「また立ちかえる水無月の歎きをたれに語るべき 沙羅のみづ枝に花さけばかなしき人の目ぞ見ゆる」(芥川龍之介)。なんとなしに好きで自然に口にのぼる一節だ。去る日、樺美智子さんの遺影を拝したが、その幼に胸がつかれ思いだった。
本文を読む岸信介の執筆一覧
アジサイの季節になって―長めの論評(九)
著者: 三上 治「岸を倒せ、岸を倒せ」土砂降りの雨の中で、気分を高揚させながら僕らはデモをしていた。異様なまでの岸首相に対する憎悪は僕らの心的に支えとなっていた。この感情の高まりとは何であったのだろうか、と後年になって想起することがあ
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(八)
著者: 三上 治政治的にみる限り世界は国家間関係を基礎にして存在している。だが、この国家間関係にも歴史段階的な変化がある。国家が国益であり当然と見なされた行為が疑念にさらされ、国家を超えるという課題が人類史(普遍的)課題として登場した
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(七)
著者: 三上 治政治、あるいは政治運動とはなんだろうということをよく考えた。これを論じるには一冊の本が必要かもしないが、簡潔にいえば人々の意思(心の動き)が共同意思として現象するものであるといえる。人々の意思というときは諸個人の意思の
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(六)
著者: 三上 治アメリカ追随と言われていた吉田がアメリカの軍事協力要請に消極的であり、ときに抵抗もしたのに、日本の独立派と目された岸が逆に積極的であったことは注目しておいてよいことだ。要するにアメリカは吉田よりは岸の方が組みやすいと見
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(五)
著者: 三上 治岸信介に比べれば吉田茂の方が人間的には好かれているのだろう、という印象がある。これは僕の場合にはやはり安保闘争での印象が避けがたくあるのだが、彼らの権力についての認識も幾分かは影響しているように思う。吉田は戦中に憲兵か
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(三)
著者: 三上 治言葉は恐ろしいところがある。曖昧なまま流通し、いつの間にか疑うこともなく人々に使われたりもする。そして、また、人々に行動まで縛ってしまうのである。例えば、日米同盟などはその一つである。一体、日米同盟というのは何のことだ
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(二)
著者: 三上 治歴史はおもしろいもので必要に応じて様々の役者を用意する。これは歴史という舞台が用意するのか、人が舞台の中で役者になっていくのかは分からないにしてもである。安保条約の改定には岸信介という格好の役者がいたが、彼が首相でなか
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