宮内庁広報室全開?!天皇家、その笑顔の先は
- 2023年 6月 13日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子天皇家宮内庁
新年度4月以降、宮内庁に広報室が新設されたのと、Coronaが2類から5類に移行し、感染対策の緩和がなされたことが重なり、一気に皇室報道が目立ち始めた。
5月以降、私自身が新聞・テレビで目についた報道から天皇・皇后はじめ皇族の動向を拾い上げただけでも、以下のようになった。天皇には、内閣の助言と承認を得て行う国事行為について、憲法第三・四条・七条に定められており、国事行為は限定的であり、皇室典範に定めのある儀式は、即位・大喪の礼のみである。たとえば、以下、この一カ月余りの活動は、そのほとんどが私的活動とみてよい。いわゆる「公的行為」について、法律上の基準はなく、平成期における天皇は皇后とともに、この「公的行為」を創出、拡大してきた経緯があり、定着したかのような様相を呈していたが、代替わりとCorona禍により、そうした行為、活動は、中止や縮小、オンラインなどで実施されることが多かった。が、どうだろう、天皇家、皇族の写真や動画が溢れだしたのである。
上記の表の備考に、純然たる私的行為と思われるものに「私」を記してみた。そうでないものについて、例えば、戴冠式参列(1953年、エリザベス女王戴冠式に皇太子参列)、園遊会主催(1953年~)、植樹祭参加(1950年~)などにしても、法的な根拠はなく、新憲法下の昭和期、平成期において、たんに「恒例」として実施されてきた行事に過ぎない。行事の筆頭に、第○回と付されているものは、その限りの沿革であることがわかるし、備考欄に、「○年~」と記したものもある。
今回、突如、発表されたインドネシア訪問は、即位後初めての親善訪問とされ、皇后も同行することが注目されている。この国が選ばれたのは、現在、外交的にも経済的にも密接な関係を保ち、対日感情も東南アジアの中では良好とされているからであろう。
しかし、アジア・太平洋戦争時1942年から、日本の軍政下にあった三年半の間、コメの強制供出や労務者の強制徴用、さらには、日本語、日の丸、君が代などを強要された世代は、もちろん、犠牲となった現地人の遺族たちの存在も忘れてはならないはずである。彼らには、いったいどのように対応するのか、関係省庁と調整中なのであろう。
こうした親善の訪問と戦争犠牲者のいわゆる「慰霊の旅」は、平成期に増大した。昭和・平成期において、皇太子時代を含めて明仁天皇夫妻は沖縄へ11回も訪ねていることでも明らかであろう。それに加えて、被災地訪問も随時実施され、「公務など」と括られ、拡大されていった。
このような「公的行為」には、必ず訪問先や移動時の警備体制や訪問先の受け入れ準備に多大の業務と費用が伴うはずである。「国民に寄り添」うことによって「慰撫され」「励まされ」る人々を生み出したかもしれないが、実質的な解決や成果につながることは、まずなかった。
令和期の今に至って、こうした「公的行為」の環境が整ったことになるのか。
また「私的行為」によって、三代にわたる「理想的な」家族像を発信できたとしても、それがいったい何の意味があるのだろう。
若い人たちは、非正規という不安定な働き方を強いられ、結婚も出産もできない。大事に育てられるべき子どもたちは、家庭や学校で不安定な日々を送っている。社会保険料は値上げされ、高齢者の年金は抑えられ、老後生活への不安は尽きない。
この現実と天皇家の風景との落差は、何なのか。すべての差別の根源ともいえる天皇制、この辺で、じっくり立ち止まって考えてみなければ。
初出:「内野光子のブログ」2023.6.12より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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