「親権」とは何か?-「家族」「親子」を考えるための基礎作業(8)
- 2020年 1月 5日
- 時代をみる
- 池田祥子
離婚後の「養育費」増額、これでいいのだろうか?
厚生労働省は、12月24日、2019年に国内で生まれた子ども数は86万4千人になると発表した。そして、統計を取り始めた1899(明治32)年以降で、90万人を下回るのは初めてであるという。国立社会保障・人口問題研究所は、これまでに、90万人を下回るのは2020年と推計していたようだが、それよりも1年早く少子化が進んだことになる。
1989年の「1.57ショック」以来、子育て支援に関しては、いわゆる「エンゼルプラン」(1994年12月)、「新エンゼルプラン」(1999年12月)に続いて、「少子化社会基本法」「次世代育成支援対策推進法」(ともに2003年)、さらには2013年「子ども・子育て支援法」の制定と、それなりの対策が次々と実施されてはきた。しかし、「少子社会」はもはや逃げようのない現実であること、まずはここを確認すべきなのだろう。
ところで、「少子社会」とは、子どもが少なくなることで、子どもたちが社会的に重宝されるのでは?と錯覚されがちだが、現実はそうではない。これまでに大きくニュースにも取り上げられた「児童虐待」は、一向に減少する気配はない。
一方、結婚件数は、2000年は約80万組、2018年は約59万組。「少子化」という要因に「非婚」の増大が絡んで、少しずつ減少している。それに対して、離婚件数は、1980年の約14.2万組から漸増し、2002年には約29万組までになったが、この年をピークにして現在はやや漸減し、2018年で約20万組となっている。だが、問題は、離婚した夫婦の、その後の生活状況であり、どちらかの親元で暮らす子どもの状況は如何に?である。
離婚訴訟で使われる養育費の算定基準の増額
最高裁の司法研修所は、昨年末の12月23日、離婚の際の養育費の新しい算定基準を公表した。離婚子育て家庭の多くの貧困問題があり、また、この間の経済状況の推移を考慮して、これまでの養育費の算定基準を概ね月額1~2万円アップさせるというのである(父の年収450万円、母の年収150万円+子ども2人の場合、旧養育費4万~6万、新6万~8万など)
日本では、結婚している夫婦の間では、親権は父母の「共同親権」となっている。ただし、それは「常識・慣例」だからなのか、戸籍には明記されていない。
夫婦が離婚する際には、どちらの親が親権者になるのか、その取り決めが離婚成立の基本条件となる(民法819条1項)。したがって、離婚後は、「単独親権」となり、子どもの戸籍の身分事項欄に、親権者の氏名が記載される。
また、離婚に当たっては、親権の所在だけでなく、「子との面会および交流」「子の監護に要する費用の分担(すなわち養育費負担)」など、協議上取り決められることになっている(民法766条1項)。
ただし、日本では、離婚に際しての養育費の算定基準は法律で定められてはいない。したがって、協議離婚や裁判離婚の際にどうしても「もめごと」の一つとなる養育費決定の目安として、2003年、初めて裁判官による算定基準が設定された。今回は、その算定基準の16年ぶりの改訂であり増額である。
とはいえ、厚労省の2016年の調査では、母子世帯の5割以上が元夫と養育費の取り決めをしておらず、取り決めても、支払われないケースは7割超にも及ぶという。こうなると、支払わない元夫に社会的な非難が集中し、ドイツや米国・英国に倣って、行政による「立て替え」や、元夫の給与からの天引きなども参考にされ始めている。
また、日本弁護士連合会は、「低額な養育費が母子家庭の貧困の一因だ」として、2003年の基準はもちろん、今回の基準よりもさらに高額な基準を提示している(2016年)。
確かに、父母が離婚しても、子どもの生活は保障されるべきだし、親同士も、たとえ離婚しても「自分の子どもへの愛情や責任」は免れるわけではなかろう、とも思う。しかし、今回のように、養育費のさらなる増額や、強制的な徴収が今後の望まれる施策の方針になり得るとしたら、それで問題は解決していくのだろうか。
ここは、もう少し立ち止まって、はたして「結婚とは何か?」「離婚とは何か?」「親の責任とは何か?」「子どもの育ちにとって、親とは何か?」・・・じっくり考える必要がありそうである。
離婚に際しての親権の移動―父から母へ
日本は戦後、アメリカを中心とする連合国の指導によって、「主権在君」から「主権在民」の民主主義の国として再出発することになった。当然、戦前の家父長制的な「家制度」も廃止された。しかし、言うまでもないが、生活や身体に沁みついている「家父長制」や「夫唱婦随」の家族・夫婦感覚は、それほど簡単には変えられるわけでもない。また、それを一方で支えるように、戦後の民法には、多くの「家制度」の風習が存続している(夫婦同姓・同氏、女性の再婚禁止期間、嫡出子・非嫡出子の規定など)。
ただ、戦前では、子どもはあくまでも「家の相続人」であり、親権は父に存し、離婚の際は、女だけが実家に出戻る形となっていた。それゆえに、妻が産む子どもが、本当に父の子どもであるのか、「父の確定」が重要問題であり、そのための「処女」の尊重、「貞節」の重視、「姦通」の重罪などの規定があった。
戦後しばらくは、戦前の親権=父親の風習が続くことになるが、一方での「男女平等」や「性別役割=男は外で稼ぎ、女は家庭内で家事および子産み・子育て」が浸透するに従って、離婚に際しての親権担当者が、「父から母へ」と移動することになる。
1950年の統計によると、「親権者が父」の割合は約5割、「親権者は母」は約4割、後の約1割は、父と母とで子どもを分け合った件数である(未だ兄弟姉妹数も多かった)。
その後、「子産み・子育ては母親の務め」という母性の強調もあり、高度経済成長の真っただ中の1966年、親権の父母の割合が逆転する。そして、2015年の統計では、父12.1%、母84.3%となっている。最新の司法統計では、父9.6%、母90.4%までにもなっている。
「離婚」とは何か?「親の責任」とは何か?
以上のような、離婚に際しての親権の移動を見ると、現在では、離婚家庭とはほぼ「母子家庭」であることになる(逆に、「父子家庭」問題が等閑視されるという別の問題もあるが、ここでは立ち入らない)。
そして、「母子家庭」問題ということになれば、「父の稼ぎと母の子育て」という性役割が長く支配的であったために、女性の労働の場での「男女均等」な雇用の保障と待遇保障は、1985年の法律の制定にもかかわらず、世界的にも最底辺の実態である(男女平等ランキング121位)。また、正規雇用の精選・縮小と非正規雇用の増大により、非正規雇用の母子家庭はますます経済的な貧困に直面することになっている。
このように見てくれば、離婚家庭=母子家庭問題の貧困化の問題は、「別れた元夫の低額な養育費」が大きな原因とだけは言い切れない側面が見えてくる。つまり、女性の雇用の保障と男女平等な待遇保障、さらに子どものための社会的な保育の場の保障が不可欠である。
もう一つ、民主党政権下で課題になった「すべての子ども」対象の「こども手当」という課題もある。親の所得制限をすべて撤廃という構想と、その財源保障の問題が十分に論議されずに、現在の「児童手当」に安直に立ち戻って施行されているが、年間所得の上限、約600万円から800万円(子どもの人数によって、所得の上限が変わる)の家庭よりそれ以下に対して、子ども一人につき三歳未満は月額15,000円、それ以上中学生までは10,000円などという内容である。
昨今の「幼児教育・保育の無償化」政策とも関わって、「児童手当」とは何か?は、もっときちんと考えられ、充分な「手当」として機能させるべきではないだろうか。親の所得や生活実態(住宅費の如何など)、また親が二親なのかシングルなのか、によって、手当の額は当然再検討される必要があるだろう。「一律」であることが「平等=妥当」ということではない。現在の生活状況の中で、はたして、ひと月10,000円や15,000円がどれほどの子どもの生活保障になっているのだろうか。
最後に、「離婚」ということ、「親の責任」という問題が残っている。かつては離婚は「バツイチ」と言われ、戸籍に大きく「×」印がつけられ、とりわけ女は「キズモノ」とされた。しかし、家のための結婚ではなく、人生を生きる上でのパートナーとの暮らしの形、と考えられるようになると、「別れ」や「生き直し」も格別に異常なことではなくなるだろう。
また、一方では、共に暮らし始めてDVを体験することにもなる。その場合は、その相手と、きっぱり別れ、それ以後の関わりも断ってしまいたい、というのも本音であろう。そのように個別に、結婚のかたち、離婚のかたちを考えると、一概に離婚後の元親同士の交流や双方の義務を形通りに決めることはできないのではなかろうか。まさに、離婚もまた「それぞれのかたち」を有していることになる。二度、三度の離婚もありうるだろう。
ただ、子どもにとっては、親の離婚はある意味「災難」ではある。しかし、子どもの年令・性別によっても、共に暮らす親との関係、別れて暮らす親との関係、これもまた個別にさまざまであろう。ここで言えることは、裁判所から一律に「親子交流」を命じられることは論外だろうということである。個々の関係の中で、子どもは親との関わりを求めたり拒否したりするだろうし、別れた親は、それでも「親の責任」とは何か・・・を個別に考えていかざるをえないのであろう。
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