4月24日に2つの衆院補選が行われる。北海道5区と京都3区だ。巷間では両補選は「民共協力」の代表的構図といった的外れの観測記事が流れているが(日経新聞2016年3月20日)、とんでもない、両補選は「月とスッポン」と言っていいくらい違う選挙なのだ。前者はいわば与党 vs 野党共闘の「大義を掲げた正規の戦い」なのに対して、後者は自民も共産も候補を立てない「訳の分からない非正規の戦い」でしかない。民主党の比例現職議員が小選挙区に鞍替えして立候補し、これに対して戦うのは、京都市民にとっては「おおさか維新」「日本のこころ」「幸福実現党」「無所属」といったどこの誰かもわからない候補者たちなのである。選挙戦は「イレギュラー(不正常)」そのもので、これでは衆参同日選どころか参院選の前哨戦にもならない。
北海道5区では自民候補と対峙する無所属候補を民主、社民などが推薦し、共産は擁立候補を取り下げて野党共闘が実現した。野党統一候補は2月に民主、共産の地元組織や市民団体と政策協定を結び、その後も連携を強めている。しかし、京都ではそんな条件は何一つ存在しない。民主が徹底的に共産との共闘を拒否し、共産は「自主投票」を表明しただけで「民共協力」など影も形もないのである。有体に言えば、自民党が出馬を見送った好機に乗じて、民主党が小選挙区と比例区(繰り上げ当選)で2議席を得ようとしているだけのことだ。
この間の事情をもう少し詳しく説明すると、ことは自民の擁立断念で民主が「漁夫の利」を狙う機会を得たことから始まる。もともと補選立候補の民主現職は、京都3区で過去5回の衆院選のうち3回は選挙区で当選した実力の持ち主だ。最近の2回は自民にトップを譲って比例区で復活当選したものの、その差は僅かでほぼ互角の戦いだった。自民が候補擁立しなければ民主の当選はほぼ確実となり、そうなると比例区の繰り上げ当選でもう1人の議員も獲得できる。民主にとってはまさに「一挙両得」のチャンスなのである。
こうした事態を見越していたのか、民主党の枝野幹事長は2月28日、京都で記者団の質問に答え、共産との選挙協力は補選でも参院選でも「全く考えていない」と断言した。枝野幹事長は「野党5党で国会対応、選挙なども含めて出来る限りの協力をするということだが、できることとできないことがある。我々は京都3区について共産党と何か話をすることはない。参院選もしかりだ」と語ったのである(毎日新聞2月29日)。
また民主京都府連は、自民が候補擁立を断念した翌日の3月13日、党定期大会で「いずれの選挙でも共産党と共闘しない」との大会決議を採択した。民主は自力で当選するだけの力がない時は野党に支援を期待するが、その条件があるときは野党共闘など見向きもしない。それが民主京都府連の大会決議になっただけのことだ。補選立候補の民主現職も日米安保条約の信奉者であり、安保法案の審議に際しても「我々は日米安保条約を現実のものとして安保法の審議にも臨んできた。共産とは最終的に相いれない」(朝日新聞3月15日)と公言する人物だ。5野党合意の確認事項である「安保法制廃止、閣議決定撤回」についてもいまだ公約として明確に掲げていない。いわば民主は、党執行部、地方組織、候補者が三位一体で「共産党と共闘しない」と明言しているのであって、このような状況の下ではいくら共産が5野党合意を実現する立場から「自主投票」にすることに決めたといっても、それは「民共協力」とは言えないだろう。
京都の民主党は、前原誠司氏(元民主党代表)に代表されるような「自民より右」といわれる勢力の影響力が大きい。前原氏は昨年11月14日、読売テレビの報道番組で来夏の参院選に向けた民主党と共産党の選挙協力について、「野党低迷の一つ(の理由)は、共産党が統一政権を呼びかけ、それに揺さぶられているということだと思う。私は(地元が)京都だから非常に共産党の強いところで戦ってきた。共産党の本質はよく分かっているつもりで、シロアリみたいなもの。ここと協力したら土台が崩れてくる」と発言した人物である。また京都の民主会派は、府議会でも市議会でも自民との長年の与党関係のもとで「一心同体」と言われるほど緊密な協力関係にある。直前の京都市長選でも両党は現職候補のために連携して戦ったし、そのなかで福山参院議員が連合京都の支援集会で「全力を挙げて共産党候補と戦う」と叫んだのはつい最近のことだ。
それにしても民主京都府連の「いずれの選挙でも共産党と共闘しない」との大会決議は、5野党合意である「国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う」を真っ向から否定するもので驚くほかはない。個々の選挙情勢に応じて「共闘する」「しない」ということであれば、これは戦術レベルの話でどこの政党にもあることだが、しかし「いずれの選挙でも共産党と共闘しない」となると、これは政党組織の基本にかかわる戦略レベルの方針決定となる。民主京都府連にとっては「共産党と共闘しない」ことがこれからの党是となり、党活動の原則になるのである。民主は地方選挙であれ国政選挙であれ「共産党と共闘しない」ことを宣言することで、京都では野党共闘へ終止符を打ったのである。
一方、3月14日の共産党京都府委員会声明によると、共産党が他党の公認候補を応援する条件は、「①安保法制廃止、閣議決定撤回を選挙公約とする」、「②選挙協力の意思があることを確認する」の2点である。しかしながらその結論は、「今日までの民主党京都府連および泉健太氏の表明は、日本共産党が求める2つの条件を満たしておらず、現状では選挙協力の見通しが立っていない」としながらも、独自候補は立てず「自主投票」にするというものであった(京都民報3月20日)。また山下書記局長は、①安保法制反対で合意をした民主党が現職候補を公認している、②中央レベルでも京都レベルでも、民主党からわが党への協力の要請はない、③(京都3区選挙は)5党首合意で確認した現与党とその補完勢力を少数に追い込む必要のある選挙となることの3点を挙げ、「これらを踏まえ総合的に、自主的に判断した。補選という特別な条件のもとでの判断だ」(しんぶん赤旗3月15日)と述べた。だがこの3点がどうして「自主投票」という結論に導かれるのか、その論理的説明がない。ただ「総合的に判断した」と言っているだけだ。
共産の「自主投票」に対して革新支持層から批判の声が上がる中で京都を訪れた共産党の志位委員長は3月20日、街頭演説で公認候補を擁立せず自主投票を決めた衆院補選について、「京都の民主が共闘を拒む残念な態度をとる中、野党共闘を望む市民の声に応えた」と理解を求めた。また演説後の取材に対してもこのことに触れ、「同日の北海道5区補選で協力しながら、京都で野党同士が戦えば、安倍政権から『野合の姿があそこにある』と攻撃される」と説明した(京都新聞3月21日)。しかしこんな説明に納得する京都市民はそんなに多くはないだろう。北海道は北海道、京都は京都なのだ。北海道はそうでも京都はそうでないのだから、その違いを棚上げして一緒にやる方がむしろ「野合」ではないか。少なくとも私にはそう感じられた。
北海道5区のように与党 vs 野党共闘の「大義を掲げた正規の戦い」であれば選挙戦も盛り上がり、投票率も上がるだろう。多くの有権者が安倍政権打倒のために立ち上がり、野党統一候補が与党候補に勝利する可能性が生まれるかもしれない。それが本来の5野党合意の目的であり、成果であるからだ。だがこれに対して、京都3区では自民も共産も候補を立てない「訳の分からない非正規の戦い」になった。加えて、5野党合意の立場を意図的にあいまいにしようとする民主党現職が保守票も含めた幅広い支持を得る選挙戦略を展開するのだから、いったい誰が誰と戦っているのかが一層わからなくなる。
私は、保守系・革新系を含めて多くの有権者がこのような「訳の分からない」選挙戦にそっぽ向き、投票率が大幅に下がるだろうと見ている。まず民主が期待する自民票はその多くが棄権に回るだろう。自前候補でない民主現職候補に(しかも当選確実といわれる)自民支持層がわざわざ投票に行く動機が働かないからだ。また保守票狙いの「おおさか維新」と「日本のこころ」が候補者を立てているが、いずれも30歳代の女性候補で実体は「泡沫候補」に近いと言ってもいい。私の周辺の自民支持者や保守層などは「あんなのにいれられるか」と見向きもしていない。
となると、革新票の行方が気になる。共産が「自主投票」を決めたことで、民主候補は「安倍政権の政策に疑問を持つ人には党を超えて結集してもらいたい」(朝日新聞3月16日)とか虫のいいことを言い、また京都府連幹部も「結果的に共産支持者の票はこちらに流れてくる可能性があるのは確かだ」(京都新聞3月15日)と胡坐(あぐら)をかいている。だが、こんな虫のいい期待が実現することはないだろう。共産を足蹴にして党利党略選挙に終始した民主に対する批判は革新支持層の中でも渦巻いており、私の周辺では「今度ばかりは絶対に投票に行かない」という人が結構多い。私自身も有権者になってからは1度も棄権したことはないが、今度ばかりは棄権することで「ノー」の意思をはっきり示そうと思う。
初出:「リベラル21」2016.03.25より許可を得て転載
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