野沢敏治の執筆一覧

オットー・クレンペラー : 「芸術と政治」問題に立ちあった人 (1)               

著者: 野沢敏治

                   はじめに クレンペラーとの出会い  オットー・クレンペラー、この人はヨーロッパ音楽の指揮者です。彼はカラヤンやバーンスタインのようなスターではなかったけれど、フルトヴェングラーやトス

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水を治むるもの其心亦必流水の如くを要せり ――田中正造・第2部――(6・終)

著者: 野沢敏治

 (7)「水の心」を知って治水にあたる  人が作ったものは人で直すことができる  最後の視点に入ろう。ではどうしたらよいのか。水害は「人造の禍でありますから、又人造で取りかへしが出来るはずだ」(『全集』第4巻、86頁)。

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水を治むるもの其心亦必流水の如くを要せり ――田中正造・第2部――(5)

著者: 野沢敏治

 (5)キリスト教との対話  正造の運動には、彼の激しい闘争心からすると意外かもしれないが、愛を説くキリスト教と響きあうところがある。このことはすでに何人かの人が指摘しているが、私は自分でもそのことを探っておきたい。  

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水を治むるもの其心亦必流水の如くを要せり――田中正造・第2部――(4)

著者: 野沢敏治

 (3)治水は憲法の精神に関わる  正造にとって治水問題は第1部での鉱毒問題と同様に憲法を問うことでもあった。彼は村人に対して憲法に保障された「人」の私的所有権と「公民」としての請願権を説くのだが、ここ治水問題では以前よ

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水を治むるもの其心亦必流水の如くを要せり――田中正造・第2部――(3)

著者: 野沢敏治

 3 逆流の発生――谷中村遊水地化は無効であった   正造は明治40年の洪水で逆流が発生したことを知る。彼はその原因を調べたのだが、そこにはこれまでの人間活動に無理があったという吉田の治水論と呼応するものがあって面白い。

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水を治むるもの其心亦必流水の如くを要せり――田中正造・第2部――(2)

著者: 野沢敏治

 1 政界から社会へ  年譜でも記したが、正造は治水問題に対処するにあたり、それまでとは運動の場所を変えている。議会での論戦や権力争いの政界から「社会」へと根拠地を移している。それとともに、次第に活動の質と思想を鍛えてい

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水を治むるもの其心亦必流水の如くを要せり ――田中正造・第2部――(1)

著者: 野沢敏治

事の発端とその後  鉱毒問題に一つの転機がくる。1902年(明治35年)3月、桂太郎内閣に鉱毒調査委員会が設けられた。それは前年12月の正造の直訴事件が引き起こした世論の沸騰を受けた政府の対応であり、その後調査会は鉱毒の

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真正の人道は地勢と共に存在すべき――田中正造・第1部(6・終)

著者: 野沢敏治

 5 近代的権利の発掘者  正造は鉱毒の被害に対してどう対処したか。彼は被害者が憐れみを乞うたり、銅山と示談して和解することを批判した。彼は汚染源による負担を原則として銅山の鉱業停止を要求し、憲法で認められた請願権を行使

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真正の人道は地勢と共に存在すべき――田中正造・第1部(5)

著者: 野沢敏治

 4 社会的費用論に伸びるもの   正造は足尾銅山に対して鉱業の停止を求めて以下のように運動する。  行動の人  正造は行動の人であっていわゆる研究者ではない。その行動ぶりは彼の日記のどこでもよいから開けば、すぐわかる。

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真正の人道は地勢と共に存在すべき――田中正造・第1部(4)

著者: 野沢敏治

3 「日本資本主義」が生んだ公害  市兵衛の革新的な経営は見事であった。だがそれが銅山に接する渡良瀬川の流域に大変な被害をもたらす(ここでは労働問題は別にしておく)。足尾町近辺から北の松木村にかけて、そして渡良瀬川の中流

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真正の人道は地勢と共に存在すべき――田中正造・第1部(3)

著者: 野沢敏治

 2 『日本資本主義』の一典型  田中正造は前史をへて足尾鉱毒問題に取りかかる。彼の直接の最大の対決相手は古河市兵衛であった。市兵衛の足尾銅山は何をしたのか。銅山は後に「公害の原点」と批判されるが、どのようにしてそうなの

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真正の人道は地勢と共に存在すべき ――田中正造・第1部(2)

著者: 野沢敏治

1 田中正造が田中正造になる準備 正造が鉱毒問題にかかわるのは1891年(明治24年)の第2回議会での演説からである。その2年前に大日本帝国憲法が発布され、1年前には第1回総選挙が行われていた。正造は衆議院議員に当選し、

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真正の人道は地勢と共に存在すべき ――田中正造・第1部(1)

著者: 野沢敏治

はじめに    「田中正造と足尾鉱毒問題」の間にあるもの 田中正造と言えば、誰でも知っている名前であろう。そして明治時代に足尾銅山の鉱毒被害の解決に献身した「義人」とイメージするだろう。逆に足尾鉱毒問題と言えば田中正造と

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平田清明著『市民社会と社会主義』刊行50周年記念予約割引頒布のお知らせ

著者: 野沢敏治

予約割引頒布のお知らせ 平田清明著『市民社会と社会主義』刊行50周年を記念して、今秋、下記二点を日本経済評論社から刊行します。予約していただいた方に二点セットで割引いて頒布しますので、8月末までに出版委員会関係者に申込者

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人間の自然との交渉と科学技術・再考――宮沢賢治への一つの接近――(5)

著者: 野沢敏治

 5 賢治の方向転換――田と畑のなかに入る  1)羅須地人協会――農民が科学と芸術を自分のものにする  賢治は1926年(大正15年)に花巻で羅須地人協会(別称・農民芸術学校)を立ちあげました。彼はそこで自分で農作業をし

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人間の自然との交渉と科学技術・再考――宮沢賢治への一つの接近――(4)

著者: 野沢敏治

 4 地球という「我家の歴史」を知って生活し生産する  1)「造化の秘密」を語る石ころ、花崗岩の役立ち  賢治の先生の関は生徒に地学を教え、それを実地に応用させていました。賢治たちは関の指導で夏季実習として盛岡市とその付

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人間の自然との交渉と科学技術・再考――宮沢賢治への一つの接近――(3)

著者: 野沢敏治

   3 関豊太郎から地学と農学を学ぶ    海温が米の収穫を左右する  宮沢賢治は盛岡高等農林学校で自然科学系の教育を受け、自分でも地質の調査をしています。明治以来の国家政策は商工業優先であって農業は後回しにされ、その

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人間の自然との交渉と科学技術・再考――宮沢賢治への一つの接近――(2)

著者: 野沢敏治

 Ⅰ 賢治が学んだ自然科学と農業技術   賢治はその短い一生を広大な領域にわたって多彩に燃焼しましたが、一貫していたものがあります。それが科学を自然に応用する活動です。以下、4回にわけて考えてみます。  1 求められた「

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人間の自然との交渉と近代科学技術・再考――宮沢賢治への1つの接近――(1)

著者: 野沢敏治

         はじめに 科学的研究と予測・判断とは別のこと   (今回)          「住民ハ理論ニ信頼セス」――桜島火山爆発の教訓          震災と原発事故から垣間見えた宮沢賢治――2つの言葉    

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『資本論の世界』を改めて読む(第4回・終)

著者: 野沢敏治

 内田マルクスの歴史理論  日本は幕末以降に欧米の列強と交わり、前代の徳川封建制から近代資本主義へ、そしてそれを乗り越える社会主義へという歴史意識を生んだ。それが20世紀も末になって、ソ連を中心とする社会主義陣営の崩壊と

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