Foxの創業者ルパート・マードックやあとを継いだラクラン・マードックもタッカー・カールソンやローラ・イングラハム、ショーン・ハニティーをはじめとするスターニュースキャスターもトランプの主張が根拠のないウソだということを知っていた。知っていながらFox Newsはトランプのウソをあたかも事実のように放送しつづけた。
大統領選挙の投票集計システムを提供したドミニオン・ヴォーティング・システムズ社がFox Newsを$1.6 billion(約二千億円)の損害賠償で起訴したことから、タッカー・カールソン、ローラ・イングラハム、ルパート・マードック……、Fox Newsの関係者の間で交わされた膨大なテキストメッセージと電子メールが証拠として集められた。
ルパート・マードック自身がFox Newsの首脳陣と協議の末、トランプ支持の視聴者を失うことを恐れて、ウソの報道を続けることにした。ウソの報道を止めることもできたが、しようとしなかったという反省の弁のようなことまで口にしている。
ジェファーソンが「新聞なき政府より、政府なき新聞の方がいい」といったように、マスコミが社会を創造するといっても言い過ぎではない。ただ残念なことに、マスコミが社会正義や理念に基づいて、権力や権威や金に左右されずに報道できるとは思えない。政治権力の広報機関としてのマスコミは言うにおよばず、営利企業であれば、広告スポンサーと視聴者が望むものを伝えなければメシの食い上げになる。Fox Newsの姿勢が特殊なケースではない。
テレビ局や新聞が政治的な中立をうってはいても、経済的背景や今日にいたった経緯が報道や主張に漏れ出てくる。ただそれは、それなりの知識のある人たちが気がつくことで、巷の普通の人たちにはどこも似たり寄ったりにしかみえない。オレはフジテレビしか観ない、わたしは日本放送しか観ないという人がそうそういるとは思えない。
論考や主張の違いは、テレビや新聞より雑誌の方が目立つ。テレビや新聞には建前だけにしても社会の公器であるという自負?があるが、雑誌にはそのような意識があるにしても、はるかに希薄だろう。そもそも雑誌は広く社会全般を購読者としてはない。特定の社会層に絞って特定の領域に関する記事や論考や主張を掲載している。そこで両極端な立ち位置を明確にしている雑誌を比較してみることにした。
一つは「世界」でもう一つは「週刊大衆」。この二誌の間に「文藝春秋」や「諸君」に続いて「正論」、「週刊ポスト」や「現代」が並んで、そこからずっと下がってガテン系の社会層に購読者をもとめた「週刊大衆」や「アサヒ芸能」……がある。
まず両誌に関するウィキペディアの記載を書き写しておく。
「世界」
1946年1月創刊。論調は、創刊時は古典的自由主義であったが、同年4月末に岩波書店創業者である岩波茂雄死後は初代「世界」編集長であった吉野源三郎の意向により革新色を強め、1967年から1970年まで美濃部達吉都知事秘書を務め、東京都に朝鮮学校の認可をさせるなどした安江良介が編集部に戻り、翌1972年に編集長となると更に左傾化が強まり、反日本右派・反米・親中・親北といった親東側諸国の進歩的文化人・革新派の牙城の雑誌となった。
「週刊大衆」
1958年4月創刊。アダルト世代を対象にしており、色欲とスキャンダル路線を採用し、ブルーカラーと水商売向けの娯楽誌として定着している。
ヤクザ、エロスと芸能ゴシップが売り物で、日本ジャーナル出版の『週刊実話』、徳間書店の『アサヒ芸能』、三和出版の『実話時代』などと共に「実話誌」のジャンルでくくられる事もあるが、『週刊実話』や『アサヒ芸能』と同様に『実話時代』と比べるとやや内容が娯楽重視となっている。
「世界」を購読しているのは、学歴も高く、知的労働に従事している人たちだろう。一方「週刊大衆」はその名のとおり一般大衆、それも中間社会層より下の単純労働に従事している読者が多い。知識水準や社会に対する姿勢から「世界」を読むのは辛いと感じる人たちの日常の関心を満足するものと言える。
両誌とも民間出版社が発行しているもので、極端な赤字では遠からず廃刊になってしまう。編集方針はどの社会層のどのような嗜好を持っている人たちを対象にするかで決まってしまう。読者の嗜好が雑誌の特徴を決めるといいかえてもいい。
では、どちらの雑誌が社会の主要構成階層である大衆の日常を映し出す鏡となっているのか?鏡に映ったものをざっと見てみる。
「世界」に掲載された論考の極端な例として「ちきゅう座」に投稿させて頂いた拙稿『プロパガンダを真に受けて』で問題として取り上げた西川潤の論稿をつかう。西川潤が1971年に、「北朝鮮の経済的・社会的発展は人類歴史上類を見ないひとつの奇跡」と『世界』に執筆した。拙稿のurlは下記の通り。
https://chikyuza.net/archives/124663
論考は時代を反映したものだが、時代だったからという言い訳は通用しない。北朝鮮政府から提供された資料と拝聴したプロパガンダを真に受けて分かったような顔をして書いたもので、トランプのゴタクとは違う。学術論文の体をなしてはいるが、両者ともウソということではなんの違いもない。
日本の良心的左翼、当時の社会においてもっともリベラルな思想を代表していた「世界」が社会をまっとうに視るのを妨げたと言ってもいい。
「週刊大衆」がキーとしているジャンルは三つある。まず風俗、次にギャンブル、そして反社の世界。そこに芸能界のゴシップやらスポーツが付いている。
この三つ、たとえば風俗だが、大宮で大三枚と書いてあったのを真に受けて貯金を三万円おろして出かけたら、五万円ぼられた。となったら、読者は「週刊大衆」をやめて「アサヒ芸能」に流れる。ある同僚の話では、「週刊大衆」の記事はかなり信頼がおけるそうだ。 ギャンブルとは、おもに競馬や競輪の予想で、しょっちゅう予想が外れたら、代替えはいくらもあるから読者は離れていく。
反社のありようをありきたりに書いていたら読んでもらえない。下手に実相に入り込んだ記事にするとニュースソースの人たちに命にかかわる。ギリギリのところで書く能力が求められる。
西川潤が読者として求めたのは、学者、研究者、左翼思想の持ち主で、「週刊大衆」は、巷の庶民、それも下層の人たちを読者としている。下層の庶民が西川潤のプロパガンダを読むことはほぼない。同じように西川潤の読者は下層庶民が手にしている下世話な大衆紙を無視、あるいは極端な場合蔑視しているだろう。
どちらも読者が読みたいものを提供していることでは同じだが。提供されたもののどっちが目のまえの社会の多くの人たちに影響を与えているのか?社会の大多数は庶民で、庶民は「世界」を手にはしない。
庶民が何を見、聴き、何を思っているのかを知ろうとしない政治も社会活動も左翼の活動も社会を動かせるとは思えない。
高尚な社会・経済・政治、哲学でも社会学でも市民運動でもいいが、大衆を読者としている下世話なマスコミやそこから発信される情報を軽視してはならない。
「大衆誌にも目を通さなければ」は、十八歳で初めて「世界」を手にして、社会にでた二十歳のころから「世界」を社会を理解するための教科書として古希を迎えてしまった者の、数ある反省の弁のひとつで、いい年をしてなんこんなことを言ってることが恥ずかしい。
「週刊大衆」と「アサヒ芸能」は男性向けで、女性向けはと思う向きもあるかもしれない。女性向けの雑誌の筆頭は「微熱」と「Amour」だろう。
p.s.
<政治屋の失言?>
おかしなことを公言しては取り消しを繰りかえす政治屋がいる。何が普通かと言われると、なんとも説明しにくいし、まして政治屋のかたをもつ気などさらさらないが、普通に考えてどうみても社会一般から叱責されるのを承知で言っているとしか思えない。失言も放言も支持者や支持母体に向けたメッセージと考えれば、辻褄があう。支持者や支持母体の信を失えば政治屋としていられない。雑誌ではないが、社会全体なんてのを気にする気ははなからない。サルは木から落ちてもサルだが、政治屋は選挙で落ちれば議員でいられない。Fox Newsと同じ構図がそこにある。
2023/4/4
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13020:230517〕