SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】376 サラー 西サハラ難民アスリート ⑦サハラマラソン
- 2020年 7月 2日
- 評論・紹介・意見
- アマイダン・サラーサハラマラソンランナー平田伊都子西サハラ
「フランスに亡命した2004年以降、モロッコは僕がモロッコ占領地・西サハラに帰郷することを一切禁じた。駄目となると、僕は、家族に会いたくてたまらなくなった。仲間の西サハラ人と、西サハラ訛りのアラビア語でお互いの苦労を笑い飛ばしたかった」と、サラーは切ない望郷の想いを語った。
⑦サハラマラソン
難民キャンプで走るぞ! :
寒い2月のある夜、サラーはいつものように携帯ラジオにスイッチを入れて寝袋に潜り込んだ。
「これからSADRラジオ2月26日最後のニュースを送ります」と、西サハラ難民キャンプにあるSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)ラジオ局からの放送が流れてきた。アナウンサーの西サハラ訛りアラビア語は、サラーの子守歌だった。「本日、2月26日、恒例のサハラマラソンが行われた。世界中のマラソンランナーが、一つの目標・ゴールに向かって競走した。そのゴールとは、西サハラ独立運動への熱い連帯を示すことに他ならない」と、アナウンサーは興奮して、とちりながら喋った。サラーは飛び起きた!「西サハラ難民キャンプで走るぞ!!」
やると決めたら必ずやる主義のサラーは、すぐに西サハラ難民キャンプにいる友達に電話を入れた。いつものように繋がりにくい。線が繋がったとしても雑音が入り、双方で「アロ~、アロ~(もしもし)」と叫んでいるだけで、結局、途切れてしまう。アルジェリア・フランス間の回線状況は、モロッコ・フランス間のそれと比べて、非常に悪い。フランスが仕切る北アフリカ回線は、明らかにフランスが差別操作している。つまり、フランスの子分であるモロッコの面倒を見ても、なにかと逆らうアルジェリアには冷たいのだ。
サラーは根気よく、アルジェリアの砂漠にある西サハラ難民キャンプと連絡を取った。
アスリート・サラーと言えども、アルジェリアは無条件で、即、入国を歓迎してはくれない。ましてやサラーは、10年近くモロッコの選手として活躍していた。「サラーはモロッコのスパイじゃないか?西サハラの裏切り者じゃないか?」と、アルジェリアの疑い深い官僚たちは、サラーの入国ビザを出し渋った。
サハラマラソン :
サラーはこれまで、サハラ砂漠を走ったことはなかった。モロッコやフランスのロードレースは、アスファルトか、少なくとも整備された道路だった。サハラ砂漠と言っても、サラサラの砂地とは限らない。刃物のように尖った礫地かもしれない。サラーはワクワクしながらサハラマラソンに初挑戦した。
サハラマラソンは、西サハラ建国記念日の前日祭として、毎年2月26日に行われる。
SADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)は1976年にサハラ砂漠で建国された。が、独立当時はマラソンだなんてとんでもない、西サハラ砂漠はモロッコがナパーム弾やクラスタ―弾を絨毯空爆する戦場だった。1991年に西サハラとモロッコが停戦し、21新世紀に入り国連西サハラ人民投票の投票人認定作業が行われていた2001年。束の間の平和な時に、第一回サハラマラソンが開催された。西サハラ難民キャンプの難民もモロッコ占領地の被占領民も、そして世界の平和を願う人たちも、国連を信頼し国連西サハラ人民投票に期待を寄せていた。そんな中で創設された<サハラマラソン>は、世界の人々に西サハラ難民の現状を知ってもらい、一日も早い国連西サハラ人民投票の実施を促そうとするイベントだった。
サハラマラソンの声明を読み上げてみる;
「サハラマラソンは西サハラの人々に連帯を示す、国際スポーツ大会だ。大会はSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)のスポーツ大臣が主催する。外国の参加者も共催し協力する。距離は50キロメートル離れた二つのキャンプ間に広がる砂漠で、国際マラソン規格
に合わせて、42..195キロメートル、21キロメートル、10キロメートル、5キロメートルの
各種目で争われる。5キロメートル毎に水を用意し、4台のランドクルーザーが併走する。
どうか、スポーツを通じて、故郷を追われアルジェリアのテインドゥフ難民キャンプで長期にわたる難民生活を強いられている我々、西サハラ人に目を向け、支援していただきたい」
恒例の西サハラ難民キャンプで行われる「サハラマラソン」出発風景
サラー。サハラマラソン初参加初優勝 :
2007年2月の中旬、やっとアルジェリア入国ピザを取得したサラーは、亡命先のフランスから、アルジェリアに飛んだ。数時間のフライトで午前中に首都アルジェに着いたが、約2000キロメートル離れた西サハラ難民キャンプがあるテインドウフへのフライトは真夜中、しかも週に3便しかない。寒々とした国内線の出発ロビーで、サラーはスタンドの苦い甘茶をすすりながら、待ち時間を楽しんだ。メルファと呼ばれる民族衣装を纏った西サハラ女性、走り回る子供たち、カーキ色の訓練服を着た西サハラ難民兵、、大きな袋を抱えた西サハラ難民たちは、一年に一度の独立祭を祝うため、難民キャンプに里帰りをしようとしていた。兵士用のズタ袋を肩に革ジャンバーで決めた若者たちは、テインドウフ基地に着任するアルジェリア兵たちだ。段ボール箱にもたれかかって仮眠をとるのは、NGOの西サハラ難民支援団体だ。そして、リュックを背にしたスポーツウェアーの若者たち、明らかにサラーの競争相手になるサハラマラソン参加者たちもいた。荷物を預け搭乗券を貰うと、サラーや外国人たちは出国カードを書かされ、搭乗口から飛行機に乗り込む。移行機に乗ったら、もう別世界のコミューン!テインドゥフ行きは、いつも楽しい仲間気分に溢れている。
殺風景で小さなテインドゥフ飛行場に着くと、そこでも煩わしい入国手続きが外国人を待ち受けている。でも平気!パスポートコントロールで、西サハラ難民政府の難民が手際よく手伝ってくれる。つまり、同じアルジェリアにありながら、アルジェりアという国から西サハラという国に入国したことになるのだ。空港を出ると西サハラ難民政府が手配した車が、外国人や
西サハラ難民を待っていて、要領よく仕分けられ、揃ったところで発車。空港のアルジェリア検問所を通過し、テインドゥフの街を過ぎると、街灯などないガタガタの夜道をつっ走る。サラーはランドクルーザーの荷台で揺られながら、闇の暗さに驚き、その中をテールランプだけを頼りに爆走する西サハラ難民兵士に脱帽した。
そして、一夜明けてサラーが目にした西サハラ難民キャンプの日常生活は、驚きを越して、脅威だった。「僕はまがりなりにも、フランスやモロッコの首都ラバトで、電気もテレビもシャワーもある都会生活をしてきた。ところが、この難民キャンプには、文化的な代物が一切、ない。こんな物のない中で40年間も、僕の仲間たちは耐えてきたんだ!」と、サラーは素直に胸の内を明かした。
サラーは、初めて参加したサハラマラソンの10キロメートルで優勝しました。 砂漠レースの模様は、下記に記した最新ドキュメンタリーをご覧ください。 ご希望とあれば、書き起こします。
さて、マラソンランナーとして自他共に許すサラーは、通常、10キロメートルで勝負しています。 「10キロメートルランナーは単に中長距離ランナーでは?」というご意見もありますが、<マラソン>という名称は登録商標などの規定がないようなので、これからもサラーを<マラソンランナー>と呼ぶことにします。
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*難民アスリート・サラーの最新ドキュメンタリーがYoutubeにアップしました。
https://youtu.be/jz7lFr2c_Jk スペイン語ですが、西サハラ難民キャンプが見られます。
*占領地からの脱出―「アリ 西サハラの難民と被占領民の物語」只今発売中です。
著者:平田伊都子、写真:川名生十、画像提供:李憲彦、川上リュウ、SPS、
造本:A5判横組みソフトカバー、4頁のカラー口絵、本文144頁
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、TEL:03-3814-3861
2020年2月3日 初版第一刷発行 定価 税抜き2,000円
*1月22日、「ニューズ・オプエド」で#1323<アフリカ最後の植民地>を放映しました。
YouTube オプエド平田伊都子 URL https://www.youtube.com/watch?v=citQy4EpU-I
Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)をご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2020年7月1日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9900:200702〕
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