二十世紀文学の名作に触れる(57) 川端康成の『古都』 ――流麗な筆致で描く京都の面影、そして美しい双子の姉妹の数奇な運命
- 2023年 3月 7日
- カルチャー
- 『古都』川端康成文学横田 喬
川端康成(1899~1972)は一九六八(昭和四三)年、日本人で初めてノーベル文学賞を受けた。受賞理由は「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現、世界の人々に深い感銘を与えた」。対象作品は小説『雪国』『千羽鶴』『古都』と短編『水月』など。小説三作の中では最も私の好みに合う『古都』(昭和四三年、新潮社刊)を私流に紹介してみる。
千恵子の家の庭にもみじの古木があり、幹に小さいくぼみが二つある。そのそれぞれに、すみれが生えて、春ごとに花をつける。上のすみれと下のすみれとは、一尺ほど離れているが、年ごろになった千恵子は、(上のすみれと下のすみれとは、会うことがあるのかしら。おたがいに知っているのかしら)と、思ってみたりする。
京都・中京の由緒ある呉服問屋の独り娘・佐田千恵子は両親に愛されて育ったが、悩みがある。自分が捨て子なのでは、という疑いだ。両親は否定し、「二十年前、祇園さんの夜桜の下に置かれていた可愛いい赤ちゃんをさらってしまったのだ」と、説明していた。本当は店の門口に捨てられていた子で、主・太吉郎が妻しげと図り、嫡子として届けたのだった。
太吉郎は名人気質で、取引は番頭にまかせ、友禅の柄の工夫に熱中している。親しい仲の織屋の宗助を訪ね、ざんしんな柄の帯を織ってほしい、と頼み込む。千恵子が渡したパウル・クレエの画集からヒントを得たものだった。宗助の長男・秀男は腕は確かだが、ぶっきらぼう。「ぱあとして、おもしろいけど、なんかしらん、病的や」。端的なものいいで太吉郎を青ざめさせるが、この下絵で千恵子のために帯を織るのを承知する。
五月のある日、千恵子は友だちの真砂子と高尾の奥の山村へ銘木の北山杉をながめに足をはこぶ。北山丸太の加工作業をしている村娘の中に千恵子そっくりの娘を見つけ、真砂子は「ほんまに似てる。不思議やなぁ」と驚く。
そして七月の祇園祭の夜。千恵子は八坂神社の御旅所で、七度参りをしている自分にそっくりな娘を見かける。娘は食い入るように千恵子を見つめると、「あんた、姉さんや。神さまのお引き合わせどす」と目に涙をあふれさす。あの北山杉の村娘であった。
苗子と名乗る娘はうちあける。「父は北山杉の枝打ちをしてて、渡りぞこのうて落ちて・・・。
とうのむかしに・・・。そして、母も・・・」。さらに、(自分は)ふた子だった、と聞いている、とも話した。千恵子は足がふるえるほど、心がみだれていた。ふた子とはいえ、身分ちがいになっている、と見てか、苗子は対面を早々に切り上げようと図る。
帰り道、四条大橋のたもとで、西陣機屋の息子の秀男が苗子を千恵子と見まちがえ、声をかけてくる。千恵子を秘かに慕う秀男は「わたしが考案した柄で帯を織らしてみてくれまへんやろか」と頼みこむ。当の千恵子はふっと、人のうしろにかくれていた。人ちがいと承知の上で、苗子は「へえ、おおきに」と口ごもり、「さいなら」と早々に会話を切り上げる。
夜、寝床で千恵子は思った。(捨てた赤んぼが、なぜ苗子でなく、千恵子だったのか)(実の父が杉から落ちたのはいつ?)(山の奥の母のさとは、なんというところなのだろう)
八月十六日の大文字は盆の送り火。翌日、千恵子は苗子に会いに出かける。菩提の滝でバスをおりると、苗子が一散にかけ寄ってくる。「よう来とくれやしたな。うれしいて、うれしいて・・・」。土の匂い、木の匂いが強かった。「きれいな杉木立が好きや。杉山の中へ入ったんは、はじめてやわ」と千恵子は言い、苗子は「人間のつくった杉どす」とこう言った。
――これで四十年ぐらいどっしゃろ。切られて、柱なんかにされてしまうのどす。うちは、原生林の方が好きどす。この世に、人間というものがなかったら、京都の町なんかあらへんし、自然の林か、雑草の原どしたやろ。おそろしおすな、人間て・・・・・・。
杉林は、にわかに暗くなった。夕立ちがやって来、はげしい雷鳴がともなった。「こわい、こわい」と千恵子は青ざめて、苗子の手を握る。苗子は身をもって、おおいかぶさった。その温みが、千恵子のからだにひろがり、千恵子はしあわせな思いにひたる。夕立が通り過ぎ、千恵子は父や母のことを尋ねるが、返事は「知りまへん。うちも、ややこどした」。
十月二十二日、秀男は苗子を誘い、時代祭(葵祭・祇園祭と並ぶ京都三大祭の一つ)を見に行く。祇園祭の夜、千恵子と見まちがえ、自分で考案した柄の帯を織ると約束。別人とわかった後も、苗子に対し心尽くしの帯を贈り、彼女はこの日その帯を締めてきていた。秀男は父親から千恵子とは「家柄が釣り合わない」と釘をさされている。苗子は秀男にプロポーズされる。苗子ははっきりした返事はしないが、身代わりだということは感づいていた。
秀男の他にも千恵子に好意を寄せる青年はいる。同い年で幼馴染の大学生、水木真一である。千恵子の家より格上の呉服屋の次男で、十年余り前、祇園祭の長刀鉾に「お稚児さん」として乗った美青年だ。真一の兄・竜助は大学院生で、千恵子に好意を寄せ、佐田家の商売の実情を気遣っている。彼は千恵子と図った上で、番頭から内情をいろいろ問いただす。
冬の日、使用人や客も帰った後、苗子は千恵子の家を訪ねる。両親にあいさつした後、千恵子は寝室に布団を二つならべた。苗子の床へ、だまってもぐってきて、「ああ、苗子さん、あたたかい」。苗子は千恵子を抱きすくめ、つぶやいた。「こんな晩は、冷えて来るのどすな」。
あくる朝、苗子はじつに早起きし、千恵子をゆりさましてつぶやく。「これがあたしの一生のしあわせどしたやろ。人に見られんうちに、帰らしてもらいます」。
粉雪は、夜なかに、降ったり、やんだりしたらしく、今はちらつき、冷える朝だった。
千恵子は起き上がって、「雨具、おへんやろ。待って」と、自分のいちばんいい、びろうどのコオトと、折りたたみ傘と、高下駄とを、苗子にそろえた。苗子は首を振って、ことわった。千恵子はべんがら格子戸につかまって、永いこと見送った。苗子は振りかえらなかった。町はさすがに、まだ、寝しずまっていた。
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