SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】394 「サラー西サハラ難民アスリート」出版のご案内
- 2020年 11月 5日
- 評論・紹介・意見
- アスリートアマイダン・サラーオリンピックサハラ平田伊都子西サハラ
「サラー西サハラ難民アスリート」が、2020年11月末に出版予定で~す!
2019年10月11日、アハメド・ラハビーブ西サハラ難民政府青年スポーツ大臣から、西サハラ難民アスリートの推薦状が届きました。 オリンピックに参加する方法がないか?という、問い合わせです。 推薦された難民アスリートは、アマイダン・サラーといいます。 ちきゅう座で6月3日から8月14日にかけて登場したあのサラーです。そして、彼のスポーツ歴を調べていくうちに、このアスリートこそ、西サハラの受難と独立への悲願を分かりやすく伝えることができると確信し、府川頼二氏のご協力を得てちきゅう座に「サラー 西サハラ難民アスリート」を連載しました。 そしてサラー物語を一冊の本にまとめました。 荒筋をご紹介します。
未来のサラーを目指す西サハラ難民アスリートとコーチのサラー(左から2番目)
第Ⅰ話 <走り>の天才・サラー (シドニー五輪の前年に逮捕される):
1982年4月13日、サラーはモロッコ占領地・西サハラの首都・ラユーンで生まれた。
西サハラの悲劇は、サラーが生まれる7年前の1975年、11月14日に結ばれた<スペイン・モロッコ・モーリタニアの三国秘密協定>に始まった。当時の西サハラ植民地支配国スペインは、国連にも西サハラ住民にも通告せず、勝手に北をモロッコに南をモーリタニアに分譲してしまった。かくして両正規軍の挟み撃ちに会った西サハラ住民は、北のアルジェリアに逃げ込み、以来今日まで44年にわたる難民生活を送る事になる。一方、逃げ遅れた西サハラ住民はモロッコの占領下で虐げられた被占領の生活を強いられることになる。サラーの一家は、「逃げ遅れ組だ」と、サラー自らが語っている。
サラーが生まれた1982年頃のモロッコ占領地・西サハラには、西サハラ住民と多数のモロッコ兵とモロッコ警官と、モロッコ人入植者がいた。山岳民族のモロッコ兵は、占領首都ラユーンなどを中継点にして、西サハラ砂漠の戦場に送られ、<砂漠のゲリラ、西サハラ難民軍>と戦わされた。モロッコ軍はゲリラの進軍に手を焼き、瓦礫で<砂の壁(地雷防御壁)>を作り、600万個以上の地雷を埋めた。地雷防御壁は2,500㎞まで伸びて、西サハラの大地と西サハラ人を分断している。
「西サハラの子供たちは、みんな足が速かった。理由はポリスから逃げるためだった」と、サラーはモロッコ占領地・西サハラでの子供時代を語る。 10才の時、サラーは初めてモロッコ占領当局が主催するマラソン大会で走った。約40人のプロ・ランナーたちをぶち抜いて、サラーはテープを切った。
「僕が12才の時、モロッコ・ナショナル・チームのスカウトが、僕と父に入団の話をもちかけてきた。僕も父も、彼の甘い宣伝文句に動かされたわけではない。が、この<申し出>に応じた」と、サラーは語る。断ったら、家族全員が酷い仕打ちを受ける。モロッコ占領当局の<申し出>とは、西サハラ被占領民にとって<命令>なのだ。
第Ⅱ話 <走り>はサラーの武器 (砂漠の民の<許されざる者>):
「<走り>は僕の武器だ」と、サラーは語る。12才から21才まで、サラーはモロッコ首都ラバトにある<モロッコ・ナショナルチーム>の合宿所で、他のランナーたちと一緒に訓練された。脚力と運動神経が抜群で勉強もできたサラーは、チームメートや教官たちから一目置かれていた。が、モロッコ王様直属のスポーツ役人はサラーを<王様お気に入りランナー>に仕立て上げようとした。サラーは、反旗を胸に畳み、数々の国際レースでモロッコ国旗のため走った。
2004年、フランスの地方都市で開催された10,000メートルのレースに、21才のサラーはモロッコ代表として送り込まれた。サラーはゴール直前に西サハラ国旗を高く掲げて、テープを切った!そして、そのまま、大会本部のテントに逃げ込み、フランスに亡命した。「僕が亡命した後、モロッコの連座罰が始まった。故郷の西サハラに残った家族は、モロッコ占領当局の標的になった」
後継者と決めていた最愛の弟アバチカは、フランスのアヴィニヨンで暗殺された。2012年9月30日、まだ22才だった。
第Ⅲ話 <走り>続ける・サラー (西サハラ独立に向けて):
亡命先のフランスで、フランス国旗の下でオリンピックに出ないかという誘いがあったが、「僕は西サハラ人」と、断った。 西サハラはIOC(国際オリンピック委員会)に加盟していないので、サラーにとって<オリンピック>は、夢にも出てこない存在だった 。
そんなサラーにオリンピック参加の夢を与えてくれたのが、<難民五輪選手団>の存在だった。難民五輪選手団は2016年リオ・オリンピックで初結成され、団員10人は堂々の入場行進をした。2021年東京オリンピックでも、37名の難民が選ばれる予定だ。難民五輪選手団に入ると、オリンピックに参加する権利や、難民スポーツセンターで合宿練習ができるという、利点がある。2019年末、筆者とサラーは改めて、IOC本部に難民五輪選手団入りを打診した。IOC本部は、亡命先フランスのお墨付きがいると言ってきた。ところがフランス・オリンピック委員会はサラーの推薦を渋った。そこに、新型コロナウィルスの来襲だ! サラーの参加はペンディングになっている、、
サラーは走る事が大好きです。 「西サハラ国旗のために走る」という大義名分もあります。 ただ、プロのランナーとして走力と体力を維持していくのは、金がかかります。 スポンサーもマネージャーもコーチもいない一匹狼の難民サラーにとって、<難民五輪選手団>への参加は、願ってもないことです。
サラーは諦めずに、<難民五輪選手団>への参加交渉を続けるつもりだそうです。 東京が駄目なら、パリがある。その先にはロサンゼルスがある、、
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2020年11月5日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10260:201105〕
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