反面教師の方が学びやすい

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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学校を卒業して入社した工作機械メーカで技術研究所に配属された。日々のビジネスに直接関係しない部署だったおかげで、仕事からちょっと距離をおいて考える余裕があった。そこで、名門一期校出の将来を嘱望された先輩にであった。二人とも機械工学を学んできたが、高専出では及びもつかない知識の固まりにみえた。技術的なことから社会についてまでいろいろ教えてもらった。独身寮で先輩の部屋に押しかけて、どのような勉強をしているのかを聞いたり、勉強しなければならないことについてアドバイスを頂戴していた。

先輩がやっていることを真似して、多少なりとも追いつけないかと思った。いろいろ教えてもらったが、なさけないことにスタート地点が低すぎた。基礎知識があやふやで、仕事で直接必要とする実務知識を載せる土台すらできていなかった。真似る以前の知識や能力の問題であることに気づかされた。真似られる条件が整っていなければ、真似ようにも真似られない。

工作機械メーカでの十年は、電子技術による制御からコンピュータを活用した制御へと技術革新が急速にすすんだ時代だった。モータの速度を制御できればギアボックスはいらない。機械の構造が簡単になっていった。

機械屋としての道に見切りをつけて技術翻訳屋に転職した。そこで三年半英語を勉強して、アメリカの産業用制御装置メーカの日本支社に転進した。機械屋になるのをあきらめて、英語の堪能な制御屋になるのにざっと十五年かかった。その後、日米欧の製造業を渡り歩いてきたが、新卒のときのように、この人のようになりたいと思う人に出会うことはなかった。

新卒で入社した会社では、目標にしなければと思う先輩が何人もいたのに、社会人として十年を過ぎたころからは、そのような人には出会えなかった。まったくいないわけではないが、ある領域というのか、この面ではいい手本にしえるが、それは全体からみれば、ささやかな部分でしかなかった。

なぜなのかと何度か考えて、おなじ結論になった。高専出の新卒で、あまりにも何も知らなかったのがもっとも大きな要因だったと思う。社会に出て、アメリカ駐在を経験して、転職してまったく違う世界に飛び込んで、いろいろ学んできたからだろう、遭遇する人や事象に驚くことがなくなっていった。三年間のニューヨーク駐在で得た経験は日本にいてはしえないものだったし、翻訳という製造業とはまったく違うサービス業に転職することによって、工作機械の技術屋を目指したころの単視眼的な思考から抜けでれた。

転職をかさねて、日本企業だけでなく、アメリカ企業やヨーロッパの会社、さらに三度にわたるアメリカ駐在で得た経験や知識も視野を広げてくれた。誰も完璧な人はいない。優点もあれば欠点もある。状況しだいでは、優点が欠点になることもあるし、その逆もある。どうしても許容しえない欠点でもなければ、あるいはその欠点を補ってありあまる優点があれば、優点で人と付き合うようにしてきた。

あれこれ経験をつんで多少は考える知恵がついたのだろう、新入社員のときのように、全面的に特定の人に傾倒するようなことはなくなった。

面白いことに、見習いたいと思う人と出会うことが減ったら、見習わないほうがいい人との出会いが増えた。これだけはしちゃいけないということをわざわざ目の前でしてくれる。俗にいう反面教師なのだが、その人たちのようにしないほうがいいというのは、見習いたい人がすることを真似るのにくらべると、ちょっとした注意があればいいだけで、特別な基礎も努力もいらない。人のいいところから学ばなければと思うのだが、現実はプラスよりマイナスからの方が学びやすいということかもしれない。

見習いたいと思う人たち以上に反面教師だった人たちには感謝している。自分も、多くの人たちの半面教師をしてきたと思うが、感謝されているとは思わない。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion6687:170523〕