日本の就学前教育=保育制度は、なぜややこしいのか? ― 「幼保一元化」って何?・・・(2)
- 2023年 10月 4日
- 時代をみる
- 幼保一元化池田祥子
日本の「幼稚園」と「保育所」の成り立ち―改めての確認
元々は、仕事に明け暮れる父母から放置されている、幼児のための「生活と遊び・学びのための場所」が、フレーベルの「キンダーガルテン」であった。それをいち早く「幼稚園」として取り込んだ明治の日本。ところが、時代と設置された場所との関係から、日本の幼稚園の実態は、恵まれた階層の、早期からの幼児教育機関として出立することになった。それでも、元になったフレーベルの思想に基づき、幼稚園の日々の実践は「保育」と呼ばれ、そこでの教員も「教師」ではなく「保姆」と呼ばれた。
その後、その東京女子師範学校附属幼稚園の主事を勤めた倉橋惣三は、フレーベルの幼稚園および西欧の幼児教育思想を学び、実際にもはるばるベルリンの「ペスタロッチ・フレーベル・ハウス」を訪れて、日本の幼稚園の「狭隘さ」を痛感していたのである。
一方の「託児所」は、明治時代の終りから大正期以降、地縁・血縁の乏しい都市を中心として、貧しい家庭の「子ども預かり場所」として出発した。そしてやがて法定される際には、端的に「託児所」(社会事業法)と規定されたのである。「救貧政策」の一環としてである。
だが、この「託児所」は、たとえ集まっている子どもたちが、身なりからしても見るからに貧しいとはいえ、ともに「絵本を読み、遊戯をし、唱歌を歌い、食事をする」などの生活は、長時間であるために「午睡」が挿入されるものの、まさしく「幼稚園」のそれと相違わず、誰言うともなく、幼稚園の内容を表わす「保育」を用いて、自らを「保育園」あるいは「保育所」と呼び始めたようである。(因みに、「保育所」という正式な命名は、戦後の児童福祉法からである。「ヨウチエン」と「ホイクエン」、あまりにも近しい呼び名だったからだろうか、「園」を使わせたくなかったからだろうか・・・)
しかしながら、戦前、幼稚園管轄の文部省は好ましいはずがない。「保育」とは、「幼稚園」の実践の内容であるはずなのに・・・と現場での勝手な呼称や、それを警告もなく手放しで放置している厚生省にも、文書の中で苦情をこぼしている(前回、参照)。
とはいえ、先の倉橋惣三は、「保育が、もし真に保育なら、教育的なものを伴うのが当然」と記しているし、敗戦直後の教育法に関する会議でも、倉橋と城戸幡太郎は「幼稚園」と「保育所」の一体化も想定しつつ、だがあまりにもそれぞれが少数であるために、と「将来の課題」へ棚上げしてしまった。
管轄の省を異にしたまま、その「一体化」「統合化」を将来の課題に先送りすることが、いかに「思慮不足・困難」であるか・・・この時点で省察できる人(政治家、行政官、学者、現場の保育者、その他)が全く居なかったとは・・・本当に残念である。
戦後の「幼保二元化」の確立の経緯
先の倉橋・城戸の発言に見るように、敗戦後しばらくは幼稚園も保育所も「極めて似たような施設」と自他ともに認めていた。
実際、児童福祉法を制定し、「すべての国民、すべての児童」の福祉を謳う厚生省は、当初、希望する子どもの全てを受け入れていたし、「幼稚園と保育所」の二枚看板も許容されていた。一方の文部省も、前回に記した通り、1948年刊行の「手引書」は『保育要領―幼児教育の手引き』と命名されており、幼稚園だけでなく、保育所保母やさらに家庭の母親たちをも対象にしていたのである。この「手引書」のタイトルそのままに、「保育=幼児教育」と考えられていたことが明らかである。
しかし、1950年代に入り、福祉財政も緊縮を余儀なくされるや、厚生省は保育所の入所児童を「保育に欠ける」という条件で限定するようになり(1951年児童福祉法改訂)、ここで改めて、「保育に欠けない=あるべき保育=家庭での母による保育」という「家庭保育第一主義」を公に基底に据えることになる。
さらに、「保育所」=(やむをえざる社会的)託児施設、と改めて自己限定し、「教育という、いわば高度の要求をみたすに十分な人的物的設備のそなわることを要求する以前に、必要な場所にそれが存在することをまず要求する」(厚生省児童局「国会予想質問答弁資料」)と位置づけることになった。「全ての子どもを対象とする児童福祉」という理念から導き出される「一人ひとりに応じた保育」の構想からは著しく後退しているのである。しかも、当事者によっても、その「後退」すら自覚されていなかっただろう。
こうして、保育所とは「(高度な)教育機能以前の、児童の生活権につながる社会施設」と改めて位置づけされた。そしてそのことは同時に、自ら、幼稚園=文部省管轄下の「教育機関」、保育所=厚生省管轄下の「社会福祉施設」、と規定することによって、子どもの「教育・保育」の観点からは、文部省>厚生省という「上下関係」に位置づけてしまったことになる。
このような厚生省・保育所の動きに対応して、文部省もまた、総合的な「保育」という折角の「幼児教育理念かつ用語」から身を反らせ退き、「幼稚園教育」という自らの領域に頑固に居座ることになっていく。前回でも記した通り、文部省もまた、1956年、それまでの『保育要領』を『幼稚園教育要領』に改訂し、それは現在にまで一貫して踏襲され続けている。
もっとも、文部省(文科省)はそれ以降、公的な場では「保育」という言葉をほとんど使ってはいないが、2007年に改訂された学校教育法の中では、幼稚園に関しては「幼児を保育し」(第3章第22条)、「保育内容」(第25条)、「幼児の保育」(第27条)等々という言葉は消えてはいない。この辺りのことについて、「保育」と「幼稚園教育」という言葉の違いや関連について、残念ながら文部省は、当時も、いまも、何らの説明も加えてはいない。乳幼児期の子どもの育ちと、それを支える社会的な保育・教育のあり様の根幹に関わることなのであるが・・・
「幼保二元化」確立の歴史的文書―「文部省・厚生省両局長通知」(1963年)
戦後の1950年代、文部省と厚生省は「犬猿の仲」だった・・・と当時を知る公務員の何人かから聞いたことがある。・・・1963年、たまたま双方の局長が個人的にも「仲良し」だったとかで、初めて、「幼稚園と保育所の関係について」の共同討議の場が持たれ、その結果、「両者の関係について」の公式見解をまとめることができたとか・・・。
それはともあれ、この1963年の「両局長通知」は、学校教育法および児童福祉法に基づきながら、両者をそれぞれ次のように規定する。
〇 幼稚園:幼児(満3歳以上)に対し、学校教育を施すことを目的とする。
〇 保育所:「保育に欠ける児童(乳児以上、幼児)」の保育を行うことを目的とする。
その上で、「両者は明らかに機能を異にするものである」と断定する。
ここで際立つのは、幼稚園の内容が、「保育」ではなく、「幼児教育」でもなく、あえて「学校教育」と強調されていることである。また、そのことによって、「保育」概念自体が、極めて「非学校=非教育的」なものに矮小化されてしまっている。
しかし、ひたすら「法律」に基づきながら、幼稚園と保育所の「違い」を明記しつつも、一つだけ重複する事態を無視することができない。それは、「保育所に入所している3歳児以上の子ども」である。ところが、この子どもたちに対しても、この両局長通知は、極めて「行政的推理による行政的処理」を行う。
つまり、「保育所に入所する3歳児以上の幼児に対しては」当然ながら「教育に関する事項を含む」ことになり、「教育に関する」ということならば、当然のように文部省の「幼稚園教育要領」が持ち出されてくることになる。
この「通知」での文面は次の通りである。
〇 保育所のもつ機能のうち、教育に関するものは、幼稚園教育要領に準ずることが望ましいこと。このことは保育所に収容する幼児のうち幼稚園該当年齢の幼児のみを対象とすること。
「保育」も「教育」も、主体は乳児からの子どもである。その子どもの「育ち」を支え、時に応じて導き援助するのが、「親」であり「保育者・教師」であるだろう。そして、その母体となるのは「子どもの集団・仲間」である。さまざまな園では、それぞれに応じた「保育・教育」のさまざまなあり様が展開されるはずである。しかし、非常に残念なことに、日本では、そのような一人ひとりの子どもの育ちを、友達関係、親や保育者・教師との関わりの中で、総体的に支える制度=法体系が整備されていない。むしろ、「子育て」の第一義的責任を負わされた「親」を基点にして、「幼稚園」と「保育所」がそれぞれ別個に整備され、後々、「統合化」されるどころか、まさに「法律や行政の都合」によって「分断」されてきている。
この後、1990年以来、「少子化」社会到来の警鐘とその「対策」が続けられ、「幼稚園」と「保育所」の「一本化」や「統合化」も課題に上り、2006年、小泉内閣の下での「総合施設・総合こども園」構想、さらに民主党政権下での「子ども・子育て支援関連三法」の制定(2012年8月)、そして自民党の安倍内閣の下で「子ども・子育て新制度」(2015年4月)が発足し今日に至っている。さらに付け加えれば、現岸田内閣の下では長年の念願・課題でもあった「こども庁」が「こども家庭庁」として制度化され、岸田首相自身は「異次元の少子化対策」を打ち出してはいるが、内容は未だ定かではない。この辺りの詳細は、次回でいま少し簡単に追っていきたいとは思うが、いずれにしても、今回取り上げた「両局長通知」が、幼稚園と保育所とを別個のものと明確に認知し、
〇幼稚園に就園している子ども=満3歳児以上、午前中在園
〇保育所に入所している子どもの満3歳児以上=午前中は、幼稚園教育要領に準じる
午後は保育所保育
〇保育所に入所している満三歳児以下(0,1,2歳児)=全日保育所保育
このように、幼稚園・保育所在園の子どもを「分類」したことになる。
奇しくも、現在進められている「子ども・子育て新制度」下では、「幼保連携型認定こども園」という名前の「統合施設」でも、在園の子どもたちが、
〇幼稚園に該当する子ども(午前中保育のみ)=1号認定
〇保育所に該当する3歳児以上(午前+午後保育)=2号認定
〇保育所の3歳未満児(1日保育)=3号認定
と「分類」され、何と「番号」まで付されている。
一人ひとりの子どもと向き合うはずの、「教育=保育」の現場で、まさに「行政感覚」での「子どもの分類・整理」がまかり通っているとは・・・はるかな昔の「両局長通知」(の原罪?)を忘れてほしくない所以である。(続)
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