原発震災福島と基地の沖縄 -苦境下の自主・平和の意思たち-
- 2011年 6月 23日
- 評論・紹介・意見
- 林 郁琉球と福島
大自然の威力に絶句した<3・11>! 惨状の被災地に雪が降り、寒い避難所に強い余震が続いた。海外からのお見舞いや自衛隊と海外救助隊の協働、東北人の礼儀正しさと忍耐力が伝えられ、義捐金やボランティアなど、「援けたい、支えたい思い」が湧きあがった。
しかし。福島原発の人災、放射性物質の恐怖は「戦争、戦災」だと感ずる。私はメル友たち複数からの速い情報でメルトダウンを知り、目まいがした。事態の深刻さを想い、放射能禍の子どもが可哀想でいたたまれず、原発の危険を感じながら非力だった自分を責め、鬱状態になった。
御用学者評論家が次々テレビに出て平気な顔で曖昧な事を言う。安全・クリーンを強調してきた嘘つき!反原発への執拗な嫌がらせが甦り、危機を隠蔽する東電に激憤する。信頼できるメールを転送、デモに出た。震災前の全国集会デモの時より多彩で勢いがある。
被災現地の四重苦はあまりに痛ましい。家族や家や農地や学校や工場や船を失い、家族同様の犬猫牛馬豚たちは放射能避難でやむなく置き去られ、餓死した動物の内臓は重度被ばく状態だという。
子どもを救わねば。24万年も消えないという放射能を一刻も早く封じ込め、廃炉にし、被災者と共闘して安全な創エネを。簡素な生き方を。の思いは強まり、集会・講演会はどこも満杯である。
しかし今もまだ原発依存洗脳人がいる。名を連ねて謝罪した学者研究者もいるが。原発推進大本営・原子力村、利権者が、苦難の被害者や高濃度放射能下で苦闘している作業員、労災もなく癌死した労働者に詫びず、平然と豪勢に暮らしているのは何たることか。
日本国は膨大な財政赤字で国民も貧しくなった、そこに巨大災害が! この人類史的苦難は以前の利権誘導の復旧では被災民も国民も絶対に救われない。国策原発の過ちを心底反省し、子・次世代を苦しめない安全な道を創る大事な時である。3・11の極限で見せた被災者の精神力と深い悲しみを、今の政争政治家はなめ過ぎている。
被災市町村の長や職員の苦闘!住民と故地を思う切実な訴えは胸を揺さぶる。私は学生時代から東北が好きだった。昨年は郷土愛に燃える人から話を聞き、蝦夷アテルイを想って泣いた。七八九年、黄金資源と土地を奪うため恒武天皇軍2万5千は東北に侵攻、蝦夷は1500人で東北を守り、792年坂上田村痲呂10万余の侵攻からも北上川以北を守ったが、指導者アテルイは謀殺された。
関東東北を治めた平将門(相馬小次郎)も賊ではなく、都の官に抗して殺された郷土愛の士。戊辰戦争で奥羽越列藩同盟は敗れ、明治以後は富国強兵のための兵馬と兵糧の供出地にされ、戦後は集団就職で高度成長を支え、過疎で苦しくなると、交付金で原発(福島10基は都の電力)を持ちこまれた。これは内国植民地ではないか。痛ましすぎる放射能汚染の。
辛抱強い勤勉な民が犠牲になった歴史を変えねば。今度こそ!
四月中旬、沖縄を訪ね、野本三吉さん(沖縄大学長)や友人達と座談会をし、翌日、先輩の由井晶子さん(前沖縄タイムス編集局長)から辺野古の戦中戦後を聞いた。那覇の戦災者負傷者たちが逃げ込み、村人も飢餓に耐え、戦後も苦労続きだった、それは冷害の東北、男の徴兵、女が重い供出を負わされた苦労に似ていると思った。
沖縄で会った人は口ぐちに「米軍への思いやり予算(年に千九百億円)は震災被災者に」と言った。基地に耐えてきた島人は「抑止力」など信じていない。
快晴の4月19日、やんばるへ。大自然動植物の宝庫、生物多様性のシンボルの地は多彩な森と美しい渓谷が続き、本島の水源湖の脇に写真家が一人だけ。その奥に高江「米軍ヘリパッド基地」阻止二四時間座り込みテントがあった。157人の小さな村を三方囲むように6か所の米軍大型ヘリ発着パッドを造成すると政府は発表。住民と沖縄県は認めず、村民は非暴力抵抗を深夜も続けている。
米軍のジャングル訓練が続いており、丈の低い電柱すれすれのオスプレイ低空飛行で茶碗はガタガタ、子はおびえ、此処だけに棲むノグチゲラやヤンバルクイナたちは見えなくなった。
「ジャングル戦の訓練は住民には非常に危険です。イスラエル軍が視察に来たが、日本人こそ是非見に来てほしい」。生存(権)を侵害される苦を伊佐真次さんは語り、大阪からの若者達が頷いた。
辺野古のサンゴ礁の海はエメラルドブルーに輝き、夢のように美しかった。ジュゴンをはじめ貴重な生き物の宝庫であるこの尊い海にV字型埋め立て基地を造る(危険な普天間基地の代替)計画を住民と沖縄県は認めず、命と美ら海を断固守る座り込み抵抗を続け、この日は2558日目だった。海辺のテントに日焼けした女たちが集い、90歳の長老嘉陽宗義氏が「この美ら海を海兵隊の基地にするとは、愚かな」と言い、若い女性が反戦恋歌を唄いあげた。
その後、米上院軍事委員長が高額を要する辺野古移転の断念を表明したが、県外移転は決まらず、普天間にオスプレイを配備した。民意無視、差別、自然破壊の犯罪に沖縄の抵抗は強まっている。
琉球は17世紀初頭に薩摩の植民地にされ、明治の琉球処分で琉球王朝は滅亡、沖縄県は内国植民地に。差別に耐えて住民も太平洋戦の激戦を闘い、日本の無惨な敗戦で占領され、日本復帰後も75%の基地を背負わされた。この事実に無関心な日本人とは。
南部戦跡「平和の礎」で高知県の中学の修学旅行に会った。先生が土佐弁で沖縄戦を伝えていた。戦死者名は国籍や民間人軍人の別なく並んでいる。献花し、あまりに多い碑の氏名に頭を垂れる。
5月末、福島の母たちは子連れで文部科学省の放射能20ミリシーベルトの非情に抗議、撤回させた。安全な再生可能エネルギーの活動も始まった。先進デンマークの助力で被災者が小型水力、地熱、バイオマスなどで電力を作るプロジェクトも始まるという。
琉球と福島は国策の過ちの根でつながっている。安全平和の願い、女たちの意思の強さに励まされる。
『植民地文化研究』10号、「視覚とアンテナ」2011.7.1刊掲載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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