DAYS JAPAN 最終号 |
3月20日に発売となった 『DAYS JAPAN』 3・4月号。昨年末から今年初頭にかけて週刊誌や新聞等で被害者の証言が続出した、元発行人広河隆一氏の性暴力・セクハラ・パワハラの告発を受けて、昨年11月にすでに休刊を発表していたDAYS JAPAN が、最終号を最初から最後までその「検証」に費やすと約束したその号が出た。これについては、私は、出てすぐツイッター(@PeacePhilosophy)でこう批判した。
DAYS JAPAN 最終号、広河隆一性暴力事件を「検証」するとされる号がきょう発売。その内容と構成は、性暴力と合意の不在を認めない「創」のセカンドレイプ手記を増幅し、それに「権威」を与えてしまうかの如くの、被害者置き去り、加害者に一方的にしゃべらせる内容だった。
第二部の識者コメントの文集は、内容はいいものがあっても、これらは「検証」ではなく、水増しの役割しか果たしていない。この号は「中間報告だ」とあちこちで言い訳しているが、被害者を傷つけるものを出すことには言い訳は通用しない。
一体誰を、何を守るための「検証」なのか。検証委員会までもがセカンドレイプをやるとは。ただただ絶句だ。
いくら「中間報告」といっても、購読者が最後に手にする最終号で、被害者不在のまま広河氏に一方的に「暴力はなかった」「合意だと思っていた」「権力に気づいてなかった」「女性の言い分が私の記憶と合わない」などとと言わせ続け、批判的な「考察」を加えたにしても広河氏の返答を求めるわけでもなく、これまで出てきた証言の中には広河氏が脅迫や威嚇を用いて性を強いたり(自分の権力を知らない人間ができるはずがない)、パワハラと過酷な労働で社員を追い詰めたことを告発するものがあるにもかかわらずそれらについて一つも問いただすこともなく、広河氏は結果的に自分のしたことを明白に性暴力と認めないまま、合意がなかったことを認めないまま終わってしまった。これ一つを取ってもセカンドレイプである。
「第二部」の識者インタビュー集については、「検証」がまったくできていないという中で、広河事件の検証ではない内容で「検証号」64ページのうち45ページ、つまり7割もの量を占めるということ自体が大きな欺瞞、ペテンともいえる仕業となってしまっている。とりわけ、今回の広河事件の「検証」には全く必要がないのに、広河事件の被害者でもない他の性暴力事件の被害者に、自らの辛い体験を語らせている「声なき声の当事者たち」という、岩崎眞美子氏が担当した部分には、「どうしてこの広河事件の検証号にこの部分が必要だったんですか。この人たちにここまでの負担を負わせて。」と問いたくなる。
以上の点についてはもっと詳しく批判したいと思っているが、きょうは、第二部、とくに、「責任編集」の林美子氏の文「広河氏の性暴力をどう考えるか」の前半部分の、林氏がどうしてこの「検証」に関わることになったのかの経緯の部分に、この「検証」のはらむ欠陥についての根本的な問いを問う糸口があったと思うので、そこに特化して書きたい。(後半の林氏の性暴力についての議論は、氏自身が触れているように、「検証委員会」の「考察」と共通点が多いのでここではコメントを省く。)
林氏は、「最終号を編集する私の立場を明らかにする」というこの一文において、氏が「なぜ最終号に携わることになったかを、読者と、特に広河氏から被害を受けた方々に理解していただく必要があると感じている」と冒頭に述べている。
しかしその直後、林氏は、3段落に及び、広河隆一氏を、傍観者にはならずに被害者の救済に関与するジャーナリストとして賛美している。私は読んでいて、そうなのか、林氏は朝日新聞記者時代にここまで広河氏を取材し、原発事故の避難者である母親が広河氏に涙を浮かべて話すような場面にも同席していたのかと、意外だった。そのような人が、広河事件の「検証」号の「責任編集」者になるのはそもそも適切なのか?という素朴な疑問が湧いた。
私の答えはNOだ。冒頭で3段落も、必要もない広河氏賛美をやることからして、これを読む被害者の心情を考慮しているとは思えない。ご自分の書いたものを、被害者になった気持ちで一度でも読み返しただろうか。私がもし被害者だったら、林氏の文は、2ページ目までにたどり着く前に読み続けることが難しくなると思う。特に、「被害を受けた方々に理解していただく必要がある」という、「理解する」以外の選択肢を与えない言い方には大変ひっかかる。
この林氏の文はほかにも疑問が残るところがある。「広河氏による性暴力の情報を初めて聞いたのは、18年の秋ごろだったと思う」と言っている。ということは週刊文春の報道が出る12月25日前に情報を掴んでいたということになる。これを言いながら、その後その内容について全く触れていないのは疑問に思った。この情報を得て、氏は何をしたのだろうか(しなかったのだろうか)。
さて、林氏は、ご自分が最終号の編集を引き受けた経緯として、「これまでの編集部員がすでに全員が辞めている」、「検証委員には私が信頼する金子雅臣さんと太田啓子弁護士が就いた」ということを「自分には断る選択肢がないと思った」背景として述べている。
ここで問題視したいのは、前者の理由である。林氏は、「これまでの編集部員がすでに全員が辞めている」ということに全く疑問を持たなかったのか。
ジャーナリストであれば、ご自分が依頼を受けたとき、1月20日発売のDAYSの2月号で、
…最終号は、これまでのようなフォトストーリーを掲載せず、全ページを「性暴力」事件やパワーハラスメントの真相解明とその報告、それに対するDAYS JAPANとしてのメッセージ、有識者の意見の掲載などにあてることを編集部として決定いたしました。そして調査の報告に関しては、編集部が責任を持って誌面づくりを進めることが必要だと考えています。
徹底した自己批判を通じて、こうした過ちが二度と起きないよう、教訓や助言をひとつでも残すことができればという思いです。
ただ、全ては真相の徹底究明から始まります。
(『DAYS JAPAN』2019年2月号8-9ページ「編集部の今後の方針と次号について」)
とまでの決意を宣言をした、その時点では編集長であったジョー横溝氏と、編集部であった小島亜佳莉氏と、金井良樹氏がなぜ辞めなければいけなかったのかを調べるために3人にアプローチするのが自然な発想ではないのか。それをやらずに、「すでに全員が辞めている」のひと言で済ませたのか。
実情はどうだったのか。3月22日に発足した「DAYS元スタッフの会」の「会発足の経緯」には、
…しかし、12月26日の文春報道後に同社から依頼を受け、当該の検証責任者として動いていた馬奈木厳太郎弁護士は、2019年1月半ばに、「会社の利益を第一に考えていない」ことを理由に代理人を解任されました。
当時のジョー横溝編集長は、馬奈木弁護士解任後も「社員と役員の聞き取り調査を行い、内容をそのまま誌面に掲載すること」を役員・株主に要求し、それが拒否されたため、編集長を辞任、退職しました。
とある。上で触れた、2月号の横溝、小島、金井3氏の署名記事で、「現在DAYS JAPANでは、今回の報道を機に就任した代理人とともに、広河氏を絶対化させてきた会社の構造・体質についても、役員など関係者への聞き取りなどの調査を行っています」とあるが、検証号で、この「会社の構造・体質」に踏み込むことが不可能とわかったから代理人の弁護士も、横溝編集長も辞めたということだ。
残った二人の編集部員についても、「会発足の経緯」に、
2月中旬より、検証委員会からこの会の発起人となる元スタッフ数名に対し、調査への協力の意思を問う依頼文書が届きました。しかし、上記のような事情があったため、自分たちの証言が意図的に改変、もしくは隠蔽されることを懸念し調査への協力を拒否、または依頼文書の受け取り自体を拒否しました。
「最終号の内容はすべて検証委員会によって作成する」ことを理由に、今まで「DAYS JAPAN」に関わってきた編集部員を含む当時の社員は2月末での退職を余儀なくされ、最終号に一切関わることができなくなったという点も、調査を拒否した一因です。
とある。林氏の文では、編集部員が「すでに全員が辞めている」というような書き方であるが、残った小島氏、金井氏も、会社から、検証号に関わることを阻まれていたのである。また、林氏は「19年2月に広河氏と3回会い、事件についてやり取りをした」と言っているところからすでに2月にはこの「検証号」への関与が始っていたことは明らかであるが、小島・金井両氏が退職したのは上にあるように「2月末」であった。林氏がこの「検証号」の編集を引き受けたとき、まだ、残った2人の編集部員は「辞めて」いなかったのである。したがって、林氏が「すでに全員が辞めている」と書いたのは誤りでもある。これを林氏はどう説明するのか。何よりも、真相究明へのあれだけの熱意を示していた3人の編集部員が辞めた理由を調べようとはしなかったのか。「検証号」が、会社に都合の悪いことは出さない「検閲“検証”号」になる可能性が高いということを知っていて引き受けたのか。引き受けた後にそれがわかっても撤退しなかったのか。だとしたら「隠蔽への加担」とは思わなかったか。
この「検証号」の最後の文芸評論家・斎藤美奈子氏のエッセイ(この記事だけ、従来からの氏の連載の形式を踏襲している)は、「事件発覚後のデイズジャパンの対応がきわめて不可解だった」ことを指摘し、
謝罪文と検証予告が載った前号の後、ジョー横溝編集長から辞職の報せが届いたのが1月末、残る2人の編集部員が退社したのが2月末。3人は最終号で徹底検証、徹底報告すべきだと主張したが、会社側が了承せず、やむなく退社に至ったと聞く。早々に検証に乗り出した弁護士の解任も不信の念を抱かせる。この期に及んで事実の解明と公表を、まさか経営陣が拒んでいるのか。
と言っている。この斎藤氏のコラムが検証号の一部を成しているという事実一つを取っても、この検証号に関わった人たち――林氏だけではなく、検証委員会の金子雅臣・上柳敏郎・太田啓子各氏と、もう一人の外部編集者である岩崎眞美子氏――は、この検証号が、第一部の「検証委員会報告」(4-5ページ)にあるような、「原稿の内容には同社は一切関与しない」「(株)デイズジャパンが検証委員会による検証内容に一切干渉せず、会社から独立して行う」ような性質のものにはならないことがわかっていた上で、「検証号」づくりを行っていたことがうかがい知れる。
もちろんこの検証号が出る前にも、DAYSの編集委員であった、おしどりマコ氏が「DAYS最終号に関して」という文を2月28日に発表し、事件発覚を受けて「なぜこのような問題がDAYS JAPANで発生したか、広河個人の問題として片付けることなく、できるだけ調査・検証をすべきだ」との問題意識の下、全ての関係者に聞き取りを行い、最終号で厳しい調査報告を出す方向性であったのにもかかわらず、以下のようなことが起こったことを明かしている。
- 「12月末から1月にかけて、夜通し何度も行われたミーティングで決まった内容を、翌日には一部の会社役員の判断だけで覆そうとする」ことが続き、
- 「そのたびに馬奈木厳太郎弁護士やジョー横溝編集等らが抗議し、ミーティングで決まった内容に結論を戻すということが繰り返」され、
- その上、「1月13日に、馬奈木厳太郎弁護士が、DAYS JAPANから解任されたと馬奈木氏から連絡が」来て、「解任を受けて、調査・検証は止まってしまい」、
- 「ジョー横溝編集長は、会社側に2つ要求
-役員への聞き取り内容を誌面で発表すること
―最終号の発行時期を一カ月繰り下げること」を出し、
「それを了承してもらえなければ辞任する、という交渉をし、その結果、要求が受け入れてもらえなかったため、1月末に辞任」した。
- 「馬奈木弁護士、ジョー横溝編集長とは、性被害だけではなく、パワハラの問題も調査・検証の対象とし、最終号でもページを割いて取り上げる、との結論になっておりましたが、現時点で、私が知り得た情報によると、最終号ではパワハラの問題にページを割かず、当初の聞き取り調査報告のページ数も削減された」
と、総合すると、会社側、つまり役員たちが、つまびらかな検証を妨害してきたのではないかという疑惑を持つような内容である。
また、『週刊文春』の1月6&13日号、2月7日号で、広河氏の性暴力の被害者の証言を伝えたライターの田村栄治氏も、2月14日の『文春オンライン』の記事「8人の女性が被害告発 広河隆一氏『性暴力検証』は崩壊状態」で、ジョー横溝氏は自分が辞めた理由について
「なぜ15年間みんな黙ってきたのか、掘り起こさないといけないと言ったんですが、それが上に通じず、僕はDAYSを去ることになりました」。
と語ったと報じている。どうやらこのDAYS JAPANという会社には、「検証」されたら困る事実が相当あるように見える。それこそが、おしどりマコ氏や、パージされた弁護士や編集部員が「広河氏個人の問題として片づけてはいけない」との問題意識の下に明らかにしようとしていたことではないのか。
しかし今回の検証号では、この「広河氏個人の問題にしてはいけない」という、本来は会社自身の問題を示唆する言葉が、全く別の文脈で登場する。「第二部」の冒頭に、「はじめに」として「株式会社デイズジャパン」がこの部を紹介しているが、その中に、「林さんの、『この性暴力問題を広河さんだけの問題として終わらせてはいけない』という思いに、多くの方が賛同してくださったことを私たちは知ります」とあるので私は一瞬びっくりした。会社自らが、広河氏だけではなく会社自身に大変問題があったことを認めているのかと???
しかし林氏の本文(検証号20-25ページ「広河氏の性暴力をどう考えるか」)を見たら私の一瞬の希望は間違いであったことがわかった。林氏は、25ページで、「最後に、今回の事件は、広河氏個人を糾弾して終わりではないことを強調したい。広河氏が選び取って起こした加害行為ではあるが、大きな社会構造の一部として起きたことである。その社会構造とは、権力関係を利用して他の人の尊厳を踏みにじる行為を容認し、逆に被害者をバッシングするような構造である。」と述べている。
なんだ、会社も、林氏も、「性暴力問題は広河氏の問題だけではなく社会全体の問題である」という当たり前のことを言っていただけだった。この号は、広河事件という特殊な事件について徹底的な真相究明を行う「検証号」であったはずだったのに、その問題を「大きな社会構造」に飛ばせてしまうことで会社の具体的な責任をスルーしている。上記の会社の「第二部」紹介は、それに対して会社が手放しで喜んでいる姿だったのだ。
会社自体が組織的に、広河氏のセクハラ、性暴力とパワハラを容認し、隠蔽してきたのではないか。だから斎藤氏が言うように、「徹底検証、徹底報告すべき」と主張した編集部3人に対し、「会社側が了承せず」、3人はパージされたのではないか。
「検証号」の最後の最後(56ページ目)に唯一すべり込んだ、斎藤美奈子氏によるこの根本的な問いは、この号の中では結局は誰も答えることがなく、直後の57ページ以降の、取ってつけたような「世界のMETOO」の写真の中でかき消されてしまったように見える。象徴的な構成だ。
デイズ・ジャパン社、検証委員会、外部編集チームをはじめ、この最終号を作った人たちには猛省を促す。
「“広河事件”当事者たちの声なき声」を隠さず拾い集める、本当の「検証」と、責任追及が必要である。
(以上)
参考記事
琉球新報<乗松聡子の眼> 広河隆一氏の性暴力 女性差別抜け落ちた「人権」
『ふぇみん』2月25日号「広河隆一性暴力事件が突きつけるもの」
『創』4月号の広河隆一氏の「手記」は、自らの性暴力を認めたものではなく、セカンドレイプに他ならない
『ふぇみにすとの論考』雑誌『DAYS JAPAN』最終号の感想
初出:「ピースフィロソフィー」2019.3.25より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.com/2019/03/days-japan.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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