訊けるのは学歴と職務経験まで
- 2024年 8月 13日
- 評論・紹介・意見
- ビジネス傭兵藤澤豊
採用担当や人事担当でもなければ、ふつう面接するより面接されることのほうが多いだろうが、あちこち渡り歩いていたからふつうじゃなかったのかもしれない。ヘッドハンターから話を受けた時、興味がなくても断らなかった。外からでは見えない内情や違う業界の事情を知るにはいい機会だと面接に出かけた。この類の面接を除けば、面接する側だったことの方がはるかに多い。面接する側からみると日本の会社とアメリカの会社では面接の内容が驚くほど違う。単一民族、単一文化(思い込んでいる)内の些細な差異を気にしてか、それとも単に人権意識が足りないからなのか、日本の会社では思想信条やプライバシーに絡むことまで臆することなく訊いてくる。
ここでは、面接でどこまで確認してもいいのか、どこから先は訊いていけないことかについての話に限定する。日本企業の文化にもなっている雇用契約の欠如や欠陥についてはさっと触れるに止めておく。
<雇用契約>
雇用契約という考えのない日本では雇用側の都合がすべてで、雇用される人の立場はよほどのことでもなければ考慮にいれない(のが当たり前とされているように感じてきた)。契約というものは本来当事者が対等の立場で結ばれなければ成立しないにもかかわらず、この悪習がなくなる気配はない。
雇用する側が従業員の候補に何を求めているのかは、人材募集時に明確にしておかなければならないが、何をしてもらうのか――たとえば東京で営業マンとして、あるいは富山の工場で部品加工……を、社員として採用してから決める、あるいは辞令一本で変更という日本企業の在り方からして明確にしようがない。業務命令を発すれば従業員になんでもさせられるというところでは、雇用契約がなりたたない。転勤ともなれば、雇用条件(も私生活)が違ってくるのだから、雇用契約を新規に結び直さなければならない。
日本の企業で受けた面接とアメリカの企業で面接した、そしてされてきた経験から面接する側の社会認識の違いを書いておく。面接のほとんどは中途採用のもので、新卒者の面接は一度しかしたことがない。聞き知ったとこと経験してきたことからの個人的な理解でしかないが、何かの参考にはなるだろう。
話しを簡単にするためにアメリカの一般的なケースからはじめる。求人募集の要項として1)これこれこういう業務を遂行できる人を、そのために2)学士で、時には修士、あるいはその他の資格をもっていること、3)同等の業務に最低三年(一般的)は従事してきたこと、4)この部署(任地)でこの職責で5)これこれこういう年俸とインセンティブで、6)xxxにレポートする立場で、と出来るだけ詳細な雇用条件が提示しなければならない。7)推薦状の提出、および面接後に推薦人と業務実績の確認をすることを明記していることもある。
この要求を満たし得ると考えている人が応募してくるはずで、満たし得ない人が応募してきても、何らかの特別な理由がない限り応募は受け付けられない。
そして面接になるが、その前に上記の募集要項をみて、日本では当たり前のことが書かれていないこと気がついた人もいるだろう。年齢と性別は、特殊なケースを除いて業務を遂行する能力に直接関係しないから、募集要項に応募条件として書いてはいけない。まして人種を限定することは法律で禁止されている。
面接で確認するのは、業務を遂行する能力――知識と経験に限定される。訊いてはならいことを、いくつか例としてあげると、1)購読している新聞や雑誌、最近読んだ本や感銘を受けた本などを訊くのは厳禁。なぜなら、そこから思想やその基にある文化や社会観や価値観さらには宗教感まで推測できるから。
2)家族構成はプライバシーになる。業務の遂行に支障をきたすかどうかは応募してきた人の責任に属することで、雇用側が口を挟むことではない。ただ一つ例外がある。いわゆる利益相反(Interest of Conflict)の確認はしなければならない。例えばGMでは近親がFordなどの同業他社で働いている人は雇えない。従業員の日常生活のなかで社内情報が競合に漏れる可能性を生み出すわけにはいかないから。
3)趣味や休日の過ごし方、好きなスポーツ……なども業務に関係ないから訊くべきことではない。
面接とは面接する側が面接される人を評価するものだと思っているかもしれないが、面接の本質を考えていくとそうとはいいきれないことに気づくだろう。面接する側の社会観や業務と業務遂行に要求される能力のほうがはるかに厳しく面接される人によって評価されていることがある。あるというよりされていることが増えているだろう。
少なくとも自分はそうしてきたし、そう考えているのは自分だけではないと思っている。貴重な人材を得られるかどうかは、面接する側の文化と意識にかかっている。
p.s.
<雇ってしまったらこっちの責任>
面接する側として恐れていたことがある。この人なら、導入トレーニングをすれば早々にひとり立ちして貴重な戦力になれるだろうと踏んで雇ったはいいが、幾らもしないうちに額面倒れで、だらしがないというのか、手抜きが目につく人がいる。そうなると面接をして採用を決めたマネージャとしての能力が疑われる。雇ったら最後、雇われた人のパーフォーマンスは、雇われた人以上に雇った側の責任になる。ときには三ヶ月かそこらで解雇しなければならないこともおきる。したくはないがしなければこっちの立場がない。きちんと始末をつけて人材探しを再開することになるが、これには失敗は許されないというプレッシャーが重くのしかかってくる。二度も採用に失敗するとマネージャとしての職務能力を問われて、こっちがレイオフされかねない。
雇用契約の縛りがあるから、日本の会社のように辞令一本で適当な部署への配置転換というわけにはいかない。
2024/7/1 初稿
2024/8/12 改版
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13842:240813〕
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