ミャンマー/反クーデタ運動17:「非暴力抵抗運動と武力闘争とのはざまで」再考
- 2021年 6月 12日
- 評論・紹介・意見
- 野上俊明
先月の話になるが、郵便ポストにミャンマーの軍事クーデタへのSNS上での反対署名を呼びかけるチラシが入っていた。おそらく相当な枚数のチラシが、都内で各戸配布されているのであろう、なかなかの組織力と見た。運動の呼びかけ人は、東京外国語大学ビルマ語科に在籍する有志となっていた。若い人々の保守化傾向が言われて久しいなか、このような動きをみると、老いらくの境涯ながら強く叱咤激励されるような気分になった。
ただし、チラシに書かれている内容について、運動の素晴らしさは認めたうえで一点だけ気になることがあった。そこには次のように書かれている。
「ミャンマーは2月1日の軍事クーデタ―以来、軍事行使も日増しに激しくなってきています。その中でもミャンマー市民は、ガンジーの精神である非暴力を守り、必死に民主主義を守ろうと戦っています。(5月5日民主派勢力の挙国一致内閣(NUG)は、国軍による国民に対する暴力を止めるため、警察力に当たる「国民防衛隊」を設置した)」(太字は筆者)
現在進行中の国民的反クーデタ運動は、国軍によるクーデタ統治を認めず、逮捕者の即時釈放と民主主義の回復を求めるという一点でまとまりつつ、国民各層のおかれた社会的条件のちがいによって、きわめて多様なかたちで闘われている。なるほど青年学生の街頭行動や市民的不服従運動(CDM)は、おおむね非暴力の抵抗運動というかたちで行われてきた。しかし中国・インド・タイと国境を接する少数民族地域では、CDMに共感し連帯する少数民族武装組織が国軍と激しい戦闘を続けており、国軍側にかってない損害を与えている。また4月に入って、インドと国境を接するチン州では、地元民が自主的に「チン州防衛隊」を結成して戦ったのを皮切りに、全国各地で「人民(国民)防衛隊」が組織され、手製武器をもって国軍と戦闘を交え、その火が消えることはない。
したがってこの4カ月にわたるミャンマー国民の反軍民主回復闘争を、チラシで述べるように「ガンジーの精神である非暴力を守」って行われていると特徴づけるのは実態を反映しておらず、一般の日本人からの賛同が得やすいようにある種運動を美化しようとしているのではないかという疑問がわく。また「国民防衛隊」を警察力にあたるものとしているのも正確ではない。影の政府である国民統一政府(NUG)は、「人民防衛隊」を近い将来の正規軍である「連邦軍」に民族武装グループとともに統合されるものと位置付けているのだ。暴力沙汰と見られたくない、ガンジー=アウンサンスーチー=非暴力不服従運動というシェーマに現下の国民運動を枠付けしたいという思惑がちらついている。
最初それは活動家にありがちな大衆操作の手法かと思ったが、しかしこの運動の組織者は昔でいうノンポリ学生であろう。だとすれば、まずは自分の行動を納得させてくれる「物語」を作って、それにそって行動し、他人にも同調を呼びかけるというモチベーションなのかとも思う。しかし寡聞にしていままでに地元新聞や雑誌の記事で、ガンジーの非暴力不服従運動を手本にすべきだという内容のものは一度もお目にかかっていない。むしろ3月以降、犠牲者が大量に生み出されてからは、市民を対象にしたアンケート調査でも、武装化に賛成する世論が圧倒的に強くなっている。それの良し悪しの価値判断をする前に、ミャンマーで生起している事実、出来事に目を凝らすべきであろう。matter-of-fact approachをこそ、出発点にすべきなのである。
<反クーデタ闘争の多様化と問題点>
5、6月にかけて闘われている反クーデタ国民運動を、その様態や地域的特性からみると、次のように分類できる。(以下、現地ポータルサイトーIrrawaddy、Myanmar Now、Frontier Myanmarらのニュースソースによる)
1) 主に公務員、すなわち医療従事者、教職員、運輸労働者、鉄道員などエッセンシャル・ワーカーと呼ばれる人々の参加する市民的不服従運動。相当数が職場復帰しているが、なお半数以上が運動を死守していると思われる。学校関係では6月1日より新学期が始まったが、教員と生徒の両方のボイコットで、国軍がもくろんだ強制開校と教育正常化の試みは失敗に終わっている。義務教育レベルでは、1/3近い教員、約13万人が解雇されている。軍事政権は不足教員の穴を埋めるため、無資格者の日雇い勤務を募っているが、教育水準の低下は避けられない。
2) 若者主体の街頭行動。弾圧を回避し、犠牲者を出さないようflash mob(離合集散デモ)のかたちをとっている。一部の青年学生は、少数民族武闘組織で軍事訓練を受け、各地の戦闘に参加している。
3) 国軍との戦闘行為――軍事政権は、サガイン管区、マンダレー管区、マグウェ管区、チン州、カヤー州を含むいくつかの地域や州で、民間人による武力抵抗の増加に直面している。国民統一政府の掌握していないものも含めると、数十の防衛隊が生まれたという。
① カチン独立軍(KIA), カレン民族同盟(KNU)といった少数民族武装組織が単独で国軍と戦闘を行ない、重大な損失を国軍に与えている。最近では少数民族武装組織と人民防衛隊の共同作戦が進捗し、人民防衛隊の戦力化が進んでいる。
▼直近ではKIAが6/1火曜日の朝、北部カチン州のプータオ空港への砲撃を開始した。これには軍事訓練を受けた人民防衛隊も参加。
▼5月下旬から1週間、カヤー州デモソ郡区ではカレニ―軍(KA)とカレニ―人民防衛隊との共同作戦で、国軍の前哨基地となっていた警察署を攻撃、40人の国軍兵士を殺害。これに慌てた国軍は内務大臣を州都ロイコーに派遣、現地軍のテコ入れを行なった模様。
武闘訓練を行っている人民防衛軍 (PDF) の兵士が写っている。Guardian
カヤ―州デモソ郡区での戦闘。国軍の要衝を攻撃して甚大な損失を与える。イラワジ
▼5月以来、インドと国境を接するチン州の山岳都市ミンダッでは地域住民が自発的に立ち上げた民兵組織「チン州人民防衛隊」が、国軍と戦闘を継続させている。この6/6には戦闘が激化し、約50人の軍事政権の兵士が殺されたので、国軍は空爆を要請した。人民防衛隊は、国軍が衝突中に化学兵器を使用したと主張している。住民2万人は郊外の森に避難したが、食料など物資の窮乏に苦しんでいるという。
辺境地帯での武力衝突では、国軍の報復砲爆撃によって避難民が急増している。カヤ―州ではすでに10万人もの避難民が生じているという。雨季に入る季節なので、食料、住居、医療衛生などたちどころに人道的危機に陥る可能性がある。
著名な国際NPOである「国境なき医師団(MSF)」は、下部ミャンマーのタネンターリ地域で、HIV、結核などの医療活動を行なってきたが、市当局から直ちに活動を中止するよう要請があったという(NNAニュース6/8)。国際的な人道支援活動までも排除しようとするのは、軍事政権がそれだけ追い詰められているとみるべきなのであろうか。
▼また5月下旬、シャン州ペーコン郡区モービエー町では、人民防衛隊が警察署を襲撃し、多大な損害を与えた。
▼今までは上ミャンマー、中ミャンマーで武闘が主に行われてきたが、首都ヤンゴンに近いイラワジ・デルタで武闘が始まった。6/5イラワジ地域のレイシュエ村で、密告者が国軍に、バナナ運搬車で武器を運んでいるという嘘のタレコミをした。軍隊が村にやってきて武器探しをし、村の指導者格の運転手をみなの見ている前で虐待暴行した。これをきっかけに村人が農具や弓などで抵抗、その後すぐ増強部隊が来て村人20名を射殺した。少なくとも 150 人の完全武装した兵士が彼らに発砲したという。イラワジ・デルタはミャンマー随一の米どころであり、ビルマ族の人口も多く、国軍への入隊者も多いといわれる土地柄。1930年代はじめには大規模な反英農民暴動(サヤサン一斉蜂起)があった歴史もある。
カレニ―人民防衛隊の手製ガス銃/Facebook)
4)民主派が選択した戦術とはいえないが、ヤンゴンのタケタ地区をはじめ全国各所で爆弾テロが頻発している。軍事政権が再整備を急いでいる、最末端の行政機構である街区事務所が爆破されたり、暗殺者に襲われて国軍任命の役人が殺されたりしている。国軍行政を機能マヒさせるためとはいえ、一般人を巻き込みかねない爆弾テロ戦術には、おそらく批判的な向きも多いであろう。5/27-ヤンゴンのタケタ区で少なくとも5回の爆発―街区事務所の行政官死亡、5/28―シャン州北部のムセで爆発事件。メイクティ―ラでも巡回警察官射殺。マンダレー管区では少佐射殺。バゴー管区で鉄路爆破。軍事政権は、5月1日から26日までの間に学校や大学で18回の放火攻撃と115回の爆弾攻撃があったと述べた(学校は暑期休暇中だったので、軍隊が宿営地としていた)。
<二つの戦術の使い分けー政治の軍事への優位は絶対条件>
国民統一政府NUGは、おそらく武力闘争か非暴力的抵抗闘争かという二者択一の路線設定はしていないと思われる。大都市や地方都市では非暴力的抵抗闘争を展開しつつ、辺境地域やそこに隣接するイラワジ平原の農村部では自己防衛のための武力闘争をやむなしとしているのであろう。いずれの形態をとるにせよ、それぞれが今後の展開にあたっては重い課題を背負っている。
▼非暴力不服従運動の見通し
まず市民的不服従闘争であるが、このままで持続可能であるのかどうかが問われている。職場放棄は一種肉を切らせて骨を断つ戦術であるので、軍事政権の統治機能をマヒさせる効果をあげたにしても、長期になれば市民生活を破壊し、自分たちの生活も立ち行かなくなる恐れがある。外国からの物資支援も大々的な規模では不可能なので、行政の機能を回復させつつ行政の下からのコントロールを効かせていく新しい闘争形態を編み出していかなければならない。特に緊急性の高いコロナ対策に対応したエッセンシャル・ワーカーの職責と権利闘争とのバランスをどう図るのか。1988年9月のクーデタの際は、国軍の恫喝に屈し、公務員労働者は屈辱的な職場復帰を強いられた。今回は、反クーデタ運動を支持しつつ市民不服従運動に参加しなかった者と参加者との溝を埋め、職場復帰を闘争への裏切りではなく新しい抵抗運動への参加としてとらえられる仕組みが必要であろう。市民不服従運動を恒常的な力に変えるには、労働組合や職場評議会の堅牢な構築は不可欠であろう。いずれにせよ、このままでは兵糧が尽きて降伏を余儀なくされる。中長期戦に備えて、国民統一政府と運動の指導者の知恵の発揮のしどころである。
▼人民防衛隊の結成と武闘路線
6/1英紙ガーディアンによれば、紛争を追跡する非営利団体である Armed Conflict Location and Event Data Project (Acled) によると、少なくとも 58 の防衛軍が全国で結成され、そのうち 12 が活動している。これらのグループはローカルレベルで形成され、必ずしも国民統一政府に公式にリンクされているわけではないという。武闘に身を投じたある青年は、「軍による独裁に終止符を打つ」のは、抗議デモではなく銃弾だと確信するようになったと語る。「銃口から政権が生まれる」という毛沢東理論を思わせる語り口であり、青年の覚悟のほどは理解するが、武闘への一面的傾斜は極めて危険である。
武力闘争は人命を奪い合い傷つけ合う闘争なので、倫理的な節度を保つことの重要性は計り知れない。かつて中国共産党が抗日戦中人民解放軍に課した「三大規律、八項注意」の倫理的な縛りや、日本軍捕虜の人道的扱いには中国固有の人権思想の萌芽があった。シベリアに抑留された日本人捕虜へのソ連の非人道的虐待との落差は歴然としている。国民統一政府は、軍事作戦では学校や病院などを標的としない倫理的なガイドラインを定めているとしていて、基本的にテロ作戦は否定している。スーチー氏が政治信念としてきた非暴力主義との大きな齟齬・矛盾をきたさないためにも、厳しい倫理的な裏付けのある規律が必要であろう。
我々68世代には、連合赤軍の「浅間山荘事件」や「山岳ベース事件」は苦い記憶として残っている。後者の事件は、榛名山などの山岳キャンプで連合赤軍派のメンバー29名中12名が、「総括」という名の集団リンチによって殺害され埋められたというショッキングなものであった。それとまったく同様なことが、ミャンマーで1988年動乱のなかで武闘路線に走った青年学生たちの間で起こったのであった。
1988年当時の学生運動のリーダーで、のちに武闘派に転じて悪名を轟かせたイェバウタンチャウンという人物が、先月5/26に山岳アジトで何者かに暗殺された。彼は1988年の動乱が鎮圧された後、辺境のカレン民族軍地域に逃れ、全ビルマ学生民主戦線の武闘組織の責任者の地位に就いた。ところが彼は1991から1992年にかけて、山岳キャンプで同志105人を拘束し、そのうち35人を軍事政権のスパイとして拷問し、処刑した。このリンチ殺人事件は、1988年決起の栄誉を汚す行為で当時を知る人々は、だれも語りたがらない。ドストエフスキーが「悪霊」の着想を得たといわれる「ネチャーエフ事件」と同様、一般社会から隔絶し、権力に追い詰められた若い革命家集団が、不安と疑心暗鬼から独善的狂気にとらわれ拷問と殺人に走る心理的メカニズムは、洋の東西を問わないのであろう。ただ市民社会が一定程度成熟して、人権思想が人々の常識として定着しているところでは、心理的メカニズムにブレーキがかかるので、暴走はまれであろう。しかしミャンマーではそういう条件に欠けているだけに、倫理的コントロールの重要さはいくら強調してもしすぎることはない。
▼文民中央政府の指揮統制の不可欠性
今回の国軍クーデタもまた、倒錯した正統性意識によってイデオロギー的にバックアップされている。イギリスからの独立闘争を主導したのが政党ではなく、日本の特務機関によって育てられた軍隊であったところにビルマ現代史の栄光と悲惨の根源がある。しかも独立達成後、アウンサン将軍というカリスマ亡きあと欧米型の議会政治、政党政治をめざしたものの党派闘争がたえないため政府は安定せず、ビルマ共産党(武闘派)やカレン民族同盟らの統一戦線政府からの離脱と内戦激化によって、軍事部門の比重は高まらざるを得なかった。その挙句1962年のネーウイン将軍のクーデタによって「ビルマ型社会主義」を標榜する軍部独裁が成立、ビルマ現代史は国軍史観で色付けされることになる。すなわち欧米植民地支配からの解放、外国勢力や少数民族らによるたえざる国家主権の侵害との戦い、ビルマ族と上座部仏教の守護において、国軍は正統な護国者としての役割を果たしてきたとする自己規定によって、半世紀に及ぶ独裁を正当化してきたのである。
今回の全国民的な反クーデタ運動の第一目標は、こうした政治における軍の優位を正当化する国軍史観を打破し、文民政府によるいわゆるシビリアン・コントロールを勝ち取る闘いである。つまりミャンマーの市民革命=民主革命の中心課題は、まず政治の脱軍事化、国軍から政治権力を剥奪することにある。したがって国軍との闘いの一環として自己武装なり武力闘争なりに乗り出す場合でも、軍事に対する政治の優位という枠組みは厳守されなければならない。したがって国民統一政府の役割は、各地の民間の防衛隊にリンクし、極力自己の政治的影響力のもとに統合することであろう。インド・中国・タイとの国境地帯における武装闘争の活発化と連携しつつ、イラワジ平原部では市民的不服従運動による軍事政権の統治機能の無力化を図ることが依然として主要な闘争形態となるであろう。そのうえで併行政府を標榜する以上、通常の市民生活の回復という任務も同時に遂行しなければならないのである。
<国民統一政府、画期的な政策変更―ロヒンギャ問題>
6/3、国民統一政府(NUG)は、世界で最も迫害されミゼラブルな状態にあると国連が認定したロヒンギャの市民権を今後認める方向で検討を進めると声明で発表した。NUGは、ロヒンギャからミャンマー国籍を奪った1982年の市民権法を新しい憲法のもとで廃棄し、新たな規定を設けるとした。その規定とは、「市民権をミャンマーでの出生か、あるいはミャンマー市民の子供としてどこかで出生したこと(どこで生まれようと、ミャンマー市民の子供である限り、という意味=筆者)に基づいて与える」とするものである。
スーチー政権のもとで、ロヒンギャという呼称すら避け―各々の民族には、自らをどう呼ぶかを決定する権利があるはずなのに―、1982年の市民権法を問題にせず、あまつさえロヒンギャ70万人の悲惨なエクソダスの元凶たる国軍をかばった、それら行為の自己否定といってよい声明である。スーチー氏も含めNLDが国軍に毅然とした態度をとれなかったのは、国軍の力への政治的配慮もあったろうが、それ以上に深刻に反省すべきはビルマ族・仏教徒というナショナリズム(排外主義・自民族中心主義)を両者が思想信条的に共有していたことであったミャンマーの民主主義がどの程度本物かが試される試金石が、ロヒンギャ問題だったのであるが、残念ながらNLD政権は試練に耐えなかった。NLD政権とそれを支える国民大衆、そして国軍との間を通底するイデオロギー的同質性への反省が、ようやく900名にもなろうかという犠牲者を代償に始まったのである。
国際司法裁判所でのスーチー氏のふるまいに関し、NUG側はそれと距離を置くべく、「必要に応じて、ミャンマー国内でロヒンギャや他のコミュニティに対して行われた犯罪について国際刑事裁判所に裁判権を付与する手続きを開始する予定です」と述べ、国軍の訴追に協力する意思を表明したのである。
この声明に対し、さっそく西部ラカイン州のラカイン族(仏教徒)の政治組織などが反対の姿勢を示している。クーデタ前は圧倒的多数のミャンマー市民が、ロヒンギャ排斥一致していただけに、かなりの揺り戻しがあるかもしれないが、ここでもし反クーデタ運動が以前の態度を固執すれば、国際世論は確実にこの運動を見放すであろう。自らは国内のマイノリティに対し抑圧者とふるまいながら、自分たち自身の窮状には国際支援を求めるという二重基準はもはや通用しないのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11006:210612〕
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