青山森人の東チモールだより…自主隔離の年末年始
- 2022年 1月 6日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
1年11ヶ月振りの東チモール
2020年1月30日にわたしは一時帰国をしてすぐ4月に東チモールに戻る予定でした。しかし、同年3月に新型コロナウィルスの感染拡大の脅威が東チモールを含め全世界に蔓延し、渡航ができなくなってしまいました。以来わたしは日本で悶々とした日々を送らざるをえなくなり、それが新たな日常となってしまいました。
2021年8月、人命軽視の東京オリンピックが強行実施された結果、日本では感染状況が悪化し自宅療養という名の医療放棄で多くの人が亡くなる一方、東チモールでも8月は感染が拡大してしまい、わたしにとって東チモールが遠ざかる一方でした。
ところが2021年10月になると、日本と東チモールは同期するかのように感染状況が劇的に低下しました。これに伴い東チモールの入国制限が大幅に緩和され、ありがたいことにクアラルンプールから東チモールへ飛ぶ一般人向け旅客機の臨時便がわずかながらも登場し、東チモールがグッと接近してきたのです。10月と11月の臨時便はあっという間に満席となりましたが、12月29日の便の切符をわたしは10月末に入手することができました。そして1年と11ヶ月振りに東チモールの地を踏むことができたのです。
初めて東チモールを訪れた1993年以来、1年以上も東チモールを離れたことがなかったわたしにとって1年と11ヶ月振りの東チモールは新鮮です。この”空白期間”が新たな発見のきっかけとなることを期待しながら、改めて現場からの「東チモールだより」を発信していきたいと思います。
面倒な渡航準備
いわゆるコロナ禍のなかでの海外渡航は初めて体験でした。コロナ禍以前の世界といまの世界がまったく違うものになっていることを渡航準備の過程でわたしは実感しました。飛行機に乗るために切符さえ買えば良いというわけにはいきません。渡航先(東チモール)の政府が定める規則に即した書類を準備しなければ、東チモールへ飛ぶ臨時便に搭乗することができないのです。
東チモール政府が要求するのは、①東チモール到着時間から遡って72時間以内におこなったPCR検査の陰性証明書と②ワクチン接種証明書、そして③危機管理統合センターが発行する入国許可書です。
①と②は自力でできますが、③はそうはいきません。わたしを受け入れてくれる東チモール人(東チモールに滞在する誰か)が危機管理統合センターに申請して入手してくれなければなりません。状況を複雑にするのは、政府が設定する規則がその時々の状況に応じて変化することです。感染状況が変化するのは必然ですので、規則が変わるのもいたしかたありません。
わたしの場合、12月初旬になっても入国許可書が届かないので、どうしたのかと東チモール側に問い合わせると、ルールが変わったから……と手間取っている様子でした。そして送信されてきたのが保健省の発行する「自主隔離の認可書」でした。これにはわたしの名前と滞在先の住所が記載されており、ワクチン接種を二回しているなら48時間の自主隔離、一回だけのワクチン接種なら14日間の自主隔離を委任するという内容が書かれています。
さて、問題なのはこれがはたして入国許可書の代わりになるのでしょうか?日本人を含めて東チモール側に訊ねても明確な回答を得らませんでした。あやふやなままでクアラルンプールまで飛び、そこでもしこれでは東チモール行きの便には乗れませんよ言われたら、たまりません。東チモールにいるいろいろな人にきいたところ、外務協力省が発行した文書が送られてきました。それは12月12日に発行された文書で、こうあります――――2021年11月28日に非常事態宣言が解除されたことに伴い、危機管理統合センターは東チモールに入国を希望する乗客はもはや入国許可書を必要としないことをここに通達する――――。ルールは変わったことは変わったのですが、簡素化されていたのです。このことをわたしが知ったのは12月も半ばのことで、それまではいったいどうなっているのか出発日が迫るなか、やきもきして神経が参りました。
かくも高価なA4用紙
わたしの乗る便は、成田発12月28日17:15―クアラルンプール着12月29日0:05、クアラルンプール発12月29日7:15―ディリ着12月29日12:25、という時間割りです。ディリに到着する12月29日の昼から遡って72時間以内にPCR検査を受けて陰性であったことを証明する書類が必要です。ところがこれもまた曖昧な情報ですが、72時間以内ではなく48時間以内と思った方がいいという忠告も耳に入りました。いずれにせよわたしは出発当日の12月28日に成田空港のPCR検査センターで検査することにしました。
成田空港のPCR検査センターへはあらかじめインターネットで予約することができます。予約すれば検査と陰性証明書発行に3万円かかりますが、予約しないと5万円もします。他国との比較はわかりませんが、ともかくべらぼうに高い。
わたしは28日の10時半ごろ、成田空港PCR検査センターで綿棒によるPCR検査(核酸増幅検査、real time RT-PCR法)を受けました。12時に戻っていらっしゃいと言われ、そのようにし、めでたく陰性証明書をもらいました。こういっては何ですか、A4用紙のなんてことのない紙の、誰でもその気になれば模倣して作成できるような簡単な証明書です。これが3万円もするのか、二回のワクチン接種を証明書する俗にいう”ワクチンパスポート”を得るにはお金はかかりませんが、少しは特殊性のある用紙です。これと比較すれば、3万円の陰性証明書のなんと貧相で高額なことか……文句の一つや二つをいいたくなるというものです。
ともかく陰性である結果を受けてわたしははれて飛行機に乗れることになりました。もし陽性だったら……とときどき考えましたが、考えても仕方ないこと、ともかく成田空港まで行って、なるようになるさ、その時はその時だ、と腹をくくるしかありません。渡航準備にお金をかけた上に出発直前に陽性といわれ出国できなかった人はいったいどう気持ちの整理をつけたのか……お気の毒さまというしかありません。
簡易抗原検査による手荒な出迎え
成田空港を夕方6時近くに飛び発ったわたしの乗る飛行機ですが、乗客の占有率はわたしが想像していたより高く、コロナ禍前に乗った成田―デンパサールの旅客機の乗客占有率と同程度でした。
およそ6時間40分の飛行時間を経てクアラルンプールに到着、現地時間で夜中の1時ごろ。わたしは5時ごろまでベンチで横になって仮眠をとり、6時半ごろ、東チモールへ飛ぶ便への乗り継ぎの手続きをしました。この便はAir TimorがチャーターしたマレーシアのAir Asiaの旅客機です。乗り継ぎ手続きをするカウンターの前に並ぶ乗客の列から日本語やポルトガル語も漏れ聞こえるなかで、やはり東チモール人とおぼしき人が多くいて、テトゥン語がはっきり聞こえてきました。東チモールはすぐそこです。
2021年12月29日、朝7時45分ごろ、東チモール目指してクアラルンプールを飛び発った便の乗客の占有率はかなり高く、70~80%くらいでしょうか、満杯感がありました。およそ4時間余りの飛行時間を経て、昼の12時半ごろ、東チモールの玄関である首都デリ(ディリ、Dili)のニコラウ=ロバト議長国際空港に着陸しました。嗚呼懐かしや、東(ひんがし)の国です。
まず機体から降りてちょっと歩くと、消毒係が待ち受けていました。手荷物を持ったままの格好で噴霧器で消毒液を、靴の裏を含めて、身体全体に軽くかけられました。
機体を降りると、消毒係が待ち受ける。
ニコラウ ロバト議長国際空港にて。
2021年12月29日、ⒸAoyama Morito.
そして入国審査所につながる屋根付き小径に入るところで、空港係員は乗客一人ひとりに600mlの水のペットボトルを手渡しました。これは以前なかったことです。こんなコロナ禍のなか、来てくれてありがとう、あるいはお帰りなさい、という挨拶代わりの水の提供でしょうか。
このペットボトルの水の意味がちょっと後になってわかりました。入国審査所につながる屋根付き小径に乗客は延々と立ったまま待たされることになったのです。何を待つのかというと簡易抗原検査です。綿棒を鼻に入れ採取された検体に溶液を垂らしてすぐに陰性か陽性か、精度は劣るものの、判明する検査です。五人ずつが検査の机の前に通され、このグループが検査を終えると、次の五人が前に進めます。防護服をまとった検査係員は、乗客にPCR検査の陰性証明書やワクチン接種証明書などを提出させて、手書きで用紙に必要事項を記入していました。この手書き作業に時間がかなりかかっている様子でした。さらに簡易抗原検査を実施するところでも、時間がそれなりにかかり、渡された水のペットボトルを手にする乗客の列は遅々として進まないという状況になったのです。昼の暑い最中、屋根で日陰になっているとはいえ外に長時間立っているのはたいへんです、水でも飲んで待っていてください、という意味だったのです、このペットボトルの水の意味は。
問題なのは、検査を待たされる乗客にたいして空港側は適切な対応を怠っていることです。例えば、列の前方で何が行われているのか見えない後方部の乗客に何も説明がありません。また、列はぎゅぎゅう詰めの密の状態となり、人と人との間に距離を保たれませんでした。暑いのでマスクを外して会話をする人も出てきました。これではここが感染の場と化してしまいます。「こりゃ、夜になっても終わんねぇなぁ」というテトゥン語が飛び交うようになり、ある女性は怒りの声を係員に浴びせました――女・子どもたちやお年寄りも外にずっと立たされて大変じゃないの、何やってんのよ――。
係員は、まぁまぁまぁ、ここは東チモールなんだから、落ち着いて落ち着いて……と怒り叫ぶ女性をなだめました。空港側はこの女性の怒りの声は、検査待ちの状態が長く続くから発せられたのではなく、空港側から説明がされないで乗客が放置されていることにたいして発せられたことを理解すべきです。然るべき検査のために時間を要することの説明があれば、乗客は喜んで協力するはずです。しかし何も説明なくただ立って並ばされるのであれば頭に来ます。空港側の対応に批判は免れません。身体の弱い人のために椅子を用意するとか、感染防止のため人と人の間に適切な距離をとらせるとか、番号札を渡して、芝生に座って待ってもらうとか、いろいろと対応の仕方が考えられます。それができないのが東チモール、ああ、わたしは東チモールに戻ったのだと延々と立って待たされるなかで実感した次第です。
係員は、怒りの声を上げる女性の意見を一部採用しました。女・子どもそしてお年寄りを列の最前に移動させました。そのおかげでわたしはさらに後方部に位置することになってしまいました。結局、わたしは2時間以上も待たされ、なんとか簡易抗原検査を受け、陰性と判明され、入国審査を通過し、機内預け荷物を受け取り、空港を出たのは、なんと午後3時20分でした。やれやれです、まったく。
簡易抗原検査のために待たされる乗客。
こんな密の状態が二時間も続いたら、ここは感染場所になってしまうではないか。
ニコラウ ロバト議長国際空港にて。
2021年12月29日、ⒸAoyama Morito.
自室にこもって年末年始を迎える
空港で辛抱強くわたしを出迎えるために待っていた友人にただひたすら感謝し、わたしの住み家があるベコラ地区に移動、ベコラの家族と1年11ヶ月振りに再会を果たしました。もう年の瀬が押し迫った12月29日です。周囲は年末年始のお祝い気分に満ちていました。成田空港からクアラルンプールを経てデリまでの経路を振り返るとき、わたしが新型コロナウィルスに感染した可能性は決して小さくありません。保健省からわたしにたいして発行された書類には48時間の自主隔離をすることになっていますが、少なくとも一週間かそれ以上の自主隔離または自室に引きこもることが必要と自主判断しました。ここベコラの住民に新型コロナウィルスを感染させたら申し訳がたちません。
わたしは空港からベコラまでの風景を車のなかから眺めただけで、首都全体の様子をまだ観ていません。新型コロナウィルスによって東チモールの何がどう変わったのか、自主隔離が終わってからじっくり観ていきたいと思います。
青山森人の東チモールだより 第448号(2022年01月05日)より
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.co
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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