*この論文は2月6日に掲載いたしました論文(https://chikyuza.net/archives/69873)の続きになっております。(編集部) [承前] 2 「原生的状態」(「農民共同組織」) の理論構成と諸問題
本文を読む折原浩の執筆一覧
記録と随想12: 敗戦後日本社会科学の二隘路(西洋中心的「単線的発展段階論ないし進化論」による「『民主化』と『戦争』」問題の看過、「政治的ゲマインシャフト行為」における「ゲゼルシャフト結成」の諸階梯としての「経験科学」的「国家論」の欠落)――マックス・ヴェーバーにおける「古代国家の発展図式」(『古代農業事情』)が「社会学的決疑論体系」(『経済と社会』旧稿)に再編成される経緯と意義 (プロレゴーメナ)(1月14日)
著者: 折原浩はじめに 昨今の社会科学、とりわけ「比較歴史社会学」をめぐる研究状況を顧みると、マックス・ヴェーバー「古代農業事情」(第三版1909、GAzSuWG: 1-288, MWGⅠ/6: 320-747,渡辺金一・弓削達訳『古
本文を読む記録と随想10: いま、なぜ、マックス・ヴェーバーの労作を改めて掘り起こすことが必要か――「『パーリア民』概念と『ユダヤ人』観」の問題提起を契機に考える(「比較歴史社会学研究会」第二回 余録)(10月14日)
著者: 折原浩はじめに 去る9月18日、大阪は梅田のゲートタワービル8階、神戸大学インテリジェントラボで、「比較歴史社会学研究会」第二回が開かれ、関西と関東から約20名の参加があり、下記の二報告をめぐり、活発な議論が交わ
本文を読むエチル化学労組の闘いに学ぶ
著者: 折原浩現代技術史研究会M分科会主催「エチル化学労組の闘いに学ぶ」(記録映画『エチル化学労組』上映会、2013月2月10日、於東京・渋谷、文化総合センター大和田)にて はじめに みなさん、こんにちは。 ご紹介いただ
本文を読むヴェーバーの科学論と原発事故-学内論争に寄せて
著者: 折原浩*これは、https://chikyuza.net/archives/68484 にて掲載の論文「東日本に生きている僥倖 ―― 福島第一原発二号機は、いかにして格納容器爆発を免れたか」の追補として既に発表されたものですが
本文を読む記録と随想3: 1960年代における滝沢克己「原点」論登場の背景と意義 (4月13日~)(その2)
著者: 折原浩*折原浩先生の許可を得て本論文を2回に分けて分載しました(編集部) ところで、筆者自身は、教養課程の学生の頃、同世代者にほぼ共通の思想体験として、「マルクス主義か実存主義か」という問題に直面した。そして、社会学・社会科学
本文を読む1960年代における滝沢克己「原点」論登場の背景と意義 (4月13日~)(その1)
著者: 折原浩*折原浩先生の許可を得て本論文を2回に分けて分載しました(編集部) はじめに 本欄「記録と随想1.」では、「『職業としての学問』末尾の『デーモン』とは何か――マックス・ヴェーバーの人生と闘いを支えた究極の立脚点は何処にあ
本文を読む東日本 に 生きてい る僥倖 ―― 福島第一原発二号機は、いかにし て格納 容器 爆発を免れたか
著者: 折原浩https://chikyuza.net/wp-content/uploads/2016/12/563263cc09d7388563abc2b50be5bec5.pdf 初出:「折原浩のホームページ」より許可を得て転載
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて (その9=最終回)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、今回まで9回連載で掲載しました。「東大闘争とは何だったのか」「大学の自治
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて (その8)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、およそ10回に分けて連載することにしました。今日の問題にも通ずるものです
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて(その7)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、およそ10回に分けて連載することにしました。今日の問題にも通ずるものです
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて (その6)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、およそ10回に分けて連載することにしました。今日の問題にも通ずるものです
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて(その5)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、およそ10回に分けて連載することにしました。今日の問題にも通ずるものです
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて (その4)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、およそ10回に分けて連載することにしました。今日の問題にも通ずるものです
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて(その3)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、およそ10回に分けて連載することにしました。今日の問題にも通ずるものです。
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて(その2)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、およそ10回に分けて連載することにしました。今日の問題にも通ずるものです。
本文を読む1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」) に寄せて(その1)
著者: 折原浩*本論文は折原浩(東京大学名誉教授)により2014年11月~2015年2月 にかけて書かれたものです。全体は大部(A4で51ページ)になるため、およそ10回に分けて連載することにしました。今日の問題にも通ずるものです。
本文を読む記録と随想 1(2016年3月24日 起稿、3月28日 脱稿、8月13日 改稿) 『職業としての学問』末尾の「デーモン」とは何か――マックス・ヴェーバーの人生と闘いを支えた究極の立脚点は何処にあったか
著者: 折原浩https://chikyuza.net/wp-content/uploads/2016/11/zuisou1-1.pdf 初出:「折原浩のホームページ」より許可を得て転載 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http:/
本文を読む記録と随想11: 故塩川喜信さんを偲ぶ会(2016年10月29日)「第二部」スピーチ
著者: 折原浩塩川さんは生涯、政治・社会運動と学問研究との両面にわたって、じつに幅広く活動されました。この点は、この会が、十指に余る団体[1]の共催で開かれ、各団体を代表する方々の「第一部」のスピーチからも明らかで、圧倒される思いです
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