内田 弘の執筆一覧

マルクスとガロア ― 《対称性崩し》をめぐる共通性 ― Both Marx and Galois engage on Breaking of Symmetry

著者: 内田 弘

[問いと解との橋がけ] 資本主義では、日常生活の経済行為の経験から、一方に商品が存在し、その対極に貨幣が存在し、商品は貨幣で購入し、貨幣は商品の販売で入手することができることは熟知されている。しかし、《数多ある商品と貨幣

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監視する現代社会は豊かであろうか ― 同質化するイギリス・中国・日本 ―

著者: 内田 弘

[オーウェル化するイギリス] 今から十数年前、イギリス西部イングランドの或る大学に短期留学しました。その滞在期間中、その大学が設置している外来研究者用の宿舎に泊っていました。月毎の寮費を寮の事務室に収めに行き、ついでに雑

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日本人独特な自己組織行為《同調圧力》を解明する― 鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』(講談社現代新書、2020年)を読む ―

著者: 内田 弘

 《何人も何事も、いざというときに、その本性を暴露する》とは、よく耳にする警句である。現今のコロナ災禍も、その《いざというとき》である。コロナ災禍は、「日本人独自の自己組織化」という日本人の本性を露呈している。本書の著者

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方程式としての『資本論』―Gleichungは「等式」ではなく「等置行為=方程式措定」である―

著者: 内田 弘

[注目すべき『資本論』第1部第1章第1節] 『資本論』の冒頭そのものでは、価値は使用価値と同格の前提でない。そうではなくて、「価値」は相異なる「使用価値」の私的交換関係から発生する。したがって、まず使用価値が存在して、そ

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文化規範としての日本語の危機― コロナ災禍とカタカナ語 ―

著者: 内田 弘

[コロナ災禍を表現するカタカナ語] この「ちきゅう座」に掲載された拙稿「コロナがさったあと」で指摘したように、《いざというときにこそ、その正体がはっきりする》。日本語の特性もそうである。それが証拠に、コロナ災禍の深刻な事

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コロナが去ったあと― 経験したことは消えない ―

著者: 内田 弘

[コロナ経験の存続] コロナ災禍で苦しんでいる最中、表題「コロナが去ったあと」のようなことを論じることは不適切なことであると思われるかもしれない。しかし、コロナ災禍の最中、今を生きる自己を客観的に見つめなければならない。

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『阿Q正伝』の総合的にして独創的な研究― 冉秀(ぜん・しゅう)『《阿Q正伝》の作品研究』(日本僑報社、2019年)を読む ―

著者: 内田 弘

[魯迅『阿Q正伝』の本格的研究] 1912年以後の中華民国時代の作家・魯迅の代表的な作品は、『阿Q正伝』(1920-1921年公表)である。このことは、大方の魯迅研究者が同意するだろう。  著者・冉秀(ぜん・しゅう:Ra

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阿Qとは誰か―魯迅が名前「阿Q」に込めた意味を解読する―

著者: 内田 弘

[阿Qとは誰か] 魯迅の数多い小説のなかでも『阿Q正伝』が魯迅の代表作であることは、魯迅の大方の読者が認めるであろう。  ところで、肝心の阿Qとは、いったい誰なのか。魯迅自身、『阿Q正伝』の冒頭の「第1章 序」で、阿Qと

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《日本国憲法を支える日米同盟》-田中利幸『検証「戦後民主主義」』を読む-

著者: 内田 弘

[近代日本アジア侵略史と日本国憲法] 「れいわ新撰組」の山本太郎人気を打ち壊すように、ヒロシマの8月6日を避け、その翌日の8月7日、小泉進次郞と「お・も・て・な・し」=東京五輪のシンボル、滝川クリステルとの結婚が「首相官

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『宮本三郎南方従軍画集』を推薦する藤田嗣治

著者: 内田 弘

[古書展目録を読む] 毎月、本稿筆者の自宅に数冊の古書展目録が郵送されてくる。東京中央線の高円寺の北口の右先にある西部古書会館、明治大学神田校舎の表通りを少し下がった所にある東京古書会館などで、週末に開催される古書展に出

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《日本バブル資金の「民主化した中国」への投入はありえたか》

著者: 内田 弘

[多様な中国評価] 現代世界の牽引者のひとつ・中国を評価することは非常にむずかしい。日本でも、現代の中国は「社会主義国」であるという「冷戦時代的な中国観」があるかと思えば、「電脳社会主義国」であるという興味深い見方もある

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《表現の「むずかしさ」を論じ、内田義彦・長洲一二論に至る》

著者: 内田 弘

[どの表現も必ず誰にでも分かりやすくできるか] 表現には、話し言葉でおこなう表現、文字でおこなう表現、映像でおこなう表現など、多様な形態がある。そのさい、表現の仕方の工夫次第では、より分かりやすくなる場合と、そのような工

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《人間の身心までも動員し利用するゲシュテル》-立ち去らぬハイデッガー問題-

著者: 内田 弘

[1] 用語「人的資源」は異常ではないか [『東京新聞』浜矩子のエッセイ] 最近、『東京新聞』(2019年3月24日朝刊5頁)に、浜矩子同志社大学教授執筆のコラム《時代を読む》「人は材でも財でもない」が掲載された。  こ

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《ハリウッドからホワイト・ハウスへ》-レトリック活動としての映画と政治の同型性・同質性-

著者: 内田 弘

[映画俳優レーガンは大統領になれるか] 1980年のことであるから、いまから約40年前のことである。映画俳優ドナルド・レーガンが大統領に立候補した。すると、或る知人が「たかが映画俳優に、アメリカの大統領など成れるはずがな

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日帝朝鮮支配に抗う魂の果敢性・透明性-映画「金子文子と朴烈」を観て-

著者: 内田 弘

[主題曲「イタリアの庭」の郷愁] 東京・渋谷の長い宮益坂を登って、映画館「イメージ・フォーラム」で、イ・ジュンイク監督作品「金子文子と朴烈(パク・ヨル)」を観た。会場はほぼ満席である。上映中の静寂の会場は、哀切の感情で満

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ヒチコックからマルクスへ ― 関係態では相手[2]があって自己[1]がある。さらに、自己が相手[2]に吸収されて[0]になる。―

著者: 内田 弘

[1] 関係態に飲み込まれる個人 [恋は憑きもの] あるとき、喫茶店で本を読んでいると、近くの広い席で、大人たちが話し込んでいる。その中のひとりが「なんでこうなってしまったのかねぇ」と嘆息をもらす。別のひとが、「とくかく

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《『ドイツ・イデオロギー』本文は廣松編もMEGA編も同一である》の確認-「現代史研究会(1月12日、明治大学)」の成果-

著者: 内田 弘

先日の「現代史研究会(2019年1月12日、明治大学)」のテーマ「草稿『ドイツ・イデオロギー』の成立条件」の研究会は、実りの多い研究会であった。 その研究会の事前に拙稿「『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』の『

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『経済学・哲学草稿』および『ドイツ・イデオロギー』 の『資本論』形成史上の意義 ―MEGA,I/5『ドイツ・イデオロギー』の検討を中心に―

著者: 内田 弘

 このたび、大村泉編著『唯物史観と新MEGA版《ドイツ・イデオロギー》』(社会評論社、2018年)が刊行された。現代史研究会[2019年1月12日(土)午後1時~5時、明治大学研究棟2階第9会議室]で、渡辺憲正氏が執筆し

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《ポピュラライザーの含羞と任務》-社会的分業に現われる人間能力の普遍性-

著者: 内田 弘

[同窓会での恩師の思い出話] 最近、故郷の高校が創立140周年を迎え、その機会に同学年の同窓会がその日の午後にあった。その懇親会で恩師のことが話題になった。同じ英語の恩師でも、(1)明快な授業をする恩師と、(2)なぜか恥

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《藤田嗣治像のコペルニクス的旋回》-富田芳和著『なぜ日本はフジタを捨てたのか』の衝撃-

著者: 内田 弘

[不可解なスキャンダル] 藤田嗣治(フジタ・ツグハル:1886-1968)の回顧展が最近終わった。  不可解なことに、回顧展のたびに、藤田嗣治(以下、フジタを記す)はつぎのようなスキャンダルがつきまとう。 《なるほど、フ

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《消費せよ、しかし沈黙せよ》― 試練に立つ現代民主主義 ―

著者: 内田 弘

[アフリカからの留学生の密かな訴え] 以前に、この「ちきゅう座」でつぎのような経験談を書いたことがある。  かつて、3月下旬のイースターで閑散としている或る外国の学生食堂で朝食をとっていると、「ご一緒してよろしいでしょう

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