昨日2月15日、Sさんが2月7日に亡くなられたという訃報を、ちきゅう座と社会批評研究会会員のOさんからのメールで知った。去年の半ばに膀胱癌の手術をされ、その後も闘病生活を続けられていたSさん。癌細胞が肺に転移し、今月の初めに大阪で手術を受けるということを聞いたのは先月の21日であった。手術が上手くいき、早く良くなって欲しいと思ったが、その願いは叶わなかった。
Oさんがちきゅう座と社会批評研究会に入会されたのはSさんの勧めがあったからだと聞いている。Sさんがちきゅう座会員になられた経緯は判らないが、社会批評研究会についてお話し、参加をお誘いしたのは私だった。数年前の現代史研究会後の懇親会で、たまたま隣の席に座ったSさんに声をかけたのだ。その後、この研究会に闘病生活に入る前は欠かさず参加されていたSさん。報告も何度かお願いしたが、いつも丁寧なレジュメと資料を用意されていた。何事に対しても真剣に向き合う姿勢は強く印象に残っている。癌との闘病に入り、研究会に来られなくなってからも、何度かメールをいただいた。手術後の激痛がしばらく続いた中でも「早く元気になって研究会に参加したい」と何度も書かれていた。
Sさんはかつて学生運動を行い、労働運動も行った。その経験がSさんにとって大きな、あまりにも大きなものであったことは発言された言葉の隅々に響いていた。ただ、私はその言葉を正面から受け止めることを避けていた。言葉だけではない。Sさんの眼差しも。ちきゅう座や社会批評研究会のメンバーには学生運動や労働運動に参加され、そのことが人生に大きな影響を与えた方々が多い。そうした方々の眼差しは強いが、その中にも優しさを感じることが多々ある。しかし、Sさんの眼差しは違った。強烈過ぎて、恐くなってしまうものだった。その眼差しには様々な出来事が刻み込まれ、私の知らない多くの個人史の物語が隠されていたのであろう。
多分、それために私はSさんと長い時間議論することを避けていた。Sさんの真摯過ぎる生き方を正面から受け止める力が自分にはないと感じたのだ。だが、今にして思えば、もっとお話しすればよかったと後悔している。機会は何度もあったのに、Sさんの真面目過ぎる語りと、特異とも言えるその眼差し。それが怖かった私はSさんとの対話の機会を逃してしまった。
手術後の闘病日誌というタイトルで送付いただいた何通かのメールを読むと、最後に必ず「頑張ります」という言葉が書かれている。「頑張ること」、それがSさんの人生だったのではないかとふっと考えてしまう。直接的に学生運動や労働運動を知らない私の世代以降の人間にとって、よい意味でも、悪い意味でも、Sさんの頑張ろうとする真面目さは特異なものだった。その特異さゆえに、私はSさんとの対話を真面目に行わなかった。今、私は、もっとSさんと対話すべきだったのだと激しく後悔している。もう遅いのかもしれない。だが、Sさんの経験したこと、これから行おうとしていたことを自分なりに考えて、問い続けてみようと思っている。最後に、Sさんのご冥福を心から祈りたいと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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