ドイツ通信第171号 新型コロナ感染の中でドイツはどう変わるのか(19)
- 2021年 4月 21日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
感染の勢い止まらないドイツ
立て続けに予定されていた接種勤務がキャンセルされた直後に、また新たに緊急動員の呼びかけが入ってきたりで、このところ現場はその日、その日の日常業務に追われて振り回されているようです。
この問題は、すでにワクチン接種が開始された昨年末から見込まれていたところですが、再度、この現状を政治家用語から解釈してみます。
自嘲気味に〈ケチャップ現象〉と表現され、ドイツでは誰もが経験しているところで、特に焼きソーセージにかぶりつく前にケッチャプを振りかけます。最初はケチャップのボトルからポツポツと、しかし何時しかドボッと噴き出し辺りを汚してしまい、これがまた焼きソーセージを食べるときの楽しみの一つにもなるのですが、ワクチン接種となれば、問題は別です。
接種態勢が確立された時にはワクチンが不足し、ワクチンが十分に入手された時には、今度は接種態勢が追いつかなくなっている現状を、このように表現します。笑い事ではないのですが、政治家にまだこうしたジョークがいえる余裕があるのかと考えると、個人的にはどこか気が休まるというものです。
アストラ・ゼネカ製ワクチンは、副作用の再検査から一時接種が中止され、その後60歳以上の年齢層への使用に方針が変更され、しかし、最近のヘッセン州フランクフルトの統計で見れば、25―40%の無断キャンセルがあったと報じられていました。接種日程を指定されながら、当日アストラ・ゼネカ製ワクチンを拒否し当人が現れないですから、準備されたワクチンが居残ることになります。
全ドイツでも大きな違いはないものと思われ、そうした数が、10日ほど前には460万回分に上り、冷蔵庫に寝かされてあるといわれていました。
議論のテーマは、当日準備されたワクチンをどう取り扱うのかということです。捨ててしまうとことろもあるようで、また別のところでは、その場に備えて「緊急予備リスト」をつくり、即座に希望者に連絡を入れてキャンセル分の穴を埋め、その日の全接種をやり遂げているところもあります。
しかしデンマーク、ノルウェー、オーストラリアが最近使用を見送り、またアメリカは当初からこのワクチンの許認可を出していませんから、ドイツでは今後の運用に関して研究者および所轄機関での検査結果と議論を、注視しながら待っているところです。
イギリスでは、アストラ・ゼネカではなく〈オックスフォード・ワクチン〉と呼び名を変え、また正式には発音が難しいですから原語で書きますが、〈Vaxzevria〉と改名されても、絶大なダメージを受けた当社の信頼性を取り戻すのは困難だろうと思われます。
1人の年配女性がアストラ・ゼネカ製ワクチンを接種してもらっている場面が、TVニュースで報じられていました。
「(副作用への―筆者注)不安がありますが、これによって自分だけではなく、他の人たちを守ることができると考えて、接種を受けました」
とインタビューに答えていました。もちろん、TVによる〈接種キャンペーン〉の一環でしょうが、同じように考えている人たちを私たちは知っています。どこかで、救われます。
以上の流れが、接種センターにどう表れてきているのかという点について、以下に書いてみます。
私たちも、2回ほどアストラ・ゼネカ製を担当することになっていました。「これは、難しい議論を覚悟しなければ」と、連れ合いは事前に様々な入手できる限りの専門資料を読み漁って準備していましたが、直前になって入手量が増えてきているバイオン・ファイザー製に変更になりました。正直なところ、肩の荷が下りたものです。
しかし、今度はそのための予約が混乱し、通常、1チーム当たり30―40名ぐらいの接種数を実現しているところ、当日は半数の希望者があっただけでした。
まばらに来る接種希望者よりセンターに勤務するパーソナルの方が多くなり、イギリス、アメリカ、イスラエルとの対比のなかで、「どうしたのか」と逆に心配してもらう羽目になりました。
連れ合いは、「これこそスキャンダルだ!」と声を荒立てます。
接種予約が、ヘッセン州の場合、ヴィースバーデンに中央化されていて、各市町村とのコミュニケーションを欠き、状況に即応できない硬直したシステムになっており、それがために直前の変化に対応できず、それに加え医学的な問題を丁寧に説明できる人材が配置されていないことです。
日程を指定することはできても、今回のようにワクチン種での選択、市民の健康上の問い合わせが重なれば、適切な援助と指示が出せなくなります。私たちも何回か経験があります。
ここで話は本筋を外れますが、コールセンターを想像してもらえればわかりやすいと思います。
ある冬のことです。飛行機の予約でルフトハンザ(LH)のコールセンターに連絡して、あいさつ代わりに「こちらは雪だけど、そちらはどう?」と話しかければ、「えっ、雪!」と驚きの反応をされ、センターの所在地がインドにあることがわかりました。私の町にあったLHのコールセンターが閉鎖されて、もう20年くらいになりますか。経費削減のグローバル化の一端です。
接種予約センターに電話をすれば、トルコ系、バルカン系、ロシア系訛りのある話し手が対応してくれます。一度などは、その紋切り方の話しぶりからテープではないかと思われ、連れ合いは「テープか、人物か」と確認するほどでした。そんなことから私たちは、ヴィースバーデンに設置された事務所ではなく、間違いなく国外のコールセンターを利用しているのではないかという疑いを持つようになりました。これはあくまで個人的な〈疑い〉であり、事実関係は把握していませんから、誤解のないようにお願いします。
外国人の参加が問題ではなく、むしろその訛りとともに社会の文化的な豊富さを象徴することになるわけですが、今回のような複雑かつ専門的なテーマに関しては、接種組織スタッフに直属し、それを適切な表現で、わかりやすく説明できる人材の配置が必要だと思われるのです。
この問題が、〈ケチャップ現象〉でモロに立ちはだかってきました。このへんが、現在のドイツの組織化のアキレス腱になっていると思われてなりません。
私たちの勤務する接種センターもそれを気づいたのか、つい最近、センターへの直接予約を可能にしました。
そしてイースター休日明けからは、医院(家庭医)での接種も可能になり、今のところ1日70万人の接種が進んでいます。見積もりでは1日100万人の接種が可能だと計算されますから、後はワクチンの供給が滞りなく進むかどうかにかかってきます。
そのワクチンですが、販売をめぐって製薬会社と各国の間に仲介者の介入していることが判明し、今後ワクチン価格の設定、そしてそこでのブローカーの暗躍の実態が暴かれていくだろうことが、十分に予測されます。
ドイツとイギリスのメンタリティーの違い
この組織化に絡んで議論されるのが、ドイツとイギリスのメンタリティーの違いです。
イギリスのメンタリティーを表現して、〈期待しないものを期待する〉といわれます。これは不意に〈期待しないもの〉が立ち現れたとき、そこから新しい発見をし、次の可能性を引き出すプラグマチズム(実用主義)の精神を言い表しています。
確かに首相ジョンソンは、コロナ禍対策で誤ってはいけないことをすべて誤ってしてしまい、結果は、10数万人に上る死者を出すことになりますが、接種キャンペーンを担当したのが〈Vaccine Taskforce〉というスタッフで2020年4月に立ち上げられています。そのトップに座るのは、ベンチャー資本企業家で生物学者(Kate Bingham)の女性です。ワクチンの専門家ではないですが、彼女は経済界と政界に根強いコンタクトを持っています。そこに副作用で議論のあったワクチン購入と接種組織化の権限が集中され、豊富な財源と活動の自由が与えられました。一言でいえば、「イギリスはリスクを覚悟のスタートを切った」ことになります。その結果、すでに人口の3分の1が第一接種を終了し、5月中旬にはイギリス人の旅行が可能になり、6月21日の夏至には、元の生活に戻れること―〈Summer of Fun〉を約束しています。
同様な危機管理スタッフ組織が、アメリカにもつくられています。20人からなる〈Resonse Team〉と名付けられた組織で、ホワイトハウス内に直属し、ここが責任ある各省と各庁のコーディネートを担当し、ワクチン購入、そして分配の指揮を執るとともに、統一・集中したコミュニケーション戦略を練り上げることになります。(注)
(注)Der Spiegel Nr.12/20.3.2021
それに対してドイツのメンタリティーを代表するのは、100%の完璧性です。思い描かれた構造が、現実にその通りに回転しなければならないのです。そこでは一抹のズレも許されなくなります。
そこで大きな箱モノがつくられることになります。この形に添ってモノは動かなければなりません。しかし、問題は、例えば水の流れは隙間があればそこから別の水路をつくり上げるように、ましてや人間の動きとなれば、箱モノに詰めるわけにはいきません。人間には各自の意思が働くからです。動きが形をつくるのであって、その逆ではないということです。それをコントロールしようとするのが中央集権化した組織および情報システムです。機能した時には破壊的な力を発揮しますが、はみ出してくる部分があれば、暴力的な対応が必要になります。
さらに、組織が硬直してしまえば、人間活動に現れる新しい社会的要素に対応できなくなります。箱モノの枠外に、そうして新たな人間の活動領域がつくり上げられることになります。
これが現在のドイツの現状でしょう。
イギリス、アメリカと比較していえることは、ドイツのコロナ危機管理対策部には、民間とのコミュニケーションの全く確立されていないことがここから見えてきます。
私の知る限りでは――というのは一度として参加メンバーが公表されたことがないからで、首相府および首相、保健大臣、財務大臣そして16州の首相、それにウイルス学者などを交えた専門者会議が対策スタッフを形成し、そこで議論されているようですが、特に専門分野の人材で政府の方針に批判的なメンバーに関しては、スタッフから外されているのではないかという批判的見解が昨年にはあったほどです。
理念的な箱モノの戦略議論にはこうして内向性が特徴づけられ、表に出るときは強制性を伴ってきますが、プラグマチズムな思想に基づくスタッフには、社会のコミュニケーション戦略を目指す外部に開かれた議論が可能になるのではないかと考えさせられるのです。
以上、政治家用語の〈ケチャップ現象〉と、そこに現れた予約センターでのコミュニケーションの問題を現状から振り返って見た私の感想です。
次に、〈接種キャンペーン〉に絡んで、ワクチン接種のドイツの歴史とそこでの国民意思の形成に関して若干整理しておきます。今後の国会議論で、実に重要な背景と意味をもってくるだろうと考えられるからです。
実際、メルケルの「謝罪」説明が行われた国会議論で、議長ショイブル(CDU)が、この点で注意を喚起する発言をしていたような記憶があります。
以上をヘッセン州医師会の定期刊行物に記載された記事から検討することにします。(注)
(注)Hessische Aerzteblatt 2/2021
記事のタイトルは、「私たちは、自分たちの功績の犠牲者になっている」(注)。
(注) “Wir sind die Opfer unseres eigenen Erfolgs.”von Dr.med. Juergen Bauschをこのように訳しておきます。
1874年、新たに設立された国家・ドイツ帝国が、死亡率の高い危険な疫病である天然痘に対する「帝国接種法」を実施し、国民に「接種義務」を課したことが、歴史の始まりといわれていますが、それによって疫病に対する現在までの計り知れない成果をもたらすことになりました。
当時、ドイツの初代カイザーになるプロイセン王・ヴィルヘルム一世の下で、1870―1871年独仏戦争の終結後に、現在の言葉でいえば〈接種キャンペーン〉が保健大臣によって全ドイツで取り組まれることになります。
この時代は、「パリ・コミューン」に湧きかえっている真っ只中といえるでしょうが、その別な社会面が見えてきて、興味があります。
戦争ですから、捕虜が強制収容されます。そこが、またこのエピデミィック歴史の始まりにもなります。捕虜となったフランス軍兵士の間に天然痘が発生し、過密状況の収容条件下では感染爆発が起こり、多数の死者を出すことになりました。一方、収容所監視員のドイツ軍兵士には、感染が起きていません。理由は、当時のフランス軍兵士は事前に接種を受けておらず、それに対してドイツ軍兵士はすでに接種を受けていたからです。
ここからの教訓が、ドイツ帝国のその後の疫病に関する対応の違いになって現れてきます。その後、とりわけプロイセンでは2年間エピデミックに見舞われ、老若の年齢を問わず10万人以上の市民が犠牲になりました。しかし、接種を受けているプロイセン軍はほとんど被害を免れます。
その前史は、以下のようになります。
50年前、ゲーテが国(州)務大臣を勤めていた時、当時の理解できない接種反対派の主張に対して専門学者、特にワクチン接種で権威のあったイギリス学者・ジェンナー(Dr.Jenner)の見識に注目するよう薦めます。それを受けたザクセン―ヴァイマール―アイゼナッハの大公(Carl August)は、彼の領土での自由意思による天然痘接種を行うことになりました。
当時と現在の接種反対派グループの違いは、医者の役割だといわれます。現在もいかがわしい所説を振りまく医者が確かにいます。しかしゲーテの時代は、医者による身の毛もよだつような虚偽の論証、反対派への人気取りの診断書が書かれ、懐疑、疑念が国(州)に対抗して広げられていきました。したがって1874年の「帝国接種法」の導入に際しては、天然痘接種反対のアジテーションへの罰則規定が設けられ、虚偽の診断書はこれによって処罰されることになりました。この罰則は、現在でも生きています。
事実、この間の〈反コロナ規制〉のデモで、マスク着用を拒否した参加者が警察官から咎められ、そこでこれ見よがしに医者の診断書を見せますが(例えば喘息等の持病のある人たちにはマスクの着用が免除されています)、しかし、何十人もの見せた診断書の住所が同一であることから、これを書いた医者が追及されることになりました。どのような罰則が適用されたのかは情報がありませんが、上記の歴史を確認することができます。
1980年、WHOは天然痘の地球からの根絶を宣言します。
世界的な接種プログラムの勝利といえます。それを可能にしたのは、
1.研究、発明の共同取り組み、
2.さらに公衆衛生を実施した強力な組織力、
3.人間を合理的な思考に導く原理
4.科学的な見識に裏付けられた対策
であったと、筆者は結びます。
以上の歴史は、今から振り返るとすでに約150年前の出来事になります。そして、天然痘のエピデミックの悲惨な事実は忘れられていきました。筆者は、さらにポリオ感染の歴史についても触れて、そこから「私たちは、自分たちの成果の犠牲者になっている」のタイトルが引き出されてきています。
私たち個人の歴史を60年振り返ればわかることですが、天然痘の接種を子供の時に受けているはずです。左の上腕辺りにその痕跡が残っています。それによって幸いにも疫病の悲惨な状況を体験することがありませんでした。言ってみれば医学の勝利が、人間生命の悲惨さを免れたことになり、他方で、悲惨さを知らないがゆえに、エピデミックに対する虚偽の、軽率な対応が生まれてくることにもなります。接種の意味を理解できないのです。
筆者の言わんとした趣旨を、私はそう理解しています。
これらの歴史に一貫しているのは情報と啓蒙でした。メディアの発達した現在、どのような対応がとられなければならないのか、そして政治の判断は? それを思いつつ接種勤務についています。 (つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10759:210421〕
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