する文明の歴史的遺伝子なのであろうか。もっとも、プーチンのロシアだけは、独立国シリアの長期政権と締約して、軍事支援をしている所が違うが・・・。ともかく、欧米諸国の対外軍事行動のあり方に、文武大国日本は反面教師しか見い出せない。着目すべきは、第二次大戦の反ファシズム・民主主義陣営が、今日空爆先行的となっていることだ。
私=岩田は、イスラム国に対する空爆作戦に納得できない。だからと言って、イスラム国の非道な人力テロを許容することも出来ない。そこで、私は一つの夢想案に思い至った。今週札幌のある大学で開かれた国際研究集会で駐日ドイツ大使が短い報告をした。聴衆の一人であった私は、質問と言う形で、以下のような対独提案をした。
私がドイツの政治家や将軍であっても、フランス大統領と同じく、爆撃機をISに向けて発進させます。但し、爆撃機には爆弾を積まない。ドイツに平和的に定住している勤労イスラム教徒達が、IS下に生活する同宗イスラム教徒達にあてて書いた良心の手紙を何千何万と積み込み、IS統治下のイスラム民衆に連日空から送りとどける。フランス爆撃機は爆弾を積み、ドイツ爆撃機は平和の手紙を積む。大使よ、如何。
かつて、「2001.9.11」以降、その首謀者と見なされたウサマ・ビン・ラディンはアフガニスタンのタリバーンによってかくまわれていた。当然、アメリカは彼の身柄引渡しを要求した。タリバーンは、アメリカ権力にではなく、イスラム諸国のどこかで正統なイスラム法廷が開かれ、そこでウサマ・ビン・ラディンがイスラム法で裁判されるのであれば、彼を引渡す、と提案したことがあった。そうであれば、タリバーンの面目もたつ。残念ながら、アメリカは拒絶した。そして空爆に走った。
私=岩田は、当時まことに不思議だと直覚した。たとえば、カイロでイスラム法廷が開かれ、ウサマ・ビン・ラディンがそこで無罪放免になったとしても、アメリカCIAは彼の居場所を百パーセント確認でき、常に追跡し、アメリカの好きな時に身柄拘束できたはずだ。タリバーンに対する空爆も必要なかったはずだ。
アメリカは、ウサマ・ビン・ラディンの逮捕拘束よりも彼のいるアフガン空爆を優先させたかったのだ。9月11日のニューヨーク大惨事を映像で連日見ていた私は、アメリカが「特攻自爆攻撃には連続大量空爆を」御返しする、つまり「目には目を、歯には歯を」の古代的報復心性に突如目覚めた気持がわからないではない。「自爆空爆には逮捕拘束を」ではアメリカ民衆の社会心理的インバランスが納まらなかったのであろう。
ところで、11月13日のパリ無差別乱射130人殺人事件の場合、フランス国家が航空母艦と爆撃機を使って空爆する事をフランス民衆の社会心理が本当に要求していたであろうか。私の夢想案の実現が文化的にしっくり行く所は、ドイツと言うよりも、フランスであっただろう。フランスで生活し、働き、稼ぎ、突如発生した同宗少数者による乱射事件に心底苦悩しているフランス人イスラム教徒が文明の平和共存、宗教の平和共存に努力している姿をIS下のイスラム教徒に手紙で知らせる。何十万通のそんな手紙をフランスの爆撃機が爆弾のかわりに、連日IS領の民衆に空からとどける。ドイツのガイストに、と言うよりも、フランスのエスプリによりふさわしい姿勢ではなかろうか。ああ、それなのに・・・。
「何を甘いことを。敵は敵、味方は味方だ。」と言う人もいよう。かつて、大日本帝国最後の首相、海軍軍人鈴木貫太郎は、敵の大将ルーズヴェルト大統領が亡くなった時、弔意を打電した。戦い、つまり殺し合いの最中でさえかかる礼節がかつてはあった。
平成27年12月11日(金)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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