連日の災害・猛暑報道に続いて、スポーツ界のスキャンダルが後を絶たない。
スポーツとは、もともと縁がない私は、プロのスポーツというのが、理解できない。そして、いまのような、国を背負って、勝敗を賭けるオリンピック競技というものにも、そもそも関心がない。それどころか、むしろ、害悪だと思っている。IOCのスキャンダルは、後を絶たないし、2年後の東京オリンピック・パラオリンピックを控えて、JOCの怪しげな動向にも、みな口をつぐみ始めている。
近頃、明るみに出ている日本のスポーツ界のスキャンダルを見るにつけ、何十年間にも及ぶ、しがらみ、悪弊、いや犯罪すらをも、黙認してきた監督官庁やスポーツ団体、それに、スポーツ報道の関係者は、いったい何をやっていたのかと不思議なのだ。今頃になって、どんなコメントをされようと、これまでの勝敗至上報道、情報源としての団体や関係者、選手とのパイプばかりが大事にされ、おそらく、知り得た不祥事情報も不問に付して来たにちがいない、と思われるのだ。ベテランのスポーツジャーナリスト、スポーツ評論家という存在も、あてには出来ない。多くのスポーツ団体も、たたけば何か出るところが多く、限りなく怪しい。アマ・プロを問わず、強いチームの陰には、何かありそうなのだ、というのが素人の直観でもある。
そして、さまざまな誘惑に負けるのも選手であり、そこから、立ち上がるのも、事情を一番よく知った選手たちなのである。メディアが垂れ流す、選手やチームの根性物語やファミリー・ヒストリーは、もうたくさんだ。老若男女を問わず、健康のために、勝敗を楽しみながら、本来のスポーツに興じることができる日を待ちたい。
それには、いまのような国単位で勝敗を競うオリンピックは不要でしかない。少なくとも、引き受ける国や都市が無くなり、4年毎も難しくなるかもしれない。各競技の国際大会があれば、十分ではないか。それとて、健全な運営は、複雑な国際情勢を背景に、むずかしい局面があるにちがいない。
初出:「内野光子のブログ」2018.08.01
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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