自 分 探 し の 旅 路 —–「奇妙な縁」——

著者: 藤倉孝純 : ドストエフスキー研究者
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        地 獄 を さ ま よ う 魂

――高橋たか子・洗礼まで――

目  次

【Ⅰ】 作家の特徴 (4/5掲載)

―『渺茫』によって―

【Ⅱ】 わたしが真犯人なの――?(4/7掲載)

         ―「ロンリー・ウーマン」―

第一章     乾いた響き

第二章        なりすまし

第三章        「それは私です」

【Ⅲ】 (めくら)めく灼熱を歩いたのだ(4/10、13掲載)

        ―『空の果てまで』―

第一章 エピソードいくつか

第二章 哲学少女

第三章 第一の犯行

第四章 第二の犯行

第五章 火急の自分

【Ⅳ】 心性への侵犯(4/18、21掲載)

―『誘惑者』―

第一章     言いようもない

第二章     私、不安だわ

第三章     ロマンのかけらもない

第四章     なんでもできる

第五章     詰襟の学生

【Ⅴ】 自分探しの旅路(今回掲載)

       ―「奇妙な縁」―

第一章     老女るりこ

第二章     出会い

第三章     幻影

第四章 羽岡フレーズ

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深い宗教的なテーマを幻想風な筆致のなかに収めた短篇である。主人公吉村るりこ70歳が逞しく生きる現在を語り、悲惨な過去を回顧しながら、祈りにも似た命の再生へ想いをよせる。1977年4月、雑誌「昴」に発表された作家45歳の作品。連作『ロンリー・ウーマン』の終章として収められている。

第一章 老女るりこ

吉村るりこは、第三篇「狐火」に登場する少女である。

デパートの装身具売り場で働く野沢伊知子は、ペンダントとカツラを万引きした小学校3~4年くらいの少女に気づき、保安係りと共にその子を保安室へ連れて事情を聴いた。少女は保安室へ入るや否や、ソファの上で「お腹が痛い、お腹が痛いよ」とのた打ち回って泣き叫んで話に応じない。少女とはいえ女性である。保安係りは後々のトラブルを考えて、診療室の医者を呼んだ。医者が来て、少女の腹に手を触れようとすると、「ああら、いやだ」となまめいた声を出して、媚態をしめす。なかなかしたたかな子である。少女が万引きした商品は回収したので、保安係は氏名、住所を確認したうえで事を内輪に収めることにきめた。しかし少女の興奮状態が治まらないので、万が一のことを心配して、伊知子が少女を住まいまで送り届けることにした。少女の住まいは東京都板橋区のマンモス団地、B区H棟312号であった。表札にも「吉村」とあった。伊知子は少女を無事に送り届けて、その日一日、ハッピーな気分であった。

数日後の休日の午後、自宅から買い物に出かけた伊知子は、念のためと思い吉村るりこの住まいを再度訪ねてみた。B区H棟312号の扉をノックした。すると、

「何ですかな」

と、黒っぽい老婆が顔を出した。

「ちょっと通りかかりましたので。吉村るりこさんはお元気ですか。私、先日、街で気分が悪くなられて送ってきた者です」

伊知子は言い、扉の中を覗くふうにした。

「吉村るりこ?」

老婆は扉を閉めそうにして、言った。七十歳くらいだろうか、不思議に老醜というものはなくて、どこか飄々としている。

「そうなのです。お孫さんですね」

「私は独り者ですが」

「あら、吉村るりこさんはここじゃないのですか」

「知りませんよ。るりこという子供は聞いたことがありません」(『ロンリー・ウーマン』集英社文庫所収 p117 以下同じ)

これが、少女吉村るりこと老女吉村るりこの登場場面である。団地のドアーを開けた途端に、少女が突然老女に変身する。このドアーは「時代」の境界である。ドアーの外側に立つ野沢伊知子は、それを開けたら五十年後の世界を見ることになるし、逆に、ドアーの内側に住む老女にとってドアーの外側は、五十年以前の「昔」である。同じ氏名を持ち、同じ住所に住んでいるところからすれば、少女と老女は同一人物と見るのが自然であろうが、作家は二人の関係の説明をあえて省略して、それを読者の想像に任せている。読者は二人の関係をどのようにも想像してよい。ここに、この作品の非日常の“幻想性”が生まれる。作家はこの種の手法を本編でいくつか採りいれて成功している。

万引き少女吉村るりこがデパート店員野沢や保安係りを前にして、したたかな演技を見せてピンチを切りぬけたように、老女吉村るりこもまた、さまざまな修羅を生き抜いて今、逞しく生きている。そこをまず紹介しよう。

吉村るりこはざりざりする埃風に逆らって行く。もうこの年になると肌の毛穴まで干からびてしまっていて、埃をかぶっても埃がくっつかない気がする。人が汚れるのは自分から出るもので汚れるのだ、ということがわかってくる。

年をとって結構きれいになったわ。

と、吉村るりこは呟いた。(p171)

都心の病院へお喋り仲間を見舞った帰り、るりこは地下鉄の駅へ向かってビル街を歩いている。春に特有の「ざりざりする埃風に逆らって」歩いている。春風に浮かれてのそぞろ歩きでもなく、風を背に受けて気楽に歩いているのでもない。「ざりざりする」(この形容詞が感覚的で面白い!)埃風にあえて逆らって歩く彼女の姿に、七十年の歳月のあり様が幾分か示唆されているだろう。彼女は毎日歩く。用事のためにも、また健康のためにも戸外を歩く。これまでも長い長い間一人で歩いてきた。彼女は太平洋戦争のとき満州(現中国東北部)で暮らしていたらしい。敗戦前後の混乱のなかで、夫も息子も戦場で失い、実の妹も現地で亡くした。わずかな荷物を持ち、身ひとつで満州から朝鮮半島を徒歩で南下した女性であった。敗戦による日本軍の瓦解、ソ連軍の侵攻、抗日武装勢力の活発な活動のなかで、徒歩による逃避行は酸鼻を極めた生き地獄であったろう。逃避行の過程で、餓死する者、絶望のあまり自殺するもの、離散する家族、いわゆる「中国残留孤児」問題等々はこうした状況の中で生まれたのでる。吉村るりこの過去に関係させて、作家はこうした点には触れていないで、ただ「ざらざらする埃風に逆らって」歩みを進める老女吉村るりこの現状を記すにとどめている。

「埃風」との関連で、上記引用の、「汚れ」についてもコメントしておこう。この「汚れ」は“よごれ”とも“けがれ”とも読める。引用文中「もうこの年になると― -埃をかぶっても埃がくっつかない気がする」とあり、また埃風のなかを現に歩いているのだから、汚れ(よごれ)と読むのが順当なのであろうが、筆者は、汚れ(けがれ)の意味も含ませて読みたい気がする。というのは、上記引用に「人が汚れるのは自分から出るもので汚れるのだ」とあるからである。「汚れ(よごれ)る」は身体や衣服が外的な原因で汚くなる事であるが、「汚れ(けが)」は理屈っぽく書けば、「穢れ」に通じるもので、内面的な清浄さに力点が置かれている。政治、経済、社会等の外的要因によって、人心が荒廃する側面はむろん否定できないが、それと並んで、自らを律する精神の自立を失った時、人は止めようもなく堕落する。「人が汚れるのは自分から出るもので汚れる」という想いが日常の生活のなかで無理なく口に出せるには、長い人生経験が必要なのである。既に論評した『湘茫』の主人公、清子は三十前の女性であり、『空の果てまで』の主人公秋庭久緒は三十歳半ば、既述の『ロンリー・ウーマン』の主人公、山川咲子はミドル・エイジであった。吉村るりこは七十歳である。長い人生経験が、無理なく生きる術を人に授ける。

吉村るりこは地下鉄に乗って帰宅する途中である。車内のつり革を手にして立つと、黒い窓がラスに自分の顔がはっきりと映る。

この顔とももうずいぶん長い間附き(ママ 筆者)合ってきて、この十年ほどは、いいもわるいもこの顔を正視できるようになった。若さのあった頃には、自分とは他人がどう美しく見てくれようとも嫌な存在だ、と思って生きてきたのに、いつの間にかそういう意識が毛束の抜け落ちるようにすぽっと抜け落ちて、つるつるした禿のような、あっけらかんとした自分の生存感覚がある。(p178)

女性に限ったことではない。男性でも、特に思春期の頃には身体や顔はむろんのこと、歩き方や喋り方にまで劣等感をもつことがある。るりこも長い年月、自分の顔を正視しにくかったのだろう。それがここ十年ほどで、――ということは六十歳を過ぎてようやく、現にある自分のこの顔で生きてゆく覚悟ができたのであった。苦労の多い人生体験が、彼女を逞しくしたとも言えるし、逆に、彼女が自分自身と妥協する術を覚えたともいえよう。吉村るりこはおそらく若い頃から長い間、自意識の強い、ややもすると観念的な女性として生きてきたのであろう。それが、この歳になって自分の感性を信じて生きてゆけるようになったのである。先に引用しておいた「年をとって結構きれいになったわ」と呟くるりこの感慨には、こうした考え方の変化、行き方の変化があったのである。そうであるからこそ、吉村るりこは七十歳という年の割には「不思議と老醜というものがなく、どこか飄々と」生きる女性なのであった。筆者が「汚れ」(よごれ)、「汚れ」(けがれ)にこだわるのも、ここに由来する。

地下鉄を出て十分もすると、るりこが住む団地である。団地内を歩いていると、薄闇の前方から幼い声で、「るりこさん、るりこさん」と呼ぶ声がする。どうしたわけだか一年ほど前から、時々しなやかな髪を垂らした少女に会う。少女は吉村るりこを見かけると親しそうな声で“るりこさん”と呼ぶ。大体、少女が老女にむけて「るりこさん」と呼ぶのがおかしなことだが、ある時「あんたどこで私の名前を知ったの?」と訊いたら、返ってきた答えが面白い。遺族者名簿に住所があった、と言う。「遺族者名簿」、これはとうの昔に死語となった言葉ではないか。「遺族者」は戦没遺族者のことで、名簿は昭和三十年代までは旧厚生省引揚援護局に用意されていて、名簿の閲覧は許可されていたらしい。小学3~4年の子が今では黴の生えたような言葉を知っていること自体不思議である。吉村るりこは少女に「どうして私に近づいてくるの?」と訊いてみた。「どうしてだろう? どうしてだろう?」と言いながら、少女はしなやかな髪を一際美しく見せながら、ぴょんぴょんと仔馬が跳ねるようにうす闇の中へ消えていった。少女を描く作家の筆致には暖かい柔らかさがある。また、生き生きとした少女の口から自然に飛びだす「遺族者名簿」という死語が、この作品に非日常的な幻想性を何がしか与えてもいる。

ここまで「少女」をフォローすれば、この少女が、老女吉村るりこの五十年以前の幻像であることは見やすい。老女るりこはこの少女に会い、会話を交わすことによって五十年以前の自分の過去へ舞いもどるのである。老女るりこが過去へ舞いもどる媒介として、少女は老女の面前に現れる。しかし、単に過去を回想するのであれば、わざわざ少女を媒介項として設定することはなかろうと思われる。だが後述するように、吉村るりこは自分の過去を懐かしい思いでとして感傷に耽りたいのではない。老女るりこにとって過去は既に昔の体験談として完結したものではなかった。彼女の過去の諸事件は、いまだに吉村るりこの現在の生活に大きな影響を及ぼし続けている。彼女は過去に自分が体験した諸事件を、少女を介して再体験しようと意図しているのである。彼女にとって過去の再体験は、とりもなおさず彼女の現在の生活のあり方を点検する手がかりを与えてくれる。こうした意味合いで、少女は老女るりこの前にときどき現われるのである。

忙しかった一日を終えて、吉村るりこは頭の隅に少女の影を思いながら、部屋へ戻った。

第二章    出合い

吉村るりこが敗戦直後、旧満州から徒歩で朝鮮半島の最南端、釜山港まで南下した点は先にわずかに触れた。今彼女は、帰国を待つ大勢の元軍人、軍属、開拓民たちと共に待合室代わりに使われている倉庫の一室に待機している。長い逃避行の後、飢えと疲労と寒さのなかで、日本へ向かう関釜連絡船を待っている。しかし、船は一週間たっても、二週間たても来なかった。人びとは家畜のように狭い倉庫に押し込まれ、両膝の間に首をつっこんだ姿勢で乗船できる日を待ち続づけた。

吉村るりこは、旅行かばん一つだけの中年男性と隣り合わせに坐っていたが、ときどき目線が合い、なんとなくお互いに話し合うようになっていた。人びとは用便や飲食で席を離れる時には、どんな大きな荷物でも自分で持ち運ぶか、さもなければ肉親か、信頼できる人に預けるかした。そうでもしないと持ち物はかならず盗まれた。ある夜、重病人が出たと言って、係りの者がその男、羽岡唯蔵を呼びに来た。羽岡は唯一つの荷物、旅行かばんをるりこへ預けて席を離れた。男はなかなか戻ってこなかった。彼女は自分の荷物と、男の荷物を身体にくくりつけて、床に坐ったまま苦しげに眠った。翌朝、まわりの人びとが動く気配で眼を覚ました彼女は、預かった荷物が盗まれているのに気づいた。男は昼近くになってようやく戻ってきた。彼女は正直に事情を話して詫びた。

「あ。――」

と、男は、動物的な声をたてた。内臓が一瞬だけ絞られたような音だった。それから男      は、まるで感情も感覚もない泥人形みたいになった。濃い濃い沈黙が男のまわりに拡がりだす。その時になって、迂闊にも吉村るりこは、自分が大変な事をしてしまったのに  気がついた。

「すみません」

と、吉村るりこは言った。言ったぐらいで済まぬこと、何百回言ってもどうしても決して償いようのないことに直面していると感じてはいた。先刻男のたてた、あ、という動物的な声のなかに、その男の慟哭が凝結していたのを、遅まきながら気づいていた。(p185)

男のかばんには何が入っていたのであろうか。内臓が瞬間絞り上げられるような獣じみた声をたてたというのだから、よほど大切なものだったにちがいない。作家はかばんの中味については何も言ってはいないが、敗戦直後の引揚者という事情を考えると、身内の者の遺品、遺骨、遺髪の類であったのか。ところがどうした事情なであろうか、彼女が「すいません」を繰り返しているうちに、男は急に明るくなった。先ほどの泥人形のような黒い顔にも生気が戻ってきた。

「いいんです、いいんですよ」

と、男は言った。

「いいって、あなた、そんなバカなこと」

と、吉村るりこは驚いて言った。その人の小銭入れを預かっていて、落とした、というのとはわけが違うような出来事である。そのことは先刻の男の声と顔で充分すぎるほどわかることである。

「私は何も持っていなかったのですから、結局のところ。これでいいのです」

男はそう言った。(同上)

上記引用の最後の一行は、よほど注意深く読まねばならない。作家は、この作品の重みをこの一行に託した、と言っても過言ではない。事実、吉村るりこはその後の長い人生において、何遍もこの場面に立ち返り、そしてこの言葉の意味を考える事になるのである。「――結局のところ」以下は、本論稿の結論部分に直結するので後に論ずる。羽岡唯蔵は大切な物を持っていて、それを失った矢先であった。先に確認したように、男はそれを失って、慟哭に近い叫びを上げたばかりのところであったし、そのことで吉村るりこは、何遍も謝罪を繰り返したのであった。このことと男の言葉、「いいんです、いいんですよ」との関連は、どのように考えればいいのだろうか。吉村るりこには理解できなかった。“もしや、私の謝罪が受け容れられないのだろうか?”とも考えてみたが、男の明るい対応から察すると、そうでもないようであった。そのことがあった翌日、待望の乗船が始まった。吉村るりこは男に懇願して、ようやく男の名前と連絡先を聞きだしたが、乗船中の混乱と喧騒の中で、ついに男を見失ってしまった。

関釜連絡船から見た日本海は、大荒れに荒れていた。冷たい大きな刃物のような風が吹き荒れて寒さで、空が氷柱になったかと思うほどであった。見渡すかぎり海には、一条の光もなかった。空と海との区別がつかないほど、暗黒の世界が無限に広がっていた。船中から見たこの暗黒の世界は、戦争に負けた日本社会の荒廃を予示するものであろうが、吉村るりこ個人について言うならば、戦争で夫も息子も妹も失い、財産も全てなくして、たった一人で生きていかねばならない、これから先のるりこの多難な人生を象徴する光景でもあった。

その非力で孤独な吉村るりこには、しかし、一つだけ生き続ける拠りどころがあった。関釜連絡船の男が残してくれた謎のような言葉である。「私は何も持っていなかったのですから、結局のところ。これでいいのです」、この言葉がるりこの心の中で生きていた。あの人は何を失くしたのだろうか、あの言葉はどういう意味なのだろうか、なぜあの時急に優しくなったのだろうか等、彼女は帰国後もずうっとそのことを考え続けた。想い迷ううちに、彼女は一つの大きな決心をした。もう一度あの方にお会いして、謎の言葉の意味を訊ねたい― ―、それ以後というもの、羽岡唯蔵という男に会うのが、吉村るりこの大事な仕事になったのである。本拙論では、羽岡唯蔵のこの言葉をときどき引用するので、これ以降「羽岡フレーズ」と表すことにする。

男から貰ったメモを頼りに住所を訪ねたが、転居していた。転居先も訪ねたが、そこにも居なかった。ある時期から、男の行方はプッリと消えてしまった。吉村るりこにとって、釜山港での羽岡唯蔵との出会いは、彼女の戦後史の第一ページであると共に、彼女の戦後史の原点ともなった事件であった。帰国後、さまざまな困難に直面した際、彼女はかならずこの原点へ戻り、そこで思考を巡らし、決意を改めて、困難を乗り越えたのであった。

それにしても、るりこの執念には驚かされる。四十一歳の年にたった一度だけわずかな時間会って以来、その男の消息を長年追いつづけるのである。尋常のことではない。前後の文脈の中に、二人に男女間の心の通いあいを見ることはできない。るりこは男が失ったものをあらためて聞き出そうとか、探しだそうとでもするのか? だが、文中では失くしたものが何か明示されていない。どうやら、るりこが男に会わねばならぬ唯一の事情は、あの謎の言葉について男から何らかの教えを請う、生きる上での教訓を得たい、ということではなかったのか。男の例の言葉には、るりこの後半生の人生が懸かっているのであるらしい。吉村るりこ自身について言うならば、彼女は帰国以来日々の糧を得る日常生活には人並み以上の苦労があったが、それはそれとして、人はいかに生きるのか、人間とは何か等人生上の煩悶をかかえて生きてきた人物でもあったと思われる。るりこをこのような人物として理解しないと、次節で検討する非日常的な二つの自殺事件は納得できない。

第三章 幻 影

釜山港で羽岡唯蔵と出会ってから七年後のこと、吉村るりこは瀬戸内海の船上で奇妙な自殺に遭遇した。

暴風雨のため瀬戸内海は大荒れに荒れて、船は木の葉のように波に翻弄されていた。夜の風はひどく冷たく、月も星もない、荒波だけがたけり狂っていた。彼女は関釜連絡船から見た日本海のあの暗黒の荒波を思い出しながら、一人、甲板へ通じるハッチの側に立って、外の様子を見つめていた。するとジャンパーを着た工員風の男が甲板を横切って、舳先へ向かって歩いて行くのに気がついた。男は無気力な恰好で、トボトボと歩いていた。彼女は男の様子が不思議に思えて、寒風が吹きすさぶ甲板へわざわざ出て、男の後姿を目で追った。男は彼女に気付いたらしかったが、かまわず舳先へ向かっていった。やがて、男は舳先の手摺を両手で握って、海面へ身体を乗り出した。男がもう一度、彼女へ振り向いた。今度は明らかに彼女がいることを意識したようであった。男は事故防止の索をまたいで海側へ出た。そして三度目に彼女を見て、

「止めろ、って言ってくれないか」

と、男は言った。

その言葉で、吉村るりこは男が自殺しようとしているのだと気づいた。

「おばさん、言ってくれ、言ってくれ」と、

男は声を高めた。(小略)

「なぜ言ってくれないんだ。女って、もっとやさしいものとぼくは思ってたなあ」

と、男はまた言った。

男は失恋したのかもしれない、と吉村るりこは考えた。だが終始、一言も発せず、じっと直立していた。男を凝視し、男の背後の荒海を凝視している。その海は、あの関釜連絡船の上から見ていた海と二重になっている。(p181~2)

事件はこれだけにすぎない。ようするに若い男が船から海へ飛びこんだ。吉村るりこは七年前、関釜連絡船上で見た荒れる玄界灘の辛い体験を思い出しながら男の自殺を見つめた、というだけの事である。しかし、事件の記述からいくつかの疑問が生じる。疑問は全部自殺を見つめる吉村るりこへ結びつく。

台風並みに荒れている甲板へ出て、のろのろと、舳先へ向かう男の様子を見たとき、彼女にはすぐ、「――もしや」という直感が働らかなかったであろうか。男の様子が不自然なので、彼女は寒風になぎ倒されそうになりながら、わざわざ男の後を追ったのである。彼女には当然“この人、何かまちがいでもしでかしはしまいか”という直感が働いたはずである。日本では自殺はめずらしいことではなく毎年何万人かの人命が失われている。国は「自殺防止基本法」を制定してその防止に努めている。だが、法のあるなしにかかわらず、自殺を思いとどまるように説得し、あるいは止めようとするのは人たる者の自然な情であり、人たる者の義務でもある。ところが彼女は真冬の寒風が吹きすさぶ甲板で、男の声が聞き取れるほどの至近距離にいながら、彼女は男へ声一つかけるでもなく、船の関係者に通報するでもなく、死のうとする男を凝視するだけであった。彼女の不自然な行動は、次の点にも現われている。男は「止めろ、って言ってくれ」、さらに重ねて「おばさん、言ってくれよ、言ってくれよ」と彼女へ向けて懇願している。だが、彼女はそれに応えない。その上彼女は、学生ならこんな具合に「懇願はしないだろう」とまで考えたのであった。

吉村るりこのこの一連の不自然な行動は、どのように理解すればいいのだろうか。筆者の結論を先に示しておこう。吉村るりこはこのとき一つの幻影を見ていたのだ。 彼女は今荒れ狂う瀬戸内海の船上にいながら、心は七年前の関釜連絡船のあのときの日本海の荒れた波濤を見ていたのだ。作家は、吉村るりこについてこうも記している。彼女は工員風の若い男に気づく以前に、甲板へ通じるハッチに立って何十分も瀬戸内海の荒海を見ながら、あの時の日本海の荒れた光景を思い出し、立ちつづけていた—-と。

関釜連絡船上での日本海の荒波の光景は、いつの場合でも吉村るりこに釜山港から始まった彼女の苦難に満ちた戦後の生活を想起させずにおかない。戦争で夫、息子を亡くし等々、敗戦後の日本の社会を生きてきた辛く、悲しい日々を彼女はデッキに立って想いうかべていた。すると、工員風の若い男がデッキに現われて、舳先へ向かってのろのろと歩いていく。“この光景は現実なんだろうか、それとも幻影なのだろうか? それにしてもどこかで見覚えがある”と、彼女は自問したかもしれない。彼女が自分の戦後の辛く悲しい時代を想起している時に、若い男の自殺シーンが現われる点に注目したい。このシーンには吉村るりこの過去の体験が何がしか投影されている、と見ていいのではないか。もしかすると、彼女はある時期に、一切合財を清算して一思いに死のう、と思いつめた時があったのかもしれない。作家は、常識では不自然な描写をあえて加えて、このシーンに暗い幻想性を与えた。

敗戦後の一時期、吉村るりこ自身に自殺への衝動があったのかもしれない。次の引用に注目したい。若い男が海へ飛び込んだのを見届けた後、彼女は船室へ戻った。そして自問自答しながら、男の自殺を考えた。

止めろ、と言ってくれないか。

と、男が言った。

なぜ私が、あなたの運命を変えなきゃならないの?

と、吉村るりこは言う。

おばさん、言ってくれ、言ってくれ。

と、男は言った。

いったい何を言うの? そちらのほうよりこちらのほうがいいって言えばいいの? こちらのほうがいいという証拠を、沢山さしだせばいいの? そんなことはできないわ。何がむつかしいって、この世でこれほどむつかしいことは私にはない。(p182)

引用の後半、「そちらのほうよりこちらのほうがいい」云々の「こちら」が“この世”を、「そちら」が“あの世”を指しているのはいうまでもない。彼女にとってあの世へ向かうのか、それともこの世に止まるのか、それはまさに大問題なのであった。どうやら吉村るりこには過去に死への衝動があったとみてよかろう。

第四章    羽岡フレーズ

戦後さまざまな苦難の中で、吉村るりこは三十年以上も前にたった一度だけ会った羽岡唯蔵という男性に大きく支えられて生きてきた。羽岡唯蔵との出会いがあったればこそ、自殺への思いも断ちきれたのであった。“生き地獄さながらの釜山港の待合室で、なぜあの方はああまで深い親切を他人へ示す事ができたのであろうか—–”。羽岡唯蔵の明るく優しい応接は、いつしか彼女の心の中で大事なものとして育っていった。老齢になった今、独り身のるりこが明るく逞しく生きていけるのは、そのような事情があったのである。

ある日、吉村るりこは地下鉄に乗りバスに乗り換えて、気の合った話仲間の入院見舞いに出かけた。総合病院のナースステーションを歩いていた時、

「三階のハオカさんとこへ持ってって。わかってるね、ちっとも口をきかない、あにじいさんよ」(p199)

という声が彼女の耳をとらえた。るりこは咄嗟に声がする方へ振り向いた。一人の看護士がもう一人に薬の袋を手渡していた。ハオカ、羽岡、羽岡唯蔵、あの羽岡さんではあるまいか? あれほど長年探し歩いたあの方にここで会えるとしたら、なんという不思議な(えにし)ではあるまいか——。彼女は旧館と新館の三階病室を一つ一つ探した。そしてついに羽岡唯蔵の名札のある病室を見つけた。彼女はそのまま病室へ入って、羽岡に会おうとして足が止まった。作家は書き込んではいないが、彼女は病室の入り口に立ったまま、一瞬にいろいろなことを考えたはずである。羽岡さんの今の様子はどうなのだろうか、話が出来るような病状なのだろうか、それ以上に、三十年も前のあの釜山港の出会いを羽岡さんは今

でも覚えているだろうか、私に会って“ああ、あの時に女の方”と思い出してくれるだろうか—-、彼女は思い乱れた気持ちを落ち着かせるために、地階の売店で花を買うことを思いついた。

吉村るりこは地階の花屋へ向かいながら、改めてあの釜山港の出来事を思いかえしていた。あの時、羽岡から預かった鞄をうかつにも盗まれてしまったるりこに、羽岡は「私は何も持っていなかったのですから、結局のところ。これでいいのです」と明るく、優しく対応してくれた。“あの鞄の中には何がはいっていたのだろうか。羽岡さんは何を失くしたのであろうか”、るりこはそれを知りたいばかりに長い、長い年月をかけて羽岡を探し歩いたのであった。

あの旅行カバンのなかに唯一の大切な人の遺骨でも入っていたのだろうかと思ったこと

もあった。すくなくとも、そのような魂の執着にかかわるような何か—–。そう、執着。

吉村るりこは羽岡唯蔵に再会できないままに探して歩くにつれて、羽岡唯蔵が失ったものがいよいよ大きくみえてきた。吉村るりこの想像のなかで、それが、この地球全体の大きさほどに拡がってきた。(p201)

羽岡唯蔵が失った「もの」が日常生活での貴重品や贅沢品でないのは、引用からわかる。 作家は、羽岡が失ったものを具体的に示す事を避けて、「魂の執着にかかわるような何か」

とあいまいなままにしている。しかもその「何か」は「地球全体の大きさ」とまで記している。羽岡は一体、何を失ったのであろうか? 彼は本当に何かを失った、と考えていいのだろうか? 本論稿の筆者は大胆にも、作家が失った「もの」と明記している部分を、逆に、「得た」ものと解釈したい思いに駆られている。羽岡唯蔵は何かだいじなものを失くしたかわりに、逆に地球大の大きな、生きていくうえで大切なものを獲得したのではあるまいか。つまり、羽岡は釜山港での盗難にあったとき、彼の精神内部が、そう、彼の魂が

一瞬の間に、ある方向へ転換したのである。言いかえれば、羽岡は物への拘りを捨てることのよって、魂にかかわる、人と人との生き方にかかわる大切なものを得たのである。ここには、“失って得る”という宗教的なパラドックスが存在している。魂にかかわるもの、それを一般化して、“博愛”とか“寛容”と置き換えてもよかろう。

改めて「羽岡フレーズ」を整理するとこうなるであろう。日常のあらやこれやのものは、どれほど貴重なものであったにしろ、この世に生を享けたあとに所有したものであって、もともと人は「何も持っていない」状態でこの世に生まれ出たのである。人は物欲から解放されることによって、本然の姿に立ち戻ることができる。

さて、地階の売店の前にいるるりこへ戻ろう。

吉村るりこは下の売店の花屋の前に立ち、何の花にしようかと思案した。償い色をした花がいい、と思い、ふいに償いなどという思いがけない発想をした自分に驚いた。羽岡唯蔵のためではなかった。(同上)

「償い」という一語は、この場合特に重い内容を秘めている。この言葉はもともと日常たやすく使える語ではない。一般には、責任や罪をまぬがれるために何かを提供する(たとえば寺院へお金を喜捨する)ことである。償いには、行為の主体と対象がなければならない。すると、上の引用では償いの向かう先、対象は誰であろうか。羽岡でないことははっきりしている。彼女がそれを否定しているから。—–が、吉村るりこは羽岡に会うために今しがた花屋まで来たのではなかったのか。たしかにその通りだった。彼女は数分前までは確かにそうだった。だが、羽岡がいた病室から地階へ降りるわずかの間に、吉村るりこの心境に、一大転換が起こったのだ。現に、るりこはもはや「羽岡唯蔵の部屋を訪ねないであろう自分を感じはじめていた」(p202)。つまり、るりこは償い色をした花を持って、羽岡に会う必要がなくなったのである。では、一体、吉村るりこの精神になにが起こったのであろうか。長年探し歩いていた羽岡唯蔵に今会うことができるという千載一遇のチャンスが、彼女の精神に日常に起こりえない何らかの作用をもたらした、としか言いようがあるまい。三十年以前の昔、釜山港で羽岡唯蔵に起こった魂の大転換と丁度同じような精神の一大転換が、たった今吉村るりこに起こったのである。このような精神の一大転換は、通常“改心”と言われている。

彼女は物へのこだわりから解放されて、博愛や寛容という普遍的な生命の尊さを自覚するに至ったのである。この時るりこは初めて、長年謎に包まれていた「羽岡フレーズ」の真の意味が、心底から理解できたのである。「羽岡フレーズ」の意味が諒解できたということは、とりもなおさず、三十年の歳月をかけて彼女はようやく羽岡唯蔵と同じ立場に立てたのである。吉村るりこはもはや羽岡に会う必要がなくなった。償いの花を羽岡へ捧げる事もいらなくなった。換言すれば、るりこも生命の尊さを自覚して、羽岡と同じ立場に到達したのである。

吉村るりこは、花屋にあった茎の長い純白のカラーという花がとても気に入って買った。純潔で、清楚なこの償いの花はだれにプレゼントしたらよかろうか。すると突然るりこは、

“そうだ、辛く、悲しく、誤り多かった自分自身へ”の償いとして、この花をプレゼントしたらどうだろうか、と思った。たしかに、この花は、真の命に目覚めた彼女にふさわしかった。吉村るりこはこの純白な花束を胸にかかえて、新館病棟へ向かってゆっくりと、一歩一歩確かな足取りで歩いてゆく。その姿は、辛く、悲しく、誤り多かった自分の後半生に、あたかも、晴れやかに訣別するかのようであった。この時、彼女は、七十の年齢を越えていた。

本編「奇妙な縁」は、吉村るりこがカラーの花を胸にかかえて新館(=新たな生命の再出発)へ向かうところで終わってもよかったのである。本編がここで終わっていれば、本編の主題は神との出会いによる過去との“明るい訣別”となったであろう。つまりハッピーエンドの一編である。ところが作家はそうした形で終わらせなかった。作家はわざわざもう一つ小さなエピソードを付け加えて、るりこにある含みを持たせて筆を擱いた。エピソードを以下要約する。

るりこが花束をかかえて新館へ向かっていたとき、突然けたたましい音とともに救急車が正面エントランスへ入ってきた。数人の看護士が車へ向かった。患者はストレッチャーに移されて、新館のICUへ向かった。患者は頭から足先まで白布ですっぽり覆われていた。

重態らしい。旧館と新館の境目の段差のところで、ストレッチャーががっくと揺れて平衡を失った。その拍子に紺色のハンドバックが床に落ちて、中の物が散らばった。ストレッチャーの後ろを歩いていたるりこを患者の身内と勘違いしたのか、看護士の一人が命令口調で「あ、あなた、それを拾ってください」と言った。るりこは化粧品や財布をバックへ戻したとき、ふと「遺書」と表書きのある封筒を見てしまった。るりこは大事なことだと直観して、「遺書が入っています」と言い添えて、バッグを看護士へ返した。看護士はすぐ封を開いて、もう一人の看護士へ報告するかのように、「山川咲子。花の咲く、咲子。山川に花が咲く」と言った。ストレッチャーはICUに着いた。吉村るりこはこんな光景を想像しながら、手に持った純白のカラーをストレッチャーの裾へそっと置いた。

山川に花が咲く。—-償いの色をした花が、手術室を通りぬけ、からっぽの車に乗って、虚空をどこまでも遠のいていくと、虚空のずっとずっと先の、薄明の国の山川に、同じ真白な花が咲き乱れ、音もなく咲き騒ぐ。(p208)

これがエピソードの全部である。ここでは、「山川咲子」の登場が何よりも注目される。山川咲子は放火犯を自称した女で(本論稿Ⅱ参照)、「ロンリー・ウーマン」で主役を演じた後、連作二作目、「お告げ」で、空ろな眼をして戸外をぼんやり眺める役でちらっと出た以降、どこにも現われなかった。この咲子が連作最後の最終場面に、ICUへ向かう自殺者という特異な形で再登場したのである。『ロンリー・ウーマン』五編のうち最後の「奇妙な縁」だけ読んだ読者には、山川咲子がどんな人物か理解できまい。連作『ロンリー・ウーマン』は各編がごく緩い関連によって繋がっていて、丁度俳諧の連句を思わせる趣があることは、【Ⅱ】の冒頭でちょっと触れておいた。山川咲子は社会の現状に激しい憤りを抱いていて、放火犯を自称して警察署へ出頭したが、その後おそらく長い失意の生活があって、今、遺書を残した自殺体となってストレッチャーに乗って、吉村るりこのすぐ前方を移動している。

吉村るりこと山川咲子の二人は、何処かで接触したことがあったのだろうか。作家は、二人が何所かで会ったとも、まえもって知り合いだったとも一行も書いていない。奇妙なことに、山川咲子と吉村るりこの経歴を知っているのは、この連作の作家とそれを通読した読者だけである。作家は、咲子とるりこの関連をすべて省いたままでいる。しかし、読者は咲子が社会の現状に抗議して、心に深い痛手を負い、長い不本意な暮らしがあって、懊悩の末についに自殺に至ったのだろう、と十分に想像できるのである。作家は読者の想像力を計算して筆を進めている。山川咲子の突然の出現、吉村るりこの咲子に対する祈りにも似た同情を描いたこのシーンは、シューレアリスムの手法が見事に生かされて、完成度の高い短編に仕上がっている。

ところで、作家はなぜこのエピソードを最後に加えたのであろうか? 本編は吉村るりこが「自分の長い長い過去にむけて、白い花束をかかげる」ように両手に持って、羽岡唯蔵の病室へ向かうところで終わってもよかったのである。ここで終われば、るりこは自分の辛く悲しい、そして誤りの多かった過去と、明るくきっぱりと別れることができたであろう。そして明日からの一日一日を晴朗に生きてゆくこととなったであろう。その場合は、先に記したように、本編はハッピーエンドで終わる。

ところが作家は自殺した咲子をわざわざるりこへ引き合わせている。しかもるりこは咲子の死を悼み、「真白な花が咲き乱れ、音もなく咲き騒ぐ」あの世での幸を願っている。何故るりこはこうまで、咲子に深い想いを寄せるのだろうか。この謎は意外と解きやすい。山川咲子は若き日の吉村るりこなのである。二人の関係はこうも言えよう。咲子は自死した。その死はとりもなおさず、誤り多き若き日のるりこ自身の死であった。若い咲子の死によって、老いたるりこが命の再生を果たした(若きが死に、老いが命の再生を果たすところに、作家の“皮肉な”視点を感じるが、ここでは指摘に留める)。作家は、老女吉村るりこに過去との惜別の場面を用意したのである。幻想ふうな筆致を基調とする本編では、この程度の飛躍した読みは許されるだろう。

最後に作家について若干言及して、本拙論を終えよう。

作家が1975年に受洗したのは記した。その二年後に、「堅信礼」(confirmation 筆者はカトリック教の位階について知識を持たない)を受け、翌年にはパリに活動拠点を移して、隠修者としての生活が始まった。高橋たか子が文学者から宗教活動家へ移行する中ほどのころに、連作『ロンリー・ウーマン』は刊行された。作家四十五歳の時である。宗教を得た作家がこのころ、人生の一大転換期を迎えたであろうことは想像に難くない。吉村るりこの山川咲子へ寄せる想いは、作家自身の過去への“惜別”ではあるまいか。(了)

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