ドイツ通信第149号 ドイツ―この間の二か月(1)
- 2019年 12月 28日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
香港から帰ってきて、早2カ月が経ちます。この間、周りではあちこちで煙が上がり、火が噴き出している現状を、「どうなるのか」と全体像がつかめないまま、日毎に伝えられる情報に振り回されていました。その割には、周辺はなぜか静かです、と思えます。先の見えない不確かさが、市民の語る口を重くするのでしょうか。
どのように整理していけばいいかと迷いながら、この2カ月を振り返ってみます。
まずは、2019年10月27日、チューリンゲン州の議会選挙です。
選挙結果は、日本でも報道されているでしょうが、得票率の最終集計が確定されたのは12月6日になってからです。(注) この1カ月半というのは、ある意味では政治の空白期間でした。そして、こういう状況は今回に限らず、今後も引き続き予想されるというところにドイツ政治の不安定性と不確定性が読み取れます。従来の政治感覚では捉えられなくなってきている現状に戸惑いを感じながら、それに対応できるように各自の心構えを立て直そうとしているのが、静かだと傍目に見える今の現状ではないかと思われます。
(注) 10月27日選挙の最終確定得票率は以下のようになります。
CDU 21.7%(前回比 -11.8%) 21議席、 左翼党31,0%(+2.8%)29議席、
SPD 8.2%(-4,2%)8議席 AfD 23.4%(+12.8%)22議席
緑の党5.2%(?0.5%)5議席 FDP 5.0%(+2,5)5議席
参考:ドイツの政党
10月27日の選挙直後の開票ではFDP(自由民主党)が5%を確保し、議会進出が見込まれていましたが、読み取りミスが発見され再集計が行われ、その結果次第では、5%を割る可能性も指摘されていました。結果は、当初より68票が上積みされ5%に必要なボーダーラインを73票上回り、これによってFDPの議会進出が確認されたのが、12月6日となりました。
FDPの動向次第では、連立の組み合わせに大きな変動が起きてきます。それを見越した、約一か月の政治空白でした。
ザクセンとブランデンブルグでは、CDU- SPD- 緑の党、いわゆる「ケニア連立」(各党の色を組み合わせるとケニアの国旗のように見えることから名づけられた)が成立しています。それに対して、チューリンゲンではどのような連立が可能か、ドイツの「テスト・ケース」といわれる所以です。
ここに見られる傾向は、既に他の州でも認められるところで、緑の党への追い風が見られません。むしろ向かい風が強く感じられます。東ドイツに自然環境をテーマにする社会中間層の育っていない一つの指標ではないかと思われますが、それはまた、ドイツ統一が導き出した結果でしょう。
戦後の西ドイツに見られた社会の中間層を基軸にしながら上下左右のバランスをとるという「福祉国家」的な域内安定政治は、ドイツ統一以降、社会が分極化しながら、二大国民政党(CDUとSPD)の凋落をもたらし、極右派・ナチの台頭を促してきました。分析的にはそれはそれで間違いはないとは思いますが、それを言ったところで自分を納得させられないところが、なんとももどかしいのです。
多数派形成を数字から組み合わせれば、左翼党とAfD の連立です。しかし、これは机上のつくりごとにしかすぎません。残る可能性は、左翼党とCDU、あるいはCDU、SPD、緑の党そしてFDPとの組み合わせです。いわゆる「ジンバブエ連立」(これも同様に各党の組み合わせから)。それにしても、いろいろな国旗がドイツでなびいているものです。
ここでの問題は、CDUもFDPも党の中央決定で、AfDは言うに及ばず、左翼党との連立および閣外協力を拒否していることです。しかし、CDUのチューリンゲン地方組織内部には、左翼党との連立で政権参加を主張するグループが全体の4分の1近く、また同じような比率でAfDへの歩み寄りを主張するグループが公然と登場してきています。こうしてCDUにも、中央指導部と地方組織の路線・組織対立が顕著になってきました。
1週間ほど前にAfDの党大会が開かれ、そこで党代表は、概略、
〈 AfDが唯一のオルタナティブであることが実証された。CDU が政権を取るためには、AfDを無視することはできない。CDUが自分から、いずれはAfDに話しかけてくるときが来る〉
と、CDUの足元を見透かしたような大見得を切っていました。実情は、極右派の戯言だと無視できない段階に差し掛かっています。
それを裏づけるようなスキャンダルが、最近明らかになりました。ザクセン―アンハルトのCDU地方政治家のネオ・ナチとの過去の関係が暴露され、この対応をめぐって「ケニア連立」の存続が議論されています。
緑の党とSPDからの批判は、〈どれだけCDU内に、ハーケンクロイツを許容するスペースがあるのか〉と、極右派・ナチ勢力に関するCDUからの明快な説明義務を要求しています。「ハーケンクロイツ」の表現は、この政治家がナチのシンボルとしてプロパガンダに使われたハーケンクロイツ(注1)の入れ墨をしていることによります。 CDU地方組織は、「2回目のチャンス」を理由に、党籍剥奪を躊躇しています。(注2)
(注1)「黒い太陽」(Schwarze Sonne)といわれているシンボルです。
(注2)この政治家が脱党したという報道が12月20日のメディアで伝えられています。しかしその理由は「党に被害を及ぼさないため」というもので、ネオ・ナチ及び極右の問題に関しての言及は見られません。
他方、SPDではヨーロッパ議会選挙の責任を問われ6月に党代表(SPDの歴史では初めての女性)が辞任した後を受けて、6カ月近く全ドイツの組織を挙げた新しい党代表選挙が行なわれていました。確かに選挙への責任は問われます。私がそれ以上に大きな組織問題だと思われるのは、女性党員、特に指導部内でのジェンダーが未だに、強く残っていることです。この問題は表面化していませんが、辞任過程の情報を収集していれば、自ずからその裏舞台を伺い知ることができます。その反省から、SPDも緑の党と同じく男・女2人体制への党改革が進められました。
そして、12月初めの党大会では左派、すなわち「大連立批判」派の2人が、「大連立継続」派を押し切って選出されました。この半年間は党内問題に追われ組織活動が停滞し、政治を執れずじまいでしたから、SPDが自滅していくのではないかとさえ囁かれていたものです。
ここでSPD党代表選挙結果に関して、いくつかの重要な点が指摘されるでしょう。
1.組織対立・分裂を避けるために、結局は「継続」派が僅少差で勝利するのではないか、そうすれば、この6か月のドタバタ劇は何だったのかと思われたはずです。以前と以後では何も変わっていないからです。そのために、組織の全エネルギーをつぎ込んだSPDが笑いものにされても仕方のないことでした。実は、私自身もそう考えていました。
2.現実には、完全に予想は外れ、「批判」派が大勝することになりました。この裏には何があったのかという推理です。その一つは、中央に対して地方組織の批判がそれほど強かったことを、党指導部は把握できていなかったということです。妥協に明け暮れる中央と、現場で活動する地方組織の政治感覚の違いの大きさが浮き彫りにされました。
二つ目は、そして、これが決定的だったと考えていますが、JUSO(社会主義青年同盟)の政治力をまざまざと見せつけたことです。JUSOは、この間、一貫して「大連立批判」派を代表し、牽引してきました。
SPDの全党員数は40万強です。投票率は54%といわれ、選挙結果は、「継続」派45%、「批判」派53%と、大差のついた選挙結果になりました。JUSOのメンバーは約8万人と言われていますから、彼らの全組織を挙げた選挙戦になっていたことが、ここから知られます。しかし、その過程が表面に現れてこなかったところに、また、中央ではなく地方の活動家と組織のなかでの地盤固めに集中していることに、政治力の手ごたえと衝撃力を強く感じさせます。
3.メディアでは、これによって「SPDの左派転換が始まる」との、またぞろ「妖怪」説が出回り始めています。はたして、「左派転換」とは何か?
党大会では、4つのテーマが決議されています。1.環境・気象保護、2.緊縮に代わる投資、3最低賃金・年金、4.通信網のデジタル化。特に3、に関しては、長年働いた人たちが、生活費への不安なく「尊厳」をもって生活していける「権利の保障」が謳われています。ここで「シュレーダー改革」批判と新しい社会保障制度の設立が議論されていきます。
党大会のスローガンである「新しい時代」へのSPDの船出がはじまりました。しかし、どこまで現実化されていくのかは、今後の党内論争と共に猜疑心と不安の入り混じる出発となりました。よりによってその時、フランクフルトでは、戦後労働者の住居、福祉・厚生面を援助してきたSPD系「労働者福祉事業団」(AWO注)での縁故経営体質スキャンダルが発覚し、現在、捜査中です。
(注)Arbeiterwohlfarft(略称AWO)をこのように訳しておきます。
以上の政治過程は理解できますが、他方でFridays for Futur(略FFF)を中心とする自然環境、気象保護の関係が理解できないできました。この問題について、以下、整理してみます。
1.自由主義経済によるターボ資本主義が社会の分極化を進め、国民政党の基盤喪失と極右派の台頭を促進する条件を作り上げたといえるのですが、それは同じく、政党組織を直撃することになっているのが認められます。党内論争は、それを受けた政治的な鏡と見るべきでしょう。政党の屋台骨が揺らいでいる原因は、元の中間層の没落と軌を一にしているものといえるのです。
2.他方で、FFF等の青年、生徒、学生、市民の運動は、喪失してしまっている元々の中間層の位置を獲得しようとしている社会運動であることが見えてきます。そこでは、右と左が問題ではなく、教育を受け、これから社会に出ていこうとする若い世代の主張があります。どんな社会と生活を望むのかという要求です。そして、この中間層の存在が新旧入れ替わり、社会の中軸を形成しようとしているのが現状ではないかと思うのです。そこに、既成(国民)政党の恐怖があります。逆にいえば、それを取り込まない限り、政党の意義を失くしていくほかありません。政党の消滅さえも覚悟しなければならないでしょう。各党が争って、そこに向け取り組みを開始している現状には、そういう背景があると思います。自然環境・気象保護運動等の政治アピールの幅広さと強さとは、こうして各社会層を貫いている点に求められるといえます。
3.では、従来の歴史的な中間層との違いは何かといえば、資本と労働関係が、戦後、伝統的に確立されていた時代というのは、保守派と革新派への二大潮流への分岐でした。それによって、選挙では国民政党に40-50%の得票が可能になっていました。今日まで続けられている中間層の右か左かという国民政党の路線論争は、こうした組織基盤をめぐる争いであることがわかってきます。。その変化が現れたのは、90年代に入ってからでしょう。それによって、社会運動をけん引した労働運動の変化と衰退とともに、この新しい中間層を緑の党が、徐々に代表していくことになりました。
4.以前、「SPDのへーゲル的な矛盾」と書きましたが、ワイマール共和国時代に労働・社会改革を実現したSPDが、その後、自分の育てた若い労働者から背を向けられ、組織的な危機を迎えることになる痛恨な矛盾は、以上の経過から、新しく育った青年労働者に向き合い、彼らに歩み寄ることによって党自身を生み直していくこと以外に、解決の道はないように思われてなりません。
原理、原則、あるいは人間の認識、存在というのは、その意味でいつも歴史的、条件的であるこが、認識されていなければならないでしょう。確かに現実が重要です。現実とは、しかし過去の集大成ですから、未来を考えるためには、どのように自分が歩んできたのかを歴史を振り返りながら問いただし、「現実に何をなすべきか」を歴史から学ばねばならないのだろうと思います。 それがまた、「歴史を繰り返さない」ための立脚点になるはずです。SPDの議論を聞きながら、そんなことを考えています。
5.中間層自体を取り上げれば、生産部門の労働者とは区別された、その意味では自立自営、サーヴィス、消費者に当たる部分といえるでしょうか。
この場合、では、生産部門の労働者とどういう関係性が成立するのかというのが、実は次の問題になります。最後に、この点に触れておきます。
手元に労働者のAfDへの投票率を示した統計があります。これはチューリンゲン州選挙前の資料であり、チューリンゲン州選挙の問題点を予測し、それへの対応に貢献しようとする調査分析です。(注)以下それに従います。
(注)「FR」2019年10月24日付
直前のブランデンブルグ州の選挙では、40%以上の労働者がAfdに投票し、ザクセン州では、34.1%の労働組合の、特に男性メンバーがAfdに、ブランデンブルクの労働組合に関しては、男性組合員の25%がAfdに投票しているという数字が示されています。。
チューリンゲン州に関しては、選挙直後の分析で労働者の39%がAfdに投票。左翼党へは、年金生活者の40%。従来の保守派(CDU)の票田であったところです。(注) SPD、CDUともどもこの2つの領域で完全に支持基盤を失くし、左翼党と極右派Afdに票割れしています。
(注)「FR」紙 2019年10月29日付
この背景を鉱山閉鎖が進められている炭鉱労働者を例に挙げながら検討してみます。アメリカの場合がそうだったように、先進諸国の戦後経済成長を支えてきたのは、エネルギー産業、すなわち石炭産業であったでしょう。国家戦略に組み込まれた石炭産業で働く労働者には、国と経済を支えているという、それはまた、国民の生活を保障しているという〈誇り〉があったことは、彼らの口から語られている通りです。(注) 石油、そして現在の自然再生可能なエネルギーへの転換は、いうまでもなく彼らの職場の喪失を意味してきます。代替職場への転職が難しいのは、ある場合に拒否されるのは、この〈誇り〉が許さないからです。
(注)Hillbilly-Elegie J.D.Vance
ブランデンブルク、ザクセンそしてチューリンゲンが、褐炭採掘の拠点です。それはまた、鉱山閉鎖をめぐる政治議論の中心地にもなります。その労働者たちは、DDR(東ドイツ)時代には共産主義労働者国家の「英雄」でした。そして、統一です。効率性と利益率、国際競争力が問われる時代に入ります。しかし資本は別の分野に投資され、資本回収率の低いところが廃っていきます。この現状を、統一前後に何回も入った東ドイツの町々で目にしてきました。一言でいえば、町の中央部は資本が集中したことによって急速に発展し、活気を呈しているのと比較して、郊外に向かえばむかうほど廃墟化が進んでいました。そして、住民が町を、村を離れていきますから、社会の没落により一層拍車がかかることになります。この落差の非常に大きいことに驚かされたものです。
西側からの投資は、単に資本だけではなく、同じく人材も送り込まれてきます。それは経済分野に限らず、行政面をも占めることになります。エリートと地元住民に社会層が分裂していきます。それを象徴しているのが、統一後の「(東ドイツ)清算事業体」(注)でした。
その視点で見れば、自然環境・気象変動への取り組みも、西側、そしてエリートのエネルギー転換と映っても無理なからずと思えてきます。裏を返せば、自然環境・気象変動問題とは、西側資本主義とエリートの生み出した環境破壊問題ということになるでしょうか。
(注)正式名称は「管財会社」、あるいは「信託会社」(Treuhand)ですが、実体は「清算事業体」ですから、このように訳しておきます。
解体された社会の紐帯への羨望とノスタルジーが市民の間に蓄積していきます。実は、この点を極右派は、デマゴギーを含めて衝いてくることになります。
―われわれ(Afdのこと)が、われわれの国を取り戻す!
―転換(ドイツ統一のこと)を完結させよ!
―われわれ(Afdのこと)が歴史をつくろうとしているが、君らはどこにいるのか!
(意訳してあります―筆者)
ここで、解体してしまっている国家内部の社会関係を縫合するために持ち出されてくる論理が、「外部からの破壊要因」論で、外国人、移民が標的にされることになります。これが、社会の内部対立を外部対立へ転換させる極右派マヌーバーの手口です。
以上から2つのことが、差し当たり指摘できるのではないでしょうか。
1.産業再編と労働者の職場転換に当たって、これまで果たしてどれだけ、〈労働者の誇り〉に関した議論がなされてきたのかという疑問です。代替職場が見つかればいいというものではありません。彼らの歴史的な貢献と社会的なステータスが評価され、それにふさわしい職場が確保されなければならないでしょう。
確かに炭鉱労働から、全く別の職場に移行するための再研修、職業訓練が必要になりますが、それがどのように財政的かつ制度的に保障されてきたのかが再検討され、しかも、その新しい労働の意味と過去の〈誇り〉が認知される労働へのインテグレーションでなければならないと思います。
私が一番気になるのは、炭鉱労働者が産業転換を目前にして、上記「調査分析」の言葉を借りれば、「俺たちは、国民の間抜けものか!」と感じているということです。「英雄」から「間抜けもの」への転落は、労働者としての人間性と人格を傷つけることにほかなりません。
逆にいえば、労働者の生活と尊厳、そして〈誇り〉が確保される社会の在り方を議論すれば、どこかで自然・気象保護との結節点が見つかるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
2.先に見た極右派のデマゴギーに対する労働者として、また労働組合の不断の闘争の必要性を思い知らされます。労働争議、組合運動のなかで、ナチ・極右派を見抜き、批判していく活動がなければ闘争エネルギーが彼らに簒奪されていくことは、ここ10年来の経過から明らかです。ナチ・極右派の労働組合への介入との闘争は言うまでもなく、むしろ彼らの労働運動でのデマゴギーを批判することによって、職場と組合を強化できるように思います。労働の意味が語られれば、そこから社会の未来と方向性も導き出されてくるはずです。誤解を恐れず言えば、ナチ・極右派から労働運動と組合を防衛するのではなく、彼らと闘争することによって運動と組織を強化していくことが求められているのでしょう。ここまで書きながら、そんなことを感じています。
そうすれば外部に開かれ、大きな社会運動の潮流になっていくと思うのです。そこでは、すでにさまざまな運動が展開されています。
これを書いている途中で、チューリンゲン州で左翼党―SPD―緑の党の〈3党少数派政権〉が成立したという報道に接しました。
一方でCDU-SPD-緑の党の3党連立、他方で左翼党―SPD-緑の党の少数派政権、今後、これによって党中央を巻き込む政治路線をめぐる議論が始まるだろうと思います。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9304:191228〕
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