ワルシャワ検察労組・裁判所労組のテント小町について一言し、次いで故正清太一氏をしのぶ

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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ちきゅう座の「交流の広場」、5月30日付「経産省テントひろば1807日後」に5月27日(月)の話題として「ポーランドでは司法省職員がテントを張って闘争中の報告」が「毎月第一月曜日に来られる東欧研究の元教授さん」の話として紹介されていた。

この紹介には一つの大きな誤解があるので、ここに訂正させていただく。司法省(法務省)職員が「ストライキ闘争」とされているが、彼等はストライキ権を認められていない。検察庁職員労組や裁判所職員労組は、休暇や休日を活用して、街頭デモや裁判所前の抗議集会を実行している。また職場の執務室に「仕事に見合った給料を」のビラをはってタイプをたたいている。そんな姿はYou Tubeで見る事が出来る。

かつて経産省前のポケットパークに反原発テント3つあった。ワルシャワの場合もよく似ていて、司法省(法務省)脇のミニパークに4張りから5張りのテントから成るnamiotowe miasteczko(テント小町)が5月7日に出現した。常に20人ほどの検察労組員と裁判所労組員が寝泊まりしている。休暇を利用して。

5月14日には、遠くシレジアの炭鉱労働者100人ばかりがテント闘争の支援と激励にはるばるかけつけた。

私=岩田がワルシャワのテント小町の写真をとったのは、5月20日(月)のことであった。5月23日に帰国して数日後、反原発テント闘争をリードして来られた正清太一氏が亡くなられていた事を知った。渕上氏に続いて正清氏も黄泉に旅立たれた。平成最後の月日に平成の「正造」が二人去られた。その御悔みに5月27日(月)、経産省の座り込みに参加しつつ、ワルシャワのテント小町の写真を見てもらったのである。

 

令和元年・2019年6月1日(土)