WANTED-銀行 ―はみ出し駐在記(10)

初出社して、その日のうちに事務所の近くにある銀行に連れて行かれた。銀行にBank account(口座)を作らないと何をするにも不便だからと言われたが、何が不便なのか分からなかった。日本には小切手を使う習慣がなかったことと、英語で言われても、それが何を意味しているか想像もつかなかった。AccountやCheckの意味すら知らないのだから、説明するのも面倒になったのだろう。細かなこと抜きで、まず銀行に行ってやらなければならないことを済ませてしまおうという感じだった。もし立場が逆だったら、自分もそうしたと思う。実際に使わせればイヤでも分かる。

 

連れて行ってくれた経理担当者に言われるがままに手続きをしていった。何をしているのかなんとなく分かったが、実感したのは会社からもらったCheck(小切手)や自分のCheck(Personal check)を現金化したときだった。いい歳をしてと言われるだろうが、実家まかせで日本では銀行に行ったことがなかった。普通預金と定期預金、それぞれの通帳ぐらいしか知らなかったし、それすら目にしたことがなかった。駐在してはじめて自分(?)で口座を開いて、金の出し入れを経験した。

 

一週間ほど経って、昼飯の後先輩に連れられて銀行に行った。一人で行って戸惑うより、先輩も行くのなら一緒に行った方が間違いない。銀行は何時行っても混んでいた。当初は自分の用を足すのに精一杯で、周りを見る余裕がなかった。会社からもらったCheckの入金やPersonal checkの現金化を何度か経験すれば、後は同じことの繰り返しで何も特別なことはなくなる。前の人たちが入出金しているのを待っている間に、あれこれ見る余裕がでてくる。

 

これは入って一目で分かることなのだが、日本の銀行とは違って行員の数が極端に少ない。何を基準に比較すればよいのか分からないが、素人目には日本の銀行の支店に比べて行員が四分の一程度しかいない。その分行員がいる店側のスペースが狭い。いくつもの銀行の支店に行った訳ではないが、客がいるスペースの方が広い。行員をコストと考えれば、行員は少ない方が、利益を生む客は多い方がいい。その結果として狭い行員用スペースと広い客用スペースになる。合理的な経営を目指した結果だろう。

 

注)

銀行や金融業界の細かなことを知らない素人の拙い理解でしかないことをお断りしておく。日本の銀行が合理的な経営を目指していないと言っている訳ではない。

 

銀行に置いてあるパンフレットの類はどこでも似たようなものだろう。新規口座開設の利点を訴える宣伝、住宅ローンからクレジットカードの宣伝や申込み用紙。スタイルや言葉は違っても、当時も今も日本でもアメリカでも似たようなものが置いてある。

 

そんななかで、一見これは一体何なんだというポスターのようなものが壁に何枚も貼ってあった。ちょうど日本の選挙ポスターのような大きさで顔写真が紙面のほとんどを占めている。どれもこれも人相が悪い。全員黒人。写真の上に千ドル台から一万ドル台の数字が大きく書いてある。その上に一際大きな文字でWANTED。なんでこんな顔写真がいくつも銀行に貼ってあるのんだろうと思いながら、顔写真の下に書いてあるリストのような物を読んで分かった。分かったと言うより、よしてくれ、そんなところに来たのかという気持ちの方が強かった。

 

子供の頃に見たスティーブ・マックイーン主演のテレビドラマ『拳銃無宿』を思い出した。ポスターに見えたのは当時「おたずね者」とか「おたずね首」と呼ばれていたもので、数字は懸賞金だった。ちょっと小さい字で何時、どこの銀行支店で強盗したかなどがざっと書いてあった。

 

ポスターを見ていって驚いた。ついひと月ほど前に今いるこの銀行支店に入った強盗のポスターだった。先月あって、また今月はないだろうと思いながら、つい銀行の入り口から外を見てしまった。ハイジャックならトイレにつかえるか、最悪の場合でも腕の骨を一本折るぐらいしかないだろうから、キューバに一週間くらいバケーションにという馬鹿な気持ちが湧かない訳でもない。でも銀行にいるときに銀行強盗は勘弁して欲しい。

 

日本の銀行強盗ならほとんどがモデルガンしかもっていない。万が一、本物だったとしてもトカレフ一丁振り回してくらいだろう。撃たれたところで運が悪くなければ致命傷にはならない。でも、こっちは本物で軍が使っている自動小銃が最低限の装備だろう。撃たれたらまず助からない。キューバに一週間バケーションというような冗談も出てこない。

 

事務所はロングアイランドの東西の中央辺りで田舎ではないが町でもない、のんびりした郊外のその先という場所にあった。そんなところでも銀行強盗。痛んだアメリカを象徴していた。

 

何ヶ月か経って、大家のおばさんからアドバイスがあった。開いたAccountはCheckingだろうと聞かれ、そうだと答えた。おばさん曰くChecking accountは利子が付かないから余裕のあるお金は利子の付くSaving accountにおいておいた方がいい。近くに町のSaving bankがある。そこにSaving accountを作ってきてあげる。ボブもそうしていたし、その方がいい。

 

親切な大家のおかげで徒歩でも行ける銀行に口座ができた。決して豊ではないイタリア系が多い町の銀行。名前がふるっている。Dime Saving Bank。Dimeとは十セントコインのことで、意訳すれば“十円貯蓄銀行”。その名の通り、町の庶民の銀行だった。

 

事務所近くの銀行の口座の残高が足りなくなって、Saving bankに引き出しに行った。いかにもご近所さんという感じのおばさんとおじさんに混じって列に並んで現金を引き出した。そこにも同じようなポスターが貼ってあった。驚いたことに、何ヶ月か前に強盗に入られていた。下宿と目と鼻の先で銀行強盗。

 

強盗でも何でもありのアメリカ、それも日常的に身の回りにある。歌舞伎町の奥まった辺りを歩くとき以上に自分の周りにどのような人がいるのかに気を配るようになる。気を配るだけではなく、周囲の人たちを記憶しながら、目的を持った顔をして早足で歩く。ちょっと変な感じがあれば、フツーに見える人が多い方に逃げる。

 

日本はあまりに人が多すぎて、周囲の人に気を配りきれないし記憶しきれない。ニューヨークで気を配って記憶しながら歩く習慣が付いてしまっていた。帰国して新宿を歩くとき、その習慣のせいで気が張りすぎて疲れた。気を配りながら歩かなければならないニューヨークと気を配りきれない、(大して)配る必要ない新宿。

 

新宿もいいが、世界ではニューヨークの方がフツーで、そこで歩けなければという気がする。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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