自然災害と信仰をフォイエルバッハはどう関連付けたか
- 2012年 3月 12日
- スタディルーム
- フェティシュフォイエルバッハ宮本常一石塚正英自然
先日、新刊『宮本常一と歩いた昭和の日本』第16「東北③」が農文協から送られてきました。その中から話題を拾って自然・生業・フォイエルバッハといったエッセーを綴ってみます。
目次をみると、福島県2題、岩手県3題、山形県1題が収録されています。それらはみな昭和44年から61年にかけて刊行された「あるく みる きく」(宮本をリーダーとする近畿日本ツーリスト株式会社・日本観光文化研究所の月刊誌)の復刻です。そこには高度成長時代に変貌を遂げる東北農漁山村の姿が写真付きで紹介されています。素朴な風景写真がならび、村落共生の印象はまだまだ色濃いです。
ところで、とくに岩手県関係で「南部牛のふるさと」「気仙沼大工探訪行」、それに福島県関係で「出作りの村―福島県檜枝岐」(原発から152キロ)などは、昨年3月11日の東日本大震災と福島原発水素爆発の被害をうけた地域に含まれます。壊滅的被害を受けたところも多いです。
巻末あとがきにこう記されています。宮古市重茂半島「姉吉は明治29年の津波では全12戸が流失し、生存者は2人、昭和8年には再度全戸が流失し、4人を除いて津波に乗られた歴史がある。このため津波の到達点に『高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな 明治29年にも昭和8年にも 津波は此処まで来て部落は全滅し 生存者僅かに前に2人 後に4人のみ 幾歳経るとも要心あれ』と記した石碑を建てて戒めとした。戒めが功を奏し現在の集落は石碑より高い位置に建てられたので、今回の津波では漁港施設以外は被害がなかった。」(220~221頁)
この石碑は、フォイエルバッハにすれば、まずは破壊の神をここで食い止める石神でしょう。「人間は、自然が創造と破壊をなすかぎり、または一般に自然が人間に対して畏敬の念を起させる威力という印象を与えるかぎり、自然を人間化して全能な存在者にする。」(LFGW,Bd.6, S360、石塚正英『歴史知とフェティシズム』理想社、2000年、268~269頁)しかし、この石神は、その下方に住む者には救済となりません。まことに「害悪の根源はまた善の根源であり、恐怖の根源はまた喜悦の根源であります。」(Bd.,6,S37., 石塚、同上、264頁)。非キリスト教徒の神々、とくに母神信仰の地では、神は善悪両義でありました。人々は、自然災害を必ずしも一方的な不幸とは観念しません。わが子を目の前でワニに食い殺された母親は、以後ワニのウロコや歯を守護フェティシュに遇する場合があるのです。石牟礼道子『苦海浄土』(1973年)から―「ほう、これは――」(石牟礼)、「はい、竜のウロコでございます」(江津野杢太郎少年の婆さま)、「竜の――」、「鬼より蛇より強うして、神さんの精を持っとる生きものでござすそうで、その竜の鱗ちゅうて、先祖さまからの伝わりもんでござす」(爺さま)、「なんのなおろうかいなあ。水俣病じゃもね。いくら神さんでも知っとりなるもんけ。知っとりなさるはずはなか、世界ではじめての病気ちゅうもね。」(婆さま)(石塚正英「フォイエルバッハと日本の古代信仰」石塚『信仰・儀礼・神仏虐待』世界書院、1995年、234~235頁)
平成3年6月3日に発生した雲仙普賢岳の噴火・火砕流で甚大な被害を目の当たりにした住民がこう言った。もう普賢岳を「普賢さま」とは呼ばない、「普賢」と呼ぶことにした、と。それで、いまはどうかというと、復興なってひさしく、普賢岳は「普賢さま」として信仰を集めていることでしょう。フォイエルバッハならば、自然災害と信仰をきっとそのように捉えることでしょう。重茂半島姉吉の石碑=石神は、地域住民にとって、今後どのような思いをぶつける対象となるでしょうか。石神フェティシストの私はフィールド調査していくつもりです。
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