序論
4.切り崩され弱体化した大衆運動
この序論の冒頭部で、「日本会議」が提唱する「民族的団結(統一)」などのバックラッシュ現象は、「われわれ自身の内部の問題として、特殊個別たる私たち自身に内在する問題としてある(臨在する)」ということを述べた。ここでこの問題を改めて検討してみたい。
「日本会議」出現の大きな要因として、日本における左翼的大衆運動の沈滞ということが言われる(この事は一部右翼陣営の中からも指摘されている)。ドイツやフランスでの大衆運動の相変わらずの高まりと比較すれば勿論のこと、先ごろテレビなどで報じられていた韓国の大衆運動の大きなうねりに比べて、このところの日本の社会運動の低迷は目を覆いたくなるほどである。
「日本会議」的な陳腐な運動と、この日本社会の無気力沈滞ムードが同根に根ざしたものであること、ここで再度この点を問い返したいと思う。論点は、<なぜ、多くの国民は体制内的に踊らされるのか(というよりも、一緒に踊るのか)?>という点、つまり「われわれの内なるファシズムの所在」ということにある。
(「ファシズム」という言葉の使い方について、前もってお断りしなければならないが、「ファシズム」という言葉で、かつてのヨーロッパのファシズムとの単純なアナロジーを考えているわけではない。あえて言えば、ファシズムの本質が(1の「基本的視座」で述べたように)ボナパルティズムにあるとの見方を取っていること、また現体制が軍需産業化へシフトしている-軍備費の大幅な伸長-という意味で使っているにすぎない。)
先述したように、(北朝鮮、中国、テロリズムなどからの)危機感を煽りたてることで、国内的な矛盾を隠蔽し、更には軍需産業中心の路線へと方向転換しようとしている既存の支配者階級が、「国民的統一」「民族的大同団結」をもって「日本の国益を守れ」と呼号する一方で、メディア(特にNHKのような公共放送)を露骨に自分たちの利益誘導のために利用しながら、大方の国民の目をくらませて、日本社会の右傾化傾向を助長(promotion)していることは、最近の安倍内閣にまつわる腐敗・汚職政治の隠蔽、またそれを監視すべくあるはずの官庁や司法界の権力へのオモネリ・追従、そのことをまともに取り上げようとしない大手メディアの現状を見れば明々白々であろう。
現代の特徴の一つとして、「情報戦」ということがあげられる。一方では「情報過多」といわれるほど様々な情報があふれているが、しかしわれわれが得る情報は大方の場合、日常的に接する新聞、テレビ、ラジオの類からのものがほとんどである。無批判的にそれらの情報に頼っているとFake(虚偽)情報をつかまされる恐れが多分にある。フェイク情報を流すなど権力や大手メディアの側から言えば世論操作など造作もないことであろう(戦時中の「大本営発表」などを思い起こせばよい)。情報化の時代とは、裏を返せば虚偽で溢れた時代であるということにもなる。
肝心の問題から大衆の目をそらせ、あらぬ方向へと導いていくこと、安倍晋三首相本人が絡む「疑獄」に関して、国会審議を先延ばしにし、メディアもこれに触れないようにすることで、国民の頭から忘却の淵に追いこんでしまうなどはその最たるものであろう。その結果、何もかにもすぐに忘れて安逸さに流される「日本人の特性」なる自嘲的な日本人観が生み出されるのである。
かかる投げやりで、無責任な風潮が大手を振って闊歩し始めることと、日本の政治経済の曲がり角は、いつも奇妙に一致する。近年では小泉純一郎や安倍晋三(この二人は、「無責任な開き直り」という点で極めて似通っている)というトリックスターを担ぎあげて、社会の崩壊状況から目をそらさせ、テレビのお笑い番組などで、現役の政治家なども交えて、今日の政治や社会の腐敗を「おちゃらけた」笑いの中で昇華させ、カムフラージュし、やれオリンピックだ、野球だ、サッカーだ、相撲だと、その日暮らしの享楽へと自他を追い込んでいく。一時しのぎの偸安である。
確かに、戦後すぐに米占領軍が戦略的に、「読売新聞」の正力松太郎(彼は、米国側のエージェントだった)などを抱き込み、日本におけるメディア対策を講じ、今日の「アメリカ型」の浮薄なメディアを作り上げたことは確かだし、そのこととタイアップして自民党にまで続く保守長期政権支配をもたらしたことは、外部からの教育宣伝扇動が一定の功を奏した例といってよいであろう。
宣伝扇動は受け手の不安をかきたて、そこを巧みに突くことで効果を倍加させる。ヒトラーやスターリンや旧日本の軍部の場合だけでなく、実例は歴史にあまた多くみられる。
しかし問題の基因はそういう外部からの宣伝扇動だけにあるのではないだろう。
このような外部からの働き掛けの効果を否定するわけではないが、それが効果をもつためには、その働き掛けを実際に受け止める何らかの内因が受け手の側になければならない。それは直接的には生活体験に基づく実感ではないだろうか。もちろん、この場合の実感はあまり当てにならない感覚的なものに他ならない。しかし、実生活上ではこれがかなり判断を左右する要因になっている。このことを考えるうえで少し参考になるかと考えて、実例として、最近のニュースから興味を引いたものをいくつか点描してみた。
(1)年の瀬にテレビの街頭インタビューが、若者の保守化について何人かのヤングにたずねていたが、その答えが非常に興味深い。大方の答えが「今がよいとは思えないが、何とかそこそこの生活をやっている。自民党や安倍政権が代わって今の生活が保てなくなるのはまっぴらだ。だから現状維持でよいし、現政権に投票する」というものである。
しかし、海外派兵は公認され、「共謀罪」や「秘密保護法」はすでに国会を通過し、今後はいよいよ「憲法改悪」という最悪のシナリオが待っている。自分たちの実存が根底からひっくり返される危険性が迫っていることへの利害的無関心。直接目の前に危険がなければ「目をつむれる」(「自分には関係ない」と思える)ということなのか。
(2)「日本人の保守化」を支える(?)ものとして、次のような統計があることには特に止目すべきだ。
2016年の「国民生活に関する世論調査」-18歳以上1万人(内閣府2016年8/29)
現在の所得や収入に「満足」「まあ満足」48.1%/「不満」「やや不満」49.6%
現在の資産・貯蓄に「満足」「まあ満足」42.0%/「不満」「やや不満」54.6%
「耐久消費財」「食生活」「住生活」で満足が不満を50ポイント超上回る
「現在の生活に満足」は70.1%
政府への要望として:社会保障(64.4%)>景気対策(56,2%)>高齢社会対策(51.9%)
(3)しかし、その一方で見えざる貧困(invisible Poverty)として、就学児童の6人に1人が貧困家庭にあることもあげられている。
(4)また、企業の内部留保金が右肩上がり(2016年度は406兆円)でありながら、それに反比例する形で賃金の右肩下がりが起きている。企業は自分たちの将来をとっくに見越して警戒心を強めているのに、庶民は全くの無警戒で「企業」や「国家」に頼り切っている構図が浮かび上がる。
(5)2018年度予算案(2017年12/22内閣決議)に麻生財務大臣は「御満悦だった」と伝えられているが、まさに福祉切り捨て、弱者へのしわ寄せの予算編成である。
一般会計予算:97兆7128億円
防衛予算:5兆1911億円(5.3%で6年連続増加)/FMS(有償軍事援助)に関して、アメリカからの武器購入は2012年の第二次安倍内閣以来の増加傾向
国の借金(国債、借入金、政府短期証券):1108兆円(麻生は低金利なので返済は減少していると見る)-昨年は、1071兆5594億円
隠れ借金(「財投債」を発行し、低金利で貸し付けた資金でインフラ整備を行っているが、中には不要なインフラ(リニア、原発関連、高速道路整備など)もあると指摘されている。
例えば、リニア中央新幹線は総工費9兆円超になるが、3兆円の財政投融資と税制優遇(用地取得の税金免除)で処理。すでに民間企業の事業ではなく、「公共事業」と化している。
上記のような大盤振る舞いの半面で、生活保護は67%の世帯で支給減少-社会保障費:1340億円圧縮(厚生労働省12/18発表)
生活扶助費を2018年から3年かけて約160億円減額する。母子加算も引き下げる(約2万1000円/月平均→約1万7000円へ)
この予算案は、格差是正ではなく、格差拡大、弱者切り捨てという政策であるのは明らかだ。
(6)2017年の内閣府発表では、景気の拡大は52か月連続で、「バブル」期を抜き、去年3月で、戦後3番目の長さになった。これは、不動産融資がバブル期を越え12兆2000億円(バブル期は10兆4000億円)となったことと大いに関係している。(2017年度の発表)
以上の点描に次のことも付け加えておきたい。
日本の大手企業で、社員の平均年収が1000万円を超える企業は約70社(ただしNTTなど、未発表の企業も何社かある)。その未発表企業のうちの一社であるNHKは、平均年収の推定が1100万~1300万円位といわれている。これでは「国民に寄り添った報道」などできるわけないではないか。
この序論の中で訴えたかったことは、まず自分自身の立ち位置を自覚すべきではないか、ということである。「汝自身を知れ」というギリシャのアポロン神殿に掲げられた有名な格言は今も生き続いているのではないだろうか。
この「自覚」(自己意識)とは、何も沈思黙考して「悟りに至れ」ということではなく、先ほど一例としてあげておいた自分をとりまく諸事情の連関を、自分たちの日常生活(実践)を通じて対自化するという意味である。自己は孤独に存在するわけではない。あらゆる周囲の事象との相互連関の中においてあるのである。いかなる存在者も廣松渉のいう「関係態」として存在している。相互に関係する全体(普遍)の特殊・個別的な現れとして自己を自覚するということは、全体の中にあたかも「忘却」(消失)したかに見える自己を取り戻すという作業である。
また、われわれが現在所有しているものは、すべからく「過去の遺産」である。そういう意味で、われわれは「歴史的現在」においてあるといえる。もちろん、われわれの思考(感性も含む)もそうである。
それ故、自己反省の出発点となりうるのは、やはり日常生活における感覚でしかないだろう。これを基軸にし、そこに映現する矛盾(これは感性の不安定さ・不確かさとして現われる)を介しながら関係の糸を手繰る(普遍の中に自己を想起する)こと、このことを自己の始原としたいと思う。
これまでの序論の締めくくりとして、少し長いが次の引用をしてひとまず区切りをつけたい。
最初の引用は、安倍政権の「北の脅威」「戦争の危機」という自国防衛第一主義(その実、軍需産業の成長を目指す政策への転換)の考え方と真逆な韓国の情勢に触れた最近のロイターからの報道である。
「敵対的で今や核武装している隣国との戦争の脅威にさらされて何十年も暮らしている韓国の一般市民の大半にとって、夜も眠れないほどの心配事と言えば、仕事や経済、そして1953年の朝鮮戦争休戦後の急速な発展に伴うプレッシャーなど、より日常的な懸案だ。」
「実際に、韓国の国民が戦争の脅威にますます無関心になっていることを示す証拠もある。市民防衛訓練はほとんど無視され、世論調査では、軍事衝突が起きると考えている人は四半世紀前と比べて減少している。」「今月に公表されたギャラップ・コリアの調査によると、韓国人の58%が朝鮮半島で再び戦争が起きるとは思わないと回答している。同調査が1992年に開始されて以来、2番目に高い割合だ。」「ハイテクで輸出主導の韓国経済は、成長の回復が遅れ、減速が長期的な傾向となることが心配されている。」「雇用の安定も懸念されている。韓国の非正規雇用者数は、経済協力開発機構(OECD)加盟国平均の2倍に上り、若者の失業率は2013─16年にかけて4年連続で上昇している。雇用状況の悪化は、競争の非常に激しい韓国の学校や職場の環境をいっそう悪くするだけだ。こうした環境が、同国でストレスと自殺率が高い要因とみられている。韓国の自殺率は2015年、OECD加盟国のなかで最も高かった。米国の2倍以上、英国のほぼ4倍だった。韓国自殺予防学会によると、自殺につながるうつ病を引き起こす主な原因は、金銭問題、病気、孤独、人間関係である。北朝鮮についてはまったく言及がない。」
続いて、日本国内の格差問題に関連して発表されたものを引いておく。
内閣府経済社会総合研究所の「日本の賃金格差は小さいのか by 太田 清」によれば、「特にここでは、 通常行われている年間ベースの賃金格差の比較だけでなく、生涯ベースの賃金 格差をも比較する。日本は賃金が年功的に決められており、年齢間格差が大き い。そのために生涯賃金での格差は、年間賃金のようにある時点で測った格差 に比べて大きくないという可能性があるからである。」「具体的には、日本の所得格差は小さくないとする OECD (2005)、OECD(2006)(「対日経済審査報告」)の結果との整合性等をみる。」「具体的には、オーストラリア、オーストリア、カ ナダ、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、オランダ、 1.国民経済計算によると、個人(家計)の受け取り所得の4分の3が雇用者報酬である。 2.1990 年代以降の新しい加盟国については、一人当たり GDP で 2 万ドル以上であること を目安とし、アイルランドのみを含めた。 3.ニュージーランド、スウェーデン、スイス、イギリス、アメリカの 14 カ国(ア ルファベット順)との比較である。」「日本の賃金格差の大きさは 15 カ国中9番目である。真中よりもやや 格差が小さい4. このように日本は賃金格差に関して不平等な国であるとはいえ ない。」
厚生労働白書では「(経済水準の高さ、就業率の高さ、教育水準の高さ、長寿社会を実現した質の高い保健医療システムなどが、日本社会の長所として挙げられる) 日本社会の長所としては、1人当たりのGDPは、OECDの平均程度となっているものの、就業率や教育水準は比較的高水準となっており、国民の経済的な自立度が比較的高いことが挙げられる。 また、健康面で見ると、男性喫煙率の高さなどの課題はあるものの、全体的には、国際 比較でも特筆に値する高い平均寿命と低い乳児死亡率を達成しながら、保健医療支出は相 対的に低く推移するなど、保健医療システムは良好なパフォーマンスを示していると言える。特に、医療システムについては、国際的にも高く評価されており、今後も大切にしていかなければならない長所であるといえる」といった指摘の反面で、「(所得格差、男女間格差、社会的つながり、社会保障の安定財源確保等の問題に取り組む ことが今後の日本社会の課題である)。 一方で、短所としては、相対的貧困率やジニ係数がOECD平均よりも高い水準となっているなど所得格差が顕在化していること、また、就業率の男女差や男女間賃金格差が大きい点などがある。 また、日本では、犯罪率はきわめて低い反面、生活満足度が低い、自殺率が極めて高い、政治制度への信頼度や公的機関への信頼度が、議会・政府・公務サービスのいずれにおいてもOECDの平均を下回るなど、社会的な信頼感やつながりに関わる点に問題が見える。 所得格差が大きく、リスクに遭遇した場合のセーフティネットも相対的に小さく、そのうえ、さまざまなかたちで、社会的な包摂機能も弱いため、生活についての満足度が相対的に低い国である側面も否定できない。 また、日本は、世界最速の人口構造の高齢化による社会保障関係費の大幅な自然増など、財政的な課題にも直面していることも喫緊の課題であるといえる。 以上のように、国際比較の観点からは、経済的水準の高さや健康面といった長所を維持しながらも、所得格差や男女間の格差の是正、社会的つながりの再生と社会的包摂の実現、社会保障の安定財源確保といった問題に取り組むことが、今後の日本社会の課題として浮かび上がってくるといえよう。」(国際比較からみた日本の特徴)
以上 2018.01.12記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion7270:180115〕