内野光子の執筆一覧

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『神近市子の猛進』を読む、神近は短歌も詠んでいた(2)神近市子、波乱の生涯

著者: 内野光子

   神近市子は、長崎県出身、父と兄を幼少時に亡くし、姉二人との母子家庭で貧しかったが、読書する文学少女で,活水女学校を経て、津田梅子の女子英学塾で学ぶ。在学中に『青鞜』に参加、1913年女子英学塾卒

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『神近市子の猛進』を読んだ、神近は短歌も詠んでいた(1)神近市子の短歌

著者: 内野光子

・ひとり居て思うことあり 嬉しきは孤独に生きる力もつこと   神近市子が、このような短歌を詠んでいることを、石田あゆう『神近市子の猛進 婦人運動家の隘路』(創元社 2025年3月)で知った。なるほど、神近らしい

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「コメ クエ コメ クエ」の稲文字を偲ぶ~減反政策に一貫して反対し続けた人

著者: 内野光子

   私たち家族が千葉県佐倉市のニュータウンの一角に転居してきたのは、1988年秋であった。家が建つまで、田んぼをまたぐ橋の上から見えた稲文字「コメ クエ コメ クエ」がめずらしく、見おろしながら渡っ

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8月2日、「こうの史代展」オープン、行ってきました。

著者: 内野光子

会場近くのロビーでの公刊された作品集展示。  佐倉市立美術館で今日オープンした「こうの史代展」に出かけた。こうの作品は、「この世界の片隅に」の映画(2016年)を、しかもテレビ見たくらいで決して読者とは言えない。この展示

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「人見るもよし 人見ざるもよし・・・」実篤公園へ出かけました。

著者: 内野光子

 6月1日、昼は晴れそうなので、夫に誘われ、武者小路実篤(1885~1976)の「仙川の家」と実篤公園に出かけた。京王線の仙川駅下車(センガワ、と読むらしい)。10分ほど歩くが、途中の角角に、公園まで「あと320m」とい

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高良真実『はじめての近現代短歌史』読後~“若い人”の「短歌史」へ

著者: 内野光子

 遅ればせながら、高良真実『はじめての近現代短歌史』(草思社 2024年12月)を読んでみた。これまでときどき見かけた書評や感想では大方、好評であったように思う。明治以降の作品を中心とした、その解釈や時代背景もわかるハン

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“若い人”の歌集から~戸惑いながら刺激を受ける

著者: 内野光子

 私のような高齢者に、ときどき、若い人の歌集が舞い込んだりする。「若い」といっても歌集をお送りくださる方たちの大方は私より若いわけなのだが、子ども世代、孫世代にもあたる人たちの歌集には、戸惑うことも多いが、刺激を受けるこ

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宮城晴美さん講演を聴いた~沖縄における門中制度の遺制

著者: 内野光子

沖縄における「集団自決」についての記事を書くにあたって、以下のような「沖縄タイムス」の記事を知った。 「男性だけの家族で『集団自決』は起きていない」 沖縄女性史家・宮城晴美さん調査 犠牲者の8割超…(『沖縄タ

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4月29日は祝日だった~「昭和の日」はどのようにして決まったのか。

著者: 内野光子

   連休も後半に入るが、この頃、休日や曜日の感覚がわからなくことがあって、これでは認知症の検査もおぼつかないかもしれない。4月29日などは、忘れて郵便局に出かけたりして、あとから「天皇誕生日」だった

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4月7日、天皇が硫黄島訪問~石破総理は明日29日、日米合同慰霊祭に参列~

著者: 内野光子

  トランプと石破について、もはや語るのも忌々しいし、斉藤某知事の無表情な往生際の悪い顔は見たくもない。一方で、マス・メディアやネット上では、皇室ネタというか若い皇族ネタがあふれ、笑顔が振りまかれている。 &n

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“安定的な”皇位継承というけれど・・・会議はどうなる?

著者: 内野光子

 秋篠宮家の長男は  3月3日、昨年の12月11日に筑波大学への進学も確定し、高校生活も終わろうとしたタイミングなのか、秋篠宮家の長男が成人になったとして、初めての会見がおこなわれた。肉声が公けになるのは初めて

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久しぶりに、地元の9条の会に参加しました~登戸研究所見学を思い起こす

著者: 内野光子

 引っ越しの前後、数か月休んでいましたので、世話人の方たちとは久しぶりでした。会報の編集中で、2月にでかけた明治大学生田キャンパスにある登戸研究所資料館見学の感想集です。私は参加できませんでしたが、皆さんの関心の向けどこ

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「新聞歌壇」の選者ということ~馬場あき子の退任をめぐって

著者: 内野光子

  2月25日の朝日新聞は、馬場あき子が47年間務めた「朝日歌壇」の選者を退任すると報じた。半世紀近くも選者であったことに改めて驚いた。97歳、「元気なうちに幕を」と3月をもって引退を決めたとも記事にはあった。そして後任

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