テント日誌12月12日…テントに着いたら悲しい知らせ

経産省前テントひろば1553日

テントに着いたら悲しい知らせが…

異常に暖かかった昨日に比べて冷たい風が吹き寒い一日だった。
昨日の風と枝の剪定で外務省脇の木々の葉がすっかり落ちて寒々しい景色になった。
議事堂の姿もすっかり現れたし…
「テントに着いて暫らくして電話が鳴り悲しい知らせが届いた。
11月初めから療養していた廣澤さんが他界されたとのこと。
テントに無くてはならない方だったのに本当に残念です。
ちょっと無理が続いたのでしょうか?
これも安倍のせいと怒りがわく。」

11時すぎ反原発美術館に新しい絵を描くためのスタッフが集まって賑やかになる。以前右翼の襲撃で破られた柚木ミサトさんの「赤つぶ」の絵をHさんが洗濯修理してテントに展示した。
久しぶりに増山玲奈さんがいらして完成した映画「サダコの鶴」の話などしてテントの写真を撮って行かれた。美術館を見に来てくれる方もいて嬉しい。

私は座り込みを抜けてM子さんと官邸前に行きインドとの「原子力協定反対・武器輸出反対」に参加して来た。
インドの女性が40年も反原発運動をしていると言うので驚いた。
デリーでも反対集会があるとのことだけれど、ちゃんと報道されるか心配です。

テントを興味深く眺めていた通りがかりの男性に声をかけたら、茨城の方だった。お母さんが54歳にして癌で亡くなったとのこと、お父さんは原発のせいではと悩んでいるそうだ。
でもご本人に原発をどう思うかお聞きしたらあまり考えてない様子。
最初チラシを受け取らなかったが、Tさんと原発の事など話しているうち判ってきたのかチラシを持って帰ってくれた。
原発を使ってはいけないこと納得して反対運動に参加してくれるよう願う。

時々来てくださる方がお煎餅をたくさん持ってきて下さった。
お名前を聞くのを忘れて済みません。

ライブペインティングなどのためテントに人が多かったのでTさんと私は早めにテントを後にした。(I・K)

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それにしてもやりきれない気持ちだ 廣澤さんの訃報を聞いて

 戦中派と思しき人たちの訃報に言いようのない気分だと書いたのはほんの数日前のことのような気がする。その後にも野坂昭如さんの死が伝えられて、それにしても続くなぁ、と思っていたのだが、今度は廣澤さんの死だ。廣澤さんはテントの重要な役割を担ってくれていたメンバーだが、最近はかなり厳しい病状で療養にあり、気がかりだった。それにしても、まだ、とは思っていたのでショックだという他ない。

 僕が廣澤さんと初めてあったのは1968年の日大闘争がはじまったころだった。1968年の6月頃だったと思うが、彼は日大理工学部闘争委員会のメンバーとして登場してきたのだ。僕はそのころ日大理工学部の隣にあった中央大学の学生会館によく出入りしていた。この学生会館には日大闘争の初期の頃は日大のメンバーもよく出入りしていたように記憶する。多分、その辺で出会ったのだと思う。僕は日大の大学占拠のバリケードの中の自主講座などを引き受けていたこともあって幾分か親しい関係にもなった、1968年頃からといえば、もうずいぶんと月日が経つのだけれど、あれから付き合いは続いていたのである。政治的な関係ではなかったけれどどこかこころを許せるようなところがあってのことだ。

 彼と再び闘いの場で顔を合わすようになったのは僕らが「9条改憲阻止の会」を作ったときからである。憲法改正の動きがちらつてきて、かつての学生運動仲間が集まりだしたころだ。この会が国会前で自衛隊の海外派兵(インド沖への海上自衛隊の派遣)に反対しての座り込みなどを始めた時期である。彼は国会前の座り込みによく顔をだしていたし、いつの間にか僕らは常連というか、そういう関係になった、あれから、「3・11」があり、僕らが脱原発運動をはじめ。経産省前のテント行動に入るや彼はその重要な役割を担っていた。いつの間にそうなっていたのだが、彼はテントの昼の当番などを引き受けていたのである。特別に話をしなくても、お互いに考えていることは分かるっているそんな関係だった。これは僕の勝手な思い込みかもしれないが、そんな関係に深まっていたのだし、その意味では僕には廣澤さんはかけがえのない存在だった。これは、僕にとってだけでなく他のメンバーにもそうだったのだと思われる。

テント闘争の今後についてお互いが自問しながら考えあぐねていることは、推察しあっていたし、そういう信頼はあった。彼も自問しながら、悩み、そして心配をしていたのだと思う。彼のその残された思いを僕は何処まで引き受けられるかしれないが、そこのところでは彼の事をわすれないだろう。彼の魂は簡単に天国などには行かないで、テントの周辺をさまよっているのかもしれないが、そうしていてもらいたいと思う。僕は安らかにとか、天国になんて言わないつもりだ。

何かの折に僕は彼の事を想起し、自然に対話を求めるのだろうが、これは僕らが出あったことのあかしだし、消えないことだ。昨日までそこに座っていた彼の優しい笑顔を僕は忘れることはないが、誰にもそんな風に廣澤さんのことは残っていくのだと思う。(三上治)

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●第3回四国電力東京支社抗議行動にご参加を!
伊方原発3号機再稼働阻止!  伊方町民の多数は再稼働に反対!
日時:12月16日(水)18:30より19:30
場所:四国電力東京支社  東京銀行協会ビル前(丸の内1丁目/大手町駅D4出口すぐ)
 主催:再稼働阻止全国ネットワーク TEL 070-6650-5549
第4回抗議行動は、2016年1月20日(水)18:30より19:30

毎週金曜日 経産省前抗議集会(17時30分~18時)

主催:経産省前テントひろば

経産省前テントひろば・反原発美術館

Occupy Kasumigaseki Anti-nuclear Tent Museum

●「経産省前テントひろば・反原発美術館」がオープンしました!

イベント予定(近い日程の分です)

(いずれも会場は反原発美術館テント内)

 12月19日(土)13:00~

A3BC:反戦・反核・版画コレクティブによる版画ワークショップ

(1955年12月19日=原子力基本法公布の日)

経産省前テントひろば 反原発美術館

年中無休・入場無料

開館時間:12:00~20:00

※イベント開催時は、開館時間が異なる場合があります。

※原則無休ですがメンテナンス等の事情により休館している場合もあります。

美術館所在地:東京都千代田区霞が関1-3-1

最寄駅:東京メトロ「霞が関」駅A12a出口、銀座線「虎ノ門」駅7番出口

主催:原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに

コーディネーター:早川由美子(映画監督)