最近、札幌の書店でこんな本を見つけた。大村泉編著『唯物史観と「ドイツ・イデオロギー」』
社会評論社2008年)である。『ド・イデ』を巡る国内外の論文を集めたものである。「廣松渉のエンゲルス主導説批判」、「中国での廣松版『ド・イデ』の影響」(これは、拙訳の張一兵『マルクスへ帰れ』にも関連がある)、「『ド・イデ』という書物は存在しなかった」という衝撃的な内容の論文さえ収録されている。
だが、今回の拙稿はこの本全体の書評というわけではない(時間があれば書評もとは考えているが)。この本からある論争が想起され、それについて書いてみようと思いたったのである。その論争とは、「廣松版の学術的貢献‐非貢献」を巡る、一連の批判―反批判である。
廣松版批判者の批判の最大の根拠は、「廣松版が新MEGA版を利用せず、廣松自身が偽書と断定したアドラツキー版を利用している。したがって、廣松版はアドラツキー版の誤謬をそのまま踏襲している」というものであった。
確かに、部分的には、廣松版はアドラツキー版の誤謬をそのまま踏襲しているかもしれない。しかし、その誤謬とは、あくまで「部分的な語句上の誤謬」であり、ある意味では枝葉末節の問題だと言ってよい。この問題と比べると、私にとっては、廣松版の最大の学術的貢献とは、基底稿と清書稿を左右に配置したあの編集方針にほかならない。これによって、マルクス・エンゲルスの思想が執筆過程でどう変化していったのが容易に理解できるのである。
具体例として、私自身の体験を取り上げてみよう。
私は、廣松版により基底稿と清書稿を比較しながら『ド・イデ』を読んでいたが、基底稿(ボーゲン{7})では頻繁に出てくる、モーゼス・ヘス由来の「協働」(Zusammenwirken)というタームが、この基底稿に対応する清書稿(ボーゲン{5})では、まったく使用されていないのに気づいた。そして、この変化を「フォイエルバッハ‐ヘス的人間主義からの脱却」と解釈したのである(詳しくは、『社会主義理論学会会報』2015年第71号を参照していただきたい)。
私の解釈は「憶測」かもしれないが、この「協働」というタームの使用が後期には見られないのはまぎれもない「事実」である。
もし廣松版を使用していなかったならば、この「事実」は発見できなかっただろう。渋谷版(廣松版より精緻であることは認める)での異文の扱いは複雑極まるし、新MEGA版からもこの「事実」は発見困難だろう。
以上のことから、私は、廣松版の学術的貢献の大きさをいまさらながら感じる次第である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1007:181129〕