やいマドリッド、憲法を振り回すな

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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カタロニアがついに独立の是非を住民投票に問うところまでいってしまった。投票率や賛成票も気にはなるが、カタロニアの大きな流れは分離独立で、住民投票はその確認と中央政府に対する示威行為でしかない。問題は住民投票の後どうするかにある。勢いのまま独立宣言には行かなかったが、それではどうするのか。中央政府の(暴力を伴った)鎮圧や抑圧と抗議運動が続くのか、あるいは何らかの交渉へと歩み寄るのか。スペインの歴史を多少なりとも知っていれば、どうしても期待と不安が交錯する。

スペインについてもカタロニアについても、特別何を知っているわけではない。とるに足りない知識の多くは堀田善衛の著作と藤村信の『パリ通信』などから得たもので、あとは新聞やニュースの聞きかじりでしかない。スペイン語は若いときに数ヶ月勉強しただけだし、カタロニア語にいたっては、南フランスのオクシタン語に近いというぐらいしか知らない。そのオクシタン語にしても、佐藤賢一の『オクシタニア』読んで、そんな言葉があるのだということを知っているにすぎない。

アラゴン王国のフェルナンドとカスティーリア王国の女王イザベルの政略結婚でできあがった国が、北アフリカから北上して高い文化を誇っていたモーロ人をイベリア半島から追い出して、彼らのいう国土開放をなしとげた。最後のイスラム勢力の拠点だったグラナダ王国を一四九二年滅ぼしてレコンキスタ(国土開放)を完了した。一四九二年といえば、歴史の参考書の丸暗記にでてくるコロンブスによる「石の国発見」を思い出す人も多いだろう。イベリア半島に群雄割拠していた諸王国を武力で統一してスペインという国ができたときには、もう中南米への略奪への道が開かれんとしていた。

イスラム勢力に圧迫されてイベリア半島の北東部の一角に押し込められていたキリスト教徒がイベリア半島を開放して、農耕民族で高度な文明を誇っていたイスラム教徒を追い出した。追い出して空いた土地を占有して、路地裏の落ちぶれ貧乏貴族がある日突然大地主になった。戦はしてきたけどという蛮族のよう大地主、地道な生産活動などにはこれっぽっちの興味もなく、国家運営の原資はもっぱら中南米から略奪した富だった。戦をするまでは無敵(だった)艦隊の多くもオランダやベルギーあたりで造船されたものでしかない。

盗んだ金銀で、イザベルの孫にあたるカルロス五世がヨーロッパ大陸における地位を買って、神聖ローマ帝国皇帝カール大帝になった。派手やったはいいが、臣民の生活はおろか国づくりの考えもない。後に残ったのは石造りの城砦や教会で、フランコが死ぬ(一九七五年)まで暴力が支配する軍事政権が続いた。衆愚政策のもと民族も違えば、言葉も文化も違うカタロニアやバスクの人たちの目には、スペイン国内の植民地政策に抑圧されてきた歴史に見える。ピレネー山脈の向こうはヨーロッパじゃないと言われ続けたのもうなずける。

自らは富の生産にかかわることなく、人が作り上げた富を支配する強権統一国家は、なにかのたびに分裂に向かう力を内包している。ちょうどちょっとお休みしている火山のようなもので、時に地震がおきたり、噴煙を上げたりで緊張状態が続く。北東のバスクも、北西のガリシアも、東のカタロニアやバレンシア、南のアンダルシアも、どこもが民族的にも歴史的にも政治経済の実権を握ってきたマドリッド(カスティーリア)とは大きく違う。バスクはスペインの重工業の中心だし、カタロニアは商工業の中心で、マドリッドの世話になる気はないし、ならなければならない理由などどこにもない。それどころか、長年に渡って搾取と迫害をされてきたという負の感情しかない。

普通に考えれば、マドリッドからの独立を望まないわけがない。マドリッドにしてみれば、カスティーリアの独立を認めれば、バスクも続くだろうし、いってみれば豊かなクロアチアとスロベニアから見捨てられたセルビアのようなことになりかねない。

政治という名の強権とその強権を裏付ける暴力装置としての軍や公安があっての支配――それは支配といってしまったほうがはっきりする――は、しばしば生産や流通といった経済力を伴わない。経済力をもった地域や人たちが去れば、残るのは形だけの法だけが残る。法がなれば人間社会がなりたたない。でも法があれば人間社会がなりたつというわけでもない。法なんてものは、人間社会を成り立たせるために、それもしばしばなんらかの権力を握った社会集団が社会を支配する都合上必要として作ったものにすぎない。その過ぎないものを盾にして法による支配を強制しなければ成り立たない社会は必ず崩壊する。

カタロニアの分離独立を問う住民投票や独立宣言は違憲だと、マドリッドのスペイン中央政府―カスティーリアがいう。なぜ違憲なのかという問いとともに、誰が誰のために何のために作った憲法なのかということまで問われる。カタロニアの人たちにしてみれば、カスティーリアのあんたがたの、大地主やフランコの残党までがからんだ都合で作った、あんたがたの憲法であり法律じゃないか、おれたちにゃ関係ないとい一蹴されかねない。

 

カタロニアの人たちがカスティーリアの人たちと一緒にやっていきたいという、人々の常識、社会のヘゲモニーを作れなかったことを恥ずべきで、分離独立が憲法違反?それこそ、「だからどうした」でしかないだろう。法なんてものは、所詮人が社会生活を送るために便宜的につくったものでしかない。あくまでも便宜的なもので、それを金科玉条として振り回すのは、自らの主張や存在に正当性がないことを自ら語っているようなものだろう。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
〔opinion7048:171022〕