わたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その1)
- 2022年 4月 3日
- 時代をみる
- 戸籍池田祥子
いきなり個人的なことで失礼します。
実は、2022年2月の初め、いきなり新しい家主(会社)の社員が訪ねて来て、33年間住み続けてきた今の「テラスハウス風借家」(3棟)を出て行ってくれ、と言われてしまった。もちろん、引越し料金は保障するとのことだが・・・。
以前の家主は、元地主。近くには同じ苗字の家がとても多い。昔は自作もしていたのか、先代の家主は面倒見が良くて、毎年春先には、庭の樹木の剪定を業者ともども、ご本人も率先してやってくれた。ところが、高齢のため、息子に家主の業務が引き継がれるや、もっともコロナの感染とも相まってのことだが、庭木の剪定はなくなり、改めてよくよく眺めると、借家人が出て行った所は空き家のまま、新しくクリーニングされることもなく、捨て置かれている。しかも、そんな空き家が全体の3分の1以上にもなっている。家主としての「モチベーション?」が下がっていることは明らかだった。その内に、家主が新しい会社に代わった旨、郵便受けに入れられたたった一枚のチラシによって知らされることになった。そして、社員がやってきて「8月までには引越しするように!」と告げられたのは、それから間もなくのことだった。
家を「借りる」ということ—大家のゴーサイン?
「住む=棲む」こと、「暮らしの場」・・・言うまでもなく衣食住の一つ、「家」は大切である。
地方から東京の大学にやってきて、わたしは、県人寮から大学の寮。学生時代に同棲を始めたので、大学寮を出て、神田川のすぐ傍の4畳半ひと間に引っ越した。それから、大学院に行き、結婚して、子どもが生まれ、神田川を遡り、二人目の子どもが生まれる時には、また引っ越した。そこは2階建ての上階だったので、階下の住人から「子どもらがうるさい!」と叱られ、止む無く、近くで売り出されていた安普請の建売住宅を買ってしまった。もちろん、頭金は、その頃不動産業で少し潤っていた北九州のわたしの父親に借りて、何十年間のローンを組んでのことだった。このまま、結婚生活が続き、ローンも順調に返していけば、わたしもまた「持ち家」の主になれたのだったが・・・。
しかし、3人目の子どもが生まれた直後に離婚し、わたしはまた、生まれたばかりの子ども一人を連れて、ひと間だけの借家暮らしに戻った。その後もいろいろとあり、最終的には、別れた子どもは別にして、共に暮らす子どもは3人になった。そして、最後の子どもの父親であるパートナーも一緒に、現在の「テラスハウス風借家」に移り住むことになり、それから33年が経ったのである。その間に、子どもたちは次々と家を出て行き、パートナーと二人暮らしになって、かれこれ10年余りになるのだろうか。
以前は、子どもたち三人と大人二人、合計五人で暮らしていた家で、老いたりといえど二人だけというのは、確かにモッタイナイ話である。息子(三男)からは「都営住宅に申し込めば?」と何回か言われたりする。しかし、入居の募集をしている場所が遠かったり、収入や資格(事実婚)など面倒なこともあって、先延ばししていた。離婚して以来、「持ち家」というものに無関心だったり消極的だったりしたツケなのかもしれない。
ただ、ここの借家には、南側に小さくとも庭がある。他の家では、花壇を手入れしたり、あるいは野菜を植えたりしている。しかし、仕事に忙しかったわたしは、庭の手入れには手が回らず、わが家の庭は、雑草(もちろん、ホトケノザ、カラスノエンドウ、タンポポ、ドクダミ、オシロイバナなどれっきとした名前はある)が季節ごとに生え変わってくれるだけである。ただ、春先にはヒヨドリやメジロがやってくるので、ミカンやリンゴを出したりして結構忙しいし、また、時々カナヘビが日向ぼっこをしたり、カマキリの冬に生みつけた卵が孵ったりするのを目撃したり・・・。
要するに、家賃のことを度外視すれば、それなりに気に入っていた借家だ、ということである。
さて、そんな横着は許されなくなった。3棟全部を取り壊して、新しいマンションを建てるのだとか・・・。こちらの状況など全く無視した決断である。しかしこの際、争う事は断念した。もともと「借家人」は社会的には弱者である。「あなた様には貸しません!」と言われれば、もうアウトである。それを承知の上でも、新しい大家(会社)の身勝手さに異を唱えて争う元気は、今はなかった。
そして、止む無く受け入れた引越し。その引越し先は、家賃の安い遠い郊外ではなく、今よりは「安い家賃」でこの辺りを探す、という事に落着した。33年住み慣れた土地への愛着が、二人とも意外に強いことが分かった。
ところが、いざ「家を借りる」段になると、いろいろと面倒なことが持ち上がった。
・二人は「事実婚」とはいえ、女の方は80に近い70代。年金暮らしである。これから先の命の保障も危うい。
・通常は「世帯主」に当たる男の方は、年齢は60代前半ではあるが、収入が極端に少ない。売れない「小説家」。稼ぎは、学習塾に週何回か通うだけである。
新しく借りようと決めた家の家主は、やはりこの地域の地主、これまた同じ名前の家があちこちに目立っている。だが、以前の家主とは全く正反対、「貸し家業」に徹している。したがって、「借り手」のチェックは厳しい。身分は確かか?家賃はきちんと払えるか?滞納はないか?何年か後に家を出る場合に、余計なトラブルが起こらないか?
もちろん、直接「貸し手=大家」と私たち「借り手」が直談判する訳ではない。間には気の弱そうな不動産屋が介在している。不動産屋も「貸し手」の意向は第一なのだろう。何しろ貸し手の機嫌を損ねれば、物件はそこから取り上げられるだけだからである。
「こいつらは上等の客=借り手」ではなさそう、と見られただろう私たちは、預金の額から、それも通帳の写しの提出までも要求された。新しい住処が決まらないことには落ち着かない私たちは、ともかくも言われるままに従った。大家の本音を言えば、こんな不安定な客は断りたい・・・ということなのだろうが、「住処」を決めねばならない借り手のわたし達は必死である。これまで、33年間、家賃の滞納がなかった、という実績をアピールしたが、「それはこれまでのことであって、これからはまた別のこと」・・・と大家は考えていたのであろう。
「婚姻届」を出そう!
家の「借り手」になることが、これほどまでに「経済力」や「公の信用」を問題にされるとは・・・いざという時には「事実婚」などというものは、信頼されないものだと痛感した。
わたし自身、「同姓」を要求される「婚姻」には、離婚以来、納得できずに遠ざかっていた。しかも、現在では、「事実婚」は公的な婚姻とほぼ同じように認められるはずだし、いざと言えば「遺言」を書いておけば、死者の願いは通じるはず・・・と思ってきたのだが、
「公的」なものしか信用されない場や人間相手には、そういう訳にはいかない、ということも一つの現実だった。
そうは言っても、わたし自身、「婚姻届」に全くの拒否感を持っていた訳ではない。人間、本当に困った時には、制度に乗っかることも必要!くらいは思っていた。
わたしが70歳で、専任で働いていた職場を定年で辞めることになって2,3年後、一度彼に、わたし達も「婚姻届」を出そうよ・・・と提案したことはある。先行きの不安があってのことだったが。その時、彼も「いいよ」と賛同はしたものの、「わしは池田にはならないよ」とのこと。止む無く、それではわたしが姓を変えるから・・・と、婚姻届に名前を書き、わたしの友人二人に保証人の印と署名を頼むことにした。
ところが、一人はさっさと同意してくれたが、もう一人の友人からは、「池田さんは、これまでずっと池田の姓で通して来たのに・・・しかも女が姓を変える結婚制度には抵抗して来たのに、ここに来て、え、姓を変えるの?あまりの妥協じゃない!私は反対です。保証人にはならないよ!」と断わられてしまった。
そう言われて、わたしも確かに同意できる意見だし・・・と、その時の「婚姻届」は、彼も不愉快な顔をしたけれど、今も保証人一人が空欄のまま、戸棚の中に入っている。
ところが、今回の引っ越しと家探しの渦中で、先日、いきなり彼の方から言い出した。「わたし等、婚姻届を出そう!わしが池田になるよ。あなたが姓を変えると、いろいろ変更の手続きが大変だろうし・・・」と。そして、保証人は、娘夫婦に頼むことにした。
こうして、思いがけずの引っ越し騒動の過程で、これまたひょんなことから「婚姻届」を出すことになったのだが、改めて、これまでの「わたしと戸籍」の関わりを振り返ってみたくなった。(続)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4897:220402〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。